ヒトラー暗殺、13分の誤算のレビュー・感想・評価
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名もなき悲劇
1939年11月、ミュンヘンで起きたヒトラー暗殺未遂事件。
演説を行ったホールに時限爆弾を仕掛けたものの、予定より13分早く演説を切り上げた為、悪運強く命拾い。
ヒトラー暗殺未遂事件を題材にした映画は以前にもトム・クルーズがナチス将校を演じてツッコまれた『ワルキューレ』他多々あり。
その『ワルキューレ』の主犯は内部の者。
この事件も緻密で大胆な手口によりスパイなど長けた者の犯行と思われたが、逮捕されたのは…。
尋問、拷問。
それでも名前すら言わない。
元恋人に危害が及ぶと知り、ようやく名前を明かす。
ゲオルク・エルザー。
政治との関わりは一切ナシ。田舎のごく平凡な家具職人で、単独犯。
そんな一般人の彼が決行に至った理由は…。
作戦の顛末が描かれるサスペンスではない。これを期待すると少々肩透かし。またしても邦題が誇大広告。
原題は“エルザー”。ズバリ本作は彼の半生。作戦の経緯や逮捕後の取り調べも描かれるが、大部分は彼の物語が語られる。
そしてそこから、理由が見えてくる。
田舎町で平和に暮らしていたゲオルク。
アコーディオンを弾いて歌を歌ったり、女の子を追いかけたり。
家族の問題で帰郷。
ある日酒場で、人妻のエルザと出会い、恋に落ちる。やがてゲオルクの子を身籠る。
二人の関係に激怒したDV夫がエルザに暴力。
産まれた子も早世…。
ゲオルクとエルザのラブストーリーのようで暗殺決行に至る経緯は見えてこない。
直接的にではなく、間接的に。彼の周囲にナチスの影が侵食し始める。
この田舎町でもナチス派と反ナチス派が対立。それは乱闘にまで及ぶ。
ゲオルクの知人の女性がユダヤ人と関係あった事で辱しめを受ける。
ゲオルクは工事で働く。それがヒトラーによる戦争の道具であると知る。
平和が脅かされていく。
人と人の関係、人の心が蝕まれていく。
その脅威を目の当たりに。
衝撃。危機感。恐ろしさ。
愛する人たちの未来も案じたのかもしれない。
ゲオルクはエルザを置いて。彼の行動は決していた。
たった一人でヒトラーを暗殺しようとした男。
本作はゲオルクの物語だが、彼の尋問を行った保安警察局長ネーベも印象に残る。
ナチスの人間だったが、やがて反ナチスとなり、“ワルキューレ作戦”にも関わり、死刑。ヒトラー直接の命令でピアノ線での絞首。
彼を変えたのは何だったのだろうか…?
ネーベが殺され、独房のゲオルクも察する。自分も間近と…。
長年ドイツの歴史から封印されていたゲオルク。
後年その勇気ある行い=たった一人の闘いが讃えられるように。
ナチス政権下でも「ヒトラーは害悪」と堂々と発言。
これは英雄譚か…?
そうでもあり、否。
名もなき男の悲劇。
『ヒトラー 最期の12日間』に続き、オリヴァー・ヒルシュビーゲルがナチス下のドイツの暗部を暴く。
ファシズム下の日独の類似点や相違点等、色々と考えさせてくれる良質な映画
オリバー・ヒルシュビーゲル監督(ヒトラー最期の12日間等)による2015年製作のドイツ映画。
1939年9月1日のポーランド侵攻後、有名な11月8日のヒトラー暗殺未遂の爆破事件、それを単独で実行ゲオルク・エルザーの人生を、1932年までさかのぼって描いている。
単独での事件であることは全く知らなかった。ゲオルクは腕の良い家具職人で、信心深いプロテスタント信者で、自由と音楽を愛し、恋人は人妻であったことが、丁寧に描かれている。また、ナチズムがドイツ破滅への道であることを、強く認識していて、言わば国の為ヒトラー暗殺を図った。
あれだけ高級な良い物作りが出来るドイツ人が何故ヒトラーに心酔してしまったか、今もってずっと自分には謎。ただ非常にケアレースだが、こういう人間の存在があったことには多少安心感を覚えた。ドイツ人にとっても誇りということか、ミュンヘンには「ゲオルク・エルザー広場」が有り、市民単独の行動を讃える「ゲオルク・エルザー賞」が設けられてるらしい。
同様のファシズム統制下にある太平洋戦争前、日米開戦は破滅の道と認識する人間は多数いたらしいが、日本ではこういう個で何かをしようとする人間は何故皆無だったのだろうか?
そういう日独の類似点や相違点等、色々と考えさせてくれる良質な映画であった。
製作はボリス・アウサラー オリバー・シュンドラー、フレート・ブライナースドーファー、脚本はレオニー=クレア・ブライナースドーファー、撮影はユーディット・カウフマン、音楽はデビッド・ホームズ。
出演は、クリスティアン・フリーデル、カタリーナ・シュトラー(ヒトラーに屈しなかった国王等)、ブルクハルト・クラウスナー、ヨハン・フォン・ビューロー、ダービット・ツィンマーシート。
歴史的に事実なのだろうか?
歴史的に事実なのだろうか?
単独犯なら、計画はあまりにも稚拙で、ほぼ自殺行為になってしまう。エルザや家族や仲間の事を考えるなら、もっと綿密に計画を立てると思うし、ただ、暗殺を考えるなら、その場での実行犯になると思う。単独のテロ行為が、ほぼ実行犯なのは歴史がそれを証明している。時限爆弾を使うのは、逃走の時間稼ぎ。誰でもそう考える。
また、尋問するナチもエルザをもっと攻めたと思う。またまた、コミュニストの親派であったのは明白なのだから、彼を尋問する前に、そちらを一斉検挙するのではないかと思う。
だから、少なくとも『単独でここまで良くやった』感はナチの尋問官は絶対にもっていなかったはずだ。
つまり、この映画は、ナチの尋問官を含めて、ドイツ人に対する罪を『仕方なかった』として、監督自身を含めた全ドイツ人に対して、忖度しているように見えた。
もっとも、日本の映画では、ここまで表現しないと思う。戦争の被害者としての日本人を描く事が多いと思う(それはそれで良いのだが)。
日本人の多くは、藤田嗣治の『アッツ島玉砕』を戦意高揚の絵としてとらえている。なぜなら、日本では戦争に負ける事も美なのだ。『アッツ島玉砕』は地獄を描いた世界的に名画だと思う。
話がそれてすみませんでした。
自由を求めて
主人公はたった一人で立ち向かった。単純に「自由」を求め、それが損なわれていく懸念。組織に属さず個人の自由な行動で、ナチだけでなく共産党にも一線を画した。共産党でも「自由」が怪しくなると確信したかどうか分からないが、冷静に将来を見抜く洞察力と分析力はすごい。
逮捕されるまでの私生活と対比させていく展開、ナチスの高官が彼に理解を示し感化されそうになるのを抑えざるを得ない雰囲気、そこに至るプロセスが、練られた演出と思う。
いち早く暗殺を計画した男の半生
邦題からイメージしていたのは、軍のクーデター計画の方だったのですが、一般ドイツ人によるこちらは、本作を観るまで知りませんでした。原題の方が作品内容とマッチしていますね。もっとも、計画者の名前と分からなければ全くピンと来ませんが。
地方出身でやや女たらし?な演奏家兼修理屋だったGeorg Elserが、なぜ総統の暗殺を企てたのか。
ナチスは組織的犯行と決めつけ、拷問と尋問を繰り返すのですが…。
残酷な取り調べとElserの過去が交互に描かれます。
音楽を愛し演奏する傍ら、手先が器用で時計や家具の修理で生計を立てていた彼の地元にも、少しずつナチスの風が吹いてきます。
思想の自由、そして会話の自由まで奪われているのに、なぜか大勢がヒトラーに熱狂していく。周囲から取り残されていくような、自分の中で芽生える違和感を否定しなかったElser。
隣人がユダヤ人と暮らしていたっていいじゃないか。
共産党員と友達だっていいじゃないか。
挨拶はこんにちはでいいじゃないか。
「自由を失ったら死ぬ」
Elserは自分から奪われた自由を取り戻し守りたくて行動を起こしたように思えました。
もしあの晩、霧が出なければ。
もし通常通り、飛行機が飛べば。
ただ、やはり彼もテロリストですよね。
相手が結果的に5500万人以上(本作より)殺したような人物だから、確かに成功していればその後の被害は食い止められたと言えるかも知れません。しかし、巻き添えを食らった被害者達からすれば、真の英雄とは呼べないのかな。
拷問シーンは観ていて辛いです。
良心に蓋をしたかのような、ほぼ一貫して我関せずの態度だった書記の女性。自分も含め、大半の臆病者は彼女のように無表情にやり過ごすことだけで精一杯かも…。
Elserの思考を悲観的、被害妄想とけなすナチス党員らの考えは、むしろ心酔しすぎた誇大妄想でした。
「真実は我々がつくる」
ゲシュタポ局長の台詞が…、あれ?
“Vice”の米政府高官らの思惑を思い出させました。
冒頭の集会で白バラが飾られていて、おやっと思いましたが、白バラ抵抗運動はまだ無関係ですね。
手や膝の傷が物語っていると言いたいのでしょうが、Elserが地道に爆弾を仕掛けていった所に、もっと時間を割いても良かったかなと思いました。
よかった
深刻な内容なのだがけっこう退屈だった。威張り散らしている連中が後に立場が逆転すると思って見ていて、教えてやりたくなる。主人公が終戦近くまで生きていたのが意外だった。一番取り調べをしていた人が、けっこう人がよくて、ナチにも話が分かる人がいてよかった。
主人公は、子どもを亡くしてそれでテロを決行したのかなと思ったのだが、亡くしていなくてもやっていそうだった。爆破装置を自作するのがかっこよかった。
単独犯の失敗だけど・・・意味ある行動。
ドイツがナチスによって全体主義に傾き、ユダヤ人を根絶する社会へと変貌していく時代に生きた一人の男の半生。
主人公は音楽と女を生きがいとするような、ある意味チャラい男だけど、ナチスによって感化されていく村の人々と隔する思想を持ち続け、やがてはその才能をいかんなく発揮して、自作時限爆弾によるヒトラー暗殺を実行する。
映画タイトルにあるように残念ながら失敗に終わり、捉えられ尋問されていくが、その尋問と回想シーンで物語が進んでいく。
全体主義に流されていく様は、いつ見ても不気味だ。実際そんな場面になった時、自分は男のように正気を保てるのだろうか。自問しながら観てしまう。
それと反するように人妻との刹那な逢瀬はエロティックであり、悲しくもあり。安全な側から見れば滑稽化もしれない。
記憶に刻まれる映画であることに間違いは無い。
内容がある作品
エルザーの信念というのか、芯の強さはすごいと思います。映画の最後にゲシュタポに銃殺されてしまい、『どうしてこうなるんだ!』とやはり、悲しいというか、不条理を感じました。
静なる凶暴。
タイトルにあるように、もし13分の誤算がなかったら、
時代は変わっていただろうか…。42回もの暗殺計画が
あったにも関わらず、暗殺されなかった独裁者の行動
が世界に齎したあの悲劇。今作で描かれる暗殺劇には
たった一人の人間しか関わっていなかったという前代
未聞の計画談がある。一介の家具職人にすぎない男に
どうしてこんな計画が立てられたのか。興味が募るが、
それよりこの男をテロに掻き立てた動機は何だったか。
静かに彼の半生を紐解きながら、その犯行までに迫る。
ヒトラーが一足早くその会場を後にしたことで、爆破
による死傷者は残っていた市民が大半となってしまう。
同じドイツ人がなぜこんなことを?と問いただす秘密
警察の前で単独犯行を語れば語るほど嘘つき呼ばわり
され、絶対に仲間がいるはずだと黒幕探しに奔走する
彼らを冷めた目で見つめる主人公エルザーは終始怖い。
物静かで目立った行動もしない彼がなぜこんな計画を?
と友人や恋人ですら気づかなかった彼の強かさが狡猾
であることと、その表情や物腰の柔らかさから想像も
つかないことが観ているこちらまで伝わるが、結局は
平和や友好、自然を愛する普通の若者に過ぎなかった。
独裁者を憎む気持ちと爆弾の知識が優れていたことが、
俺がやらねばという自負に変わっていったのだろうか。
長く生かされ、やつれ果てた彼の晩年の姿が悲しいが、
ラストに映る本人の姿がこれまたイケメンすぎて参る。
(ポスター・チラシの画が巧い。皆が同じとは限らない)
テロルで訴える能力
第二次世界大戦初期の頃のヒトラー暗殺未遂の史実である。但し、主人公エルザーのプライベートの内容はフィクションも織り込まれているとのことだが。
監督は『es』を撮ったオリバー・ヒルシュビーゲルなので、人間観察にかけては定評がある。
作品のストーリーは難しくはないが、その時代のドイツの風紀、世情、戦争の向かい方等々が緊迫感を持って進められていく。
エルザーの手先の器用さ、才能の高さ、どれをとってもこの暗殺を遂行する上でとても欠くことの出来ない能力である。それ以上に作業を貫徹させる辛抱強さは尋常を超えている。
だからこそ、逮捕後のゲシュタポの尋問でも、ナチス側は最後までエルザー一人の犯行を疑い続けた。なぜに終戦直後まで収容所で生かされたのか、そして終戦を待たずして処刑されたのか。ドイツ人をステレオタイプとしてみたとき、正にこのような人間を指すのかと思う。その能力にヒトラーも最後まで処刑を躊躇させたのではないだろうか。
影響があったのかどうかはわからないが、その後、尋問をしたアルトゥール・ネーベは、ヒトラー暗殺計画に荷担したとの罪で、ワイヤーでの絞首刑に送られた。そのシーンでのリアリティは今でも脳裏に焼き付いている。首を括られた直後、ビクンビクンと足を痙攣させ、長い時間それが続いた後、全身が弛緩する。
戦争という非常なリアリティの中で、人はどういう思考をし、そして行動をするのか。
自分に置き換えて考えてみる。陳腐な感想だが、やはり戦争はいらない。
もしかしたら歴史が…
もしかしたら歴史が変わっていたかも知れないと思う実際にあった出来事。
13分の誤算がなぜ起きたのか?とか言う映画ではない。
なぜ暗殺(未遂)に至ったか、当時のドイツの内情がどうだったかと言う題材そのものが面白いだけに、派手な煽りや勿体つけた見せ方は陳腐になるのだろうけど、良くも悪くも題材だけがみどころで淡白な印象。と言いつつイマイチピリッとしたトリガーは見えず…。
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