「亜種」アンフレンデッド 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
亜種
PC画面だけで構成されるスリラーのUnfriended(2014)はCyberbullyの復讐劇として小ヒットし、新しい手法のPOVとしても受け容れられた。
PC画面とはいえスカイプのようなビデオ通話が常時つながっていて、つねに1人~マルチな通話者の顔を見ることができ、その状態を利用して役者がリアルな演技をする。
個人的にはスカイプもFaceTimeも使ったことがないので、その技術に明るくないのだが、アメリカ映画のなかでは日常的な風景として度々見られる。
日本でもそれを使う人はいるが国民性として顔出し会話が平常とは思えない。
エドワードスノーデンの発言に「PCを買ったら、まずカメラをマスキングしなさい」というのがある。
とても英語圏な気配のするテクノロジーである。
UnfriendedのスマッシュヒットをうけてUnfriended Dark Web(2018)がつくられた。続編がいけるネタではないから続編ではないがアイデアを加味して刷新している。
UnfriendedはPC内蔵カメラがとらえる世界に過ぎない。
なので、登場人物は常にそこにいる。
ホラーなので、襲われたり、異変がおこることは、解っている。
にもかかわらず、PCの前に張り付いてガクガクブルブルしているのは変といえば変、である。
その不自然をクリアするのは、演技力である。
役者たちは台本と設定だけで、恐怖に震えたり、泣き叫んだりしているのであり、それを考えると、役者とはいえ彼らの没入度には尊敬を感じる。
ときとしてアイデアがあればヒット作をモノにできる──と考えがちだが、The Blair Witch Projectにしても、あるいはカメ止めの真魚にしても、低予算な映画の真価が、じっさいには演技に因っていることのほうが多い──ように思われる。
Unfriended Dark Webでは登場人物の一人に聾を設定している。
2016年のホラーHushのヒロインも耳が聞こえなかった。
この仕掛けは観客に「志村うしろ!」的効果をもたらす。
が、大きすぎる前提要素が必ずしも映画を盛り上げるとはかぎらない。
ホラー映画で、且つ耳の聞こえないヒロイン、となれば、すでにその設定時点で、観衆には「志村うしろ!」が使われることは察知できる。──反って料理しづらくなるわけである。
同2016年のDon't Breatheでは、侵入先の主(あるじ)は目が見えなかった。
だから泥棒にとって楽勝の仕事と思えたわけだが、真っ暗闇を追われるときは、もともと目が見えない主のほうが有利である。──その反転発想が鮮やかだった。
Hushの聾ヒロインも殺人鬼には楽勝の獲物と思わせながら、感覚が鋭くて賢い──その手強さに裏切りがあった。
だがUnfriended Dark Webは聾をうまく映画に生かしていたとは言えない。
お互いがPC画面に見入っているビデオ通話時では、その背景が見えているのは相手だけであるゆえに「志村うしろ!」状況が、たやすく生じる。
ただしドリフターズの寸劇ならいざ知らず、スリラー/ホラーで「志村うしろ!」は一回で満腹になる。好適な舞台設定とは得てしてそういうものだ。
しかし、PC画面POVで映画がつくれるならば、役者とアイデア次第で、それほど予算を抑えられる企画はない──のである。
ましてやコロナ禍である。低予算映画の手法がモニターPOVで溢れていい──はず、なのだ。
ところが。
Unfriendedはその後続編が作られなかった。Unfriendedばかりでなく、PC画面系POVが、ほぼつくられていない。
なぜか、ご存じですか。
理由はSearching(2018)である。
モニターPOVの企画をすべて白紙にし、撤退させてしまう傑作だった。