「自分はとっても感動した。」ラ・ラ・ランド sumiさんの映画レビュー(感想・評価)
自分はとっても感動した。
最後のシーンに妻はセバスチャンが可哀想と泣いていた。自分も「何で5年が待てられなかったのか」と切なく感じた。
それでも、「やっぱりアメリカはいいなぁ。ハリウッドはすごいなあ。」と思った。
そして、なぜ、このような終わり方にしたのかを考えてみた。
次に日、「あぁ、この映画はアメリカンドリームの話なんだ」、「アメリカンドリームは単なる成功話ではなく、悲しみや切なさの中にあるものなんだ。」と思った。
夢を実現したとしても、それはハッピーエンドではないかもしれない。この映画のセバスチャンやミアのように夢を実現できたとしても切なさは残る。
人生にはいろいろな岐路があって、あの時にこうしていれば、もっと違う人生があったかもしれないと思うことがいっぱいある。そのほうが幸せに思えることもある。
だいいち、夢を追ったからといって実現できない人のほうが圧倒的に多いのだ。
それでも、夢を追うことは価値がある。前に進もう。
・・・・・そんな思いが、最後の二人の悲しそうな笑顔であり、セバスチャンの「さあ、ピアノを弾こう」で終了したんじゃないのかなと思った。
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そう考えると、腑に落ちることがいっぱいある。
ラ・ラ・ランドのLAはロスアンゼルス・・・・西部開拓の地であり、アメリカ第二の都市。
LAの青い野球帽をわざわざ見せたけど、アメリカ人の持っているロスアンゼルスのイメージ、ドジャースのイメージってどんなんだろう。
舞台はハリウッド・・・・グリフィス天文台が二人を結びつけ、その映画が終わる頃に二人の間にすれ違いが生じていった。アメリカ人にとってのジェームス・ディーンってどんな存在なんだろう。
プリウスとクラシックカーを共存させたこと。
ミアの成功がロンドンではなくてパリだったこと。
セーヌ川に飛び込んだおばさんの話。
5年後のシーンが、昔の葉を落としながら太陽に向かって伸びるパームヤシから始まる意味。
・・・そういうところに、アメリカンドリームの本質が隠されていて、それらがミュージカルという仮想現実に包んで娯楽映画としているところにハリウッドの真髄があるのではないのかと思った。
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この映画に賛否両論があるのは、アメリカ人との歴史、文化、人生観、そして宗教観の違いによるものであり、感動している場合も、日本人なりの感性で共感しているのだと思う。
自分の場合は、「セバスチャンやミアのように一見成功したと思える人でも切なさを持って生きているんだ。だから自分が思い通りにいかないことがあったとしても当たり前なんだ。人生はそういうものだ。だから、明日もう少しがんばってみようかな。」です。
・・・・・「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」ですね、きっと。