ヒトラー暗殺、13分の誤算のレビュー・感想・評価
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考えろ!
人間はいつでも『自分で』考える必要がある。今回の主人公はヒトラーが歴史上で悪役とされているがためにある意味たまたま英雄となったわけで、やっていることは、米リンカーン、ケネディ大統領を暗殺した犯人と同じである。どちらも(米大統領の方は推測であるけども)自分の周りで起こったことに対して不満を持ち、自分の正義の上でとった行動であり、それが正しかったのかは結果論でしかない。同じ行動をとっても結果は全く逆になるのであれば、行動する段階で何が、正しいのか分からない。ただ、それでも自分で考えて行動した今回の主人公に人間として惹きつけられる、劇中でも、周囲の人間の心を動かしていた。意志を持ち、行動する。魅力的な人間の条件だなあと。まとまらないけどそんな風に感じた。
●知られざる史実。
歴史のイタズラ。いい邦題だ。あと13分ズレてたら歴史は変わっていた。ヒトラーは急遽、演説を早めに切り上げて会場を後に。
ナチスはこの出来事を逆に「神のご加護」とヒトラーの悪運の強さを称賛した。暗殺計画は、一介の家具職人、ゲオルク・エルザーの単独犯行。
史実としては興味深い。映画としても、エルザーの生き様が丁寧に描かれている。当時のドイツ情勢もうかがい知れる。さらに、アルトゥール・ネーベ警察長官。いまだに謎多き人物のようだが。
ナチス万歳・ほかは地獄。真に判断できる人間が行動するが報われず。
当時の日本は、もっと複雑だったんだろうけど。
これが、今からわずか70年ほど前の現実、ということが信じられなかっ...
これが、今からわずか70年ほど前の現実、ということが信じられなかった。
映画では、暴力的で恐ろしく、ヒトラーという絶対的な存在のもとに成り立つ社会が描かれている。
そんな中でヒトラーに抵抗したかった人はいたと思う。でも、それをヒトラー暗殺という具体的な行動に移した人は多くないだろう。
エルザーの完璧な計画に、黒幕はいない。
友人一人さえ巻き込まず、爆発の時の被害は最小限。そこには、エルザーの信念があらわれていると思う。
このようにホロコーストを直視した映画は初めてだったが、知っておくべき時代だと感じた。
事実は小説よりも奇なり
何回かレビュー書きなおしました。
んー、レビュー書くのもなんかうまく書けないくらい、考えさせられる映画。
後から色々考えると、人間の根本をえぐられるような作品でしたね。正義とか悪とか、わからないです。
ただこれがノンフィクションてのが驚き。
映画の作り手が巧かったのか!?
ノンフィクション映画としては、かなりの出来栄えだと思います!
コーヒーをめぐる冒険も好きだし、なんかキテるな、ドイツ映画(笑)
一風変わった作品。
最近、ヒトラーものが多い中で違う視点を描いてる。こういうドイツ人もいたんだ…。暗殺計画~実行までしたのは行き過ぎでも、現実を何とかしたいって思ってのことですよね。いつの時代でも色んな人がいますね。
本質を見た人に問いたくなる映画。
誰の言葉だったか定かではないが…「大衆は豚だ」と言う一言を思い返さずに入られなかった一本。
体制に、社会(この言葉が曲者)の流れに噛み付き一人戦った男の物語。
映画的には効果的な時勢の交差、主人公の描き方と演じる俳優の巧みさでかなりのめり込んで観られたのが上手い。
サスペンスと、人道的恐怖と、主人公の信念。
でも本当に恐ろしいのは。
ナチを持ち出すまでも無いことだが、そこに描かれるいわゆる「大衆」の醜さ。
劇中で主人公は…というのは観て頂くとして。
昨日までの隣人の首に「ユダヤ人と付き合う豚」と言う札を付けさせさらし者にする、自分の頭を使わない人々の怖さ。
まったく人ゴトではないし。
時代を越えた今の日本でも、例えば学校でも間々友の間でも規模は違えど同じことをしているこの虚しさ。
この映画を観た感想を、比べるとたぶん浮き彫りになる「人事体質」の試金石なのではないだろうか。
主人公の方は、かのドイツでも尊厳を回復するのは死後50年弱を要したと言うラストの一文…
自由が当たり前になり、義務と道徳と大儀がおろそかにされる今の時代。
人間て何だろう、と本気で考えさせられた作品。
感動・人道一辺倒の邦画も、奇麗事ばかりじゃ不味いのではないだろうか?
「進め一億」の中に杉原千畝が1/10いたら。。
自国民の恥を反省できるドイツの戦後の社会体質は本当に尊敬したい。
ヒトラー政治を許さない男のハナシ
1939年11月8日、ドイツ・ミュンヘン。
毎年恒例のヒトラーの演説が行われていたが、ヒトラー退席後にその演説会場で爆破が起こった。
実行犯として捕えられたのは家具職人のゲオルク・エルザー(クリスティアン・フリーデル)。
過酷で執拗な尋問の結果、単独犯行と彼の口から告白がされるが、上層部は大掛かりな組織がいると信じて疑わない・・・というハナシ。
映画は、捕えられたゲオルクの尋問シーンと、彼の過去のエピソードが交互が描かれる。
映画の見どころは、その過去のシーン。
左派寄りであるが共産党員ではなく、音楽家として(それなりの)自由を謳歌していたゲオルクの生活から、ナチスが台頭してくることによって、束縛され自由が失われていく。
ゲオルクにはエルザ(カタリーナ・シュットラー)という恋人はいるが、彼女は人妻。
いわば、人間的には立派なひとというには、かなり遠い。
そんな彼だからなのか、時代の悪化を敏感に察する。
殖産興業の名のもとに国家的に事業を推し進めているが、それは軍需産業。
一部の人間には景気は良くなったが、多くの民が良くなったわけではない。
また、ユダヤ人を迫害することで、ナショナリズムを高め、他人の自由を認めない風潮が蔓延している。
嗚呼、遣り切れない、ここままではどんどん悪くなっていく。
ナチスドイツは9月にポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国のイギリスとフランスがドイツに宣戦布告してきた。
まだドイツは勝ち続けているが、戦争で得たものが幸せであるはずはなく、この先、どんどんと自由が失われていく、それが1939年11月。
「ヒトラー政治を許さない」
それが根底にあってのエルザーの決断だった。
この暗殺が失敗に終わって、その後のドイツがどうなったのか、そしてエルザーがどうなったのかは簡潔に描かれていて、それはやはり遣り切れないものだ。
ゲオルク・エルザー演じるクリスティアン・フリーデルが、英雄然としておらず、平凡な男なところがこの映画に深みを与えている。
エルザ役のカタリーナ・シュットラーは、麻生久美子似でなかなかいい雰囲気を持った女優さんでした。
ミクロだがマクロな悲劇。難しくて残酷な戦争の1ページ。
【賛否両論チェック】
賛:国の行く末を憂いた主人公が、いかにして大胆な犯行をたった1人で実行するに至ったのか。その経緯に戦争の持つ哀しさや虚しさが垣間見える。人間1人の持つ影響力の凄さも実感させられる。
否:基本的には暗殺犯の回顧録なので、サスペンス感は皆無。展開もかなり淡々と進むので、興味がないと眠くなること必至。拷問等、残酷なシーンも多数あり。
ただのありふれた一般人の主人公が、ナチス・ドイツの迫害を目の当たりにして、次第に心を動かされていくまでが赤裸々に描かれ、戦争の虚しさや愚かさが、ミクロな視点で映し出されていきます。
一方で、真相はもうそのままなので、サスペンスやミステリーを期待して観ると、拍子抜けしてしまうこと必至です。展開も単調気味なので、眠くなるかも知れません。
どちらかと言うと、戦争について改めて考えてみたい、そんな方にオススメです。
書き換えられない13分の「歴史」
ヒトラー暗殺をひとりで企てた、ある若き職人のお話です。
本作を手がけたオリバー・ヒルシュピーゲル監督には「ヒトラー ~最後の12日間~」という秀作があります。
映画監督にとって「ヒトラー」という人類史上、類を見ない、最も有名な独裁者とその周辺は、誰しもが描いてみたい題材でしょう。
なによりヒルシュピーゲル監督にとっては、母国ドイツの「暗黒時代」「タブー」を描くわけです。
このあたり、歴史を冷静な目で淡々と見つめ、しかし、誰よりも情熱を持って「タブーである時代」を映画にする、その姿勢は評価されるべきです。
本作の舞台は戦前のドイツ。1920年代から第二次大戦末期までを描くものです。
主人公ゲオルク・エルザー(クリスティアン・フリーデル)は田舎町の出身。手に仕事をつけようと街に出て、時計職人の見習いになります。手先が器用な彼は、すぐに時計及び家具の職人として腕を上げて行きます。そんなとき、郷里から手紙が。酔っ払いの父親が、もう、手に負えなくなったらしいのです。そこで彼は職人道具を携えて里に戻ります。故郷に戻った彼は、人妻であるエルザと恋に落ちてしまいます。
時代はヒトラー率いるナチスが勢いをつけてきた頃。
ゲオルクの友人たちのなかに共産党員がいました。かれらはゲオルクの目の前でナチスに引きずり廻され、収容所送りになります。
ゲオルクは共産党員ではありませんでしたが、ヒトラーの強引すぎる政治に大きな危機感を抱えていました。
「このままではこの国はおかしくなる」
そんな折、1939年11月、ミュンヘンでヒトラーの演説会が開かれることを彼は知ります。会場に赴き、下見してみるゲオルク。
ヒトラーがそこに立つであろう演壇がすでにしつらえてあります。その後ろには柱があり、ナチスのシンボル、鉤十字の垂れ幕がかかっている。
ゲオルクはその柱を叩いてみました。どうやら空洞がある。
「これなら、いけるかもしれない」
彼は手に持った巻尺で、こっそり柱の寸法や奥行きを図り、メモしてゆきます。
やがて彼は、その器用な手先と時計職人のノウハウを生かして、一つの時限爆弾を作り上げました。
「あの男さえ吹き飛ばしてしまえば、この国は……。」
運命の11月8日、爆弾はゲオルクが仕掛けた時刻通りに爆発。
8人が死亡します。しかし、そのなかに、なぜかヒトラーだけはいなかったのです……。
本作は「ヒトラー ~最後の12日間~」に比べ、正直、一般受けはどうかな? という内容です。
というのも、ドイツが無謀な戦争に踏み込む、その直前の時期。まさに時代のエアポケットといいましょうか、戦争前夜の予備知識が必要だからです。
ひとりの平凡な職人を通してみた、ドイツの「歴史のスキマ」を、本作では丁寧に描いています。
1932年から1939年という7年間、ドイツにとっては、まさに大きな渦に飲み込まれるかのような時代でした。
僕は以前からヒトラーとその時代に興味があり、少しばかりの予備知識がありました。
本作で描かれるワイマール共和国末期、片田舎の日常風景。
それが僕にはもう、”ビンビン”響きました。これぞ、僕が見たかった戦争直前のドイツの姿。
ゲオルクが暮らす田舎の集落には、汽車も乗り合いバスもありません。さらには集落には車を持っている人が一人もいません。
ここが重要なんです。
実は、戦前のドイツ(1932年のデータ)で車を持っている人は、国民あたり約100人に1人程度でした。同じ時期、アメリカでは5人に1人は車を持っていました。
ドイツという国は、当時から工業技術は優れていたものの、車の普及という点では、大変な後進国でした。これ、意外に知られていない事実なのです。
また、世界恐慌の影響もあり、誰もが貧しかったのです。ヒトラーはそこに巧みにつけ込みました。
ヒトラーとナチス党が催したイベントでは、軽食が出され、ビールが飲み放題! さらには党主催の旅行企画や、音楽会、ダンス、映画の上映会など、娯楽でいっぱい。その上さらにヒトラーは、一般大衆の目の前に「美味しいニンジン」をぶら下げました。
「全ての家庭にラジオを!!」と安価なラジオを販売。
ラジオで全ての国民が、ナチスの息のかかった放送を身近に聞けるようになる。それはナチスのプロパガンダのため、とても重要なことでした。
そして、これでもか!とヒトラーが目玉商品(政策?!)としてブチ上げたのが、あの有名な国民車「フォルクスワーゲン」だったのです。
「労働者諸君!! 自分の車を運転したければ週に5マルク貯金せよ!」
ヒトラーの掛け声に、大衆はまさに熱狂しました。
働けば、暮らしが豊かになり、ラジオが持てて、その上、夢にまで見た「マイカー」が手に入る!!
こうして33万人の国民が、フォルクスワーゲンを買うために貯金を始めます。
ヒトラーが首相に就任した1933年以降、ドイツは目を見張るような復興を遂げて行きます。これは「ヒトラーの奇跡」とも呼ばれているようです。
さて、本作では湖畔で、ゲオルクを含む若者たち男女が、ギターを片手に歌を唄うシーンがあります。
その曲はあきらかにアメリカから入ってきた「ジャズ」なんですね。
何気ないようですが、これも実は極めて重要な視点なんです。
さすがヒルシュピーゲル監督、と僕は思いました。
ヒトラーとナチスは、「ドイツ文化」が「汚される」ことに極めて敏感でした。音楽においてもそうです。元々のルーツを黒人音楽にもつ「ジャズ」などは「退廃的である」と軽蔑していたのです。
それでも若者たちは、いわゆる「流行り物」「カッコイイ」音楽である、「ジャズ」に夢中になります。のちに彼らは「ジャズ青年」というレッテルを貼られ、ナチスの標的になります。好きな音楽を演奏したら収容所送り!! いかに異常な時代であったかがうかがい知れます。
さて、ヒトラーという人物に対しては、何度も暗殺計画があったことが知られています。実に不思議なことに、ヒトラー本人はなぜか「神懸かり」とでも言える嗅覚、直感をもって、この「危機一髪」を本能的に逃れています。
極度の緊張を強いられる、国家元首であり、独裁者、そして世界を相手に戦争を始めてしまったバイエルンの伝令兵、ヒトラー。
その研ぎ澄まされた感覚から、一種の霊感、第六感、のようなものを身につけていたのかもしれません。
本作の主人公、ゲオルクの精緻極まる時限爆弾は、正確に時を刻みます。しかし、なぜかこの時もヒトラーは、13分早く演説を切り上げたのです。間一髪この独裁者は難を逃れます。
ゲオルクの作り上げた時限爆弾は、彼のセットした時刻通りに爆発しました。それは歯車の集まりであり、機械式のカラクリでありました。
歴史に「たられば」はありえませんが、それでもゲオルクの作った機械仕掛けは、紛れもなく歴史を変えた可能性のある歯車だったのです。
***
なお、参考、引用させていただいた文献は以下の通りです。
「魅惑する帝国ー政治の美学化とナチズム」田野大輔 著 名古屋大学出版会
「ナチズムとドイツ自動車工業」西牟田 祐二 著 有斐閣
「ヒトラー権力の本質」イアン カーショー 著 白水社
●歴史のイタズラ。
いい邦題だ。
あと13分ズレてたら歴史は変わっていた。
史実としては興味深い。
映画としても、エルザーの生き様が丁寧に描かれている。
当時のドイツ情勢もうかがい知れる。
さらに、アルトゥール・ネーベ警察長官。
いまだに謎多き人物のようだが。
ナチス万歳・ほかは地獄。
真に判断できる人間が行動するが報われず。
日本の場合は、天皇陛下を標的にしても解決できる構造ではなく、もっと複雑だったんだろうけど。
エルザーは信念の人なのか、狂気の人なのか。
1939年11月8日、ミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」で発生したヒトラー暗殺事件の首謀者、ゲオルク・エルザーを描いた作品。
ヒトラー暗殺計画は、数多く計画されたのは知っていましたが、このゲオルク・エルザーの事は、不勉強で知りませんでした。でも、作品を見て判ったのが、信念の人だったんですね。誤解を恐れずに言えば、反ナチス原理主義的人だったようにも思えます。それと、あれだね、
先ごろ見た『顔のないヒトラーたち(Im Labyrinth des Schweigens)』でナチスを追求するオットー・ハラー検事を演じたヨハン・フォン・ビューローが、この作品では逆に、ゲシュタポを演じていたのが、わたし個人的には印象的でした。
また、こちらは史実ですが、エルザーを追求した刑事警察長官のアルトゥール・ネーベが、後年、シュタウフェンベルク大佐が画策したヒトラー暗殺計画のヴァルキューレ作戦に連座して処刑されているのも、興味深いです。エルザーはなぞの多い人物と言われていますが、ネーベ自身も十分になぞの多い人物だと思います。
想像と違ったかな…
邦題に騙された感があるかも…。確かに広義では誤算なのかも知れないけど、それを言ったら拘束されることが誤算ではないだろうか?
いずれにしろ、誤算に焦点が当てられた内容ではなく、ある意味では英雄である主人公の青春譚と言った内容だった。
ただし、私生活はフィクションとのこと。面白くないこともなかったけど、期待外れだったかも。
知っておくべきコト
映画の構成から考えても暗殺が成功するかどうか、というサスペンスを狙ったものではないことはよく分かる。
映画はどうして主人公がそうした行為に及んだのか、それまでの生活を丹念に描くことであぶり出してゆく。
僕等は覚えておかなくてはならない。
人々はどうやって彼等の自由を自ら差し出したのか?
自由を愛して止まない主人公はどのように息を詰まらせて、そうした行為に及んだのか?
僕等は覚えておかなくてはならない。
彼がどうやってそれを止めようとしたのかを。
それは歴史の中の特別な出来事ではないのだから。
いつか自分がそうしなくてはならなくなった時のために。
ドイツに、あのような人がいたことを忘れてはならない。
この映画を観終わって、あの当時、あの時代、あの国で、あの様な環境に活き、あのような人がいたことを忘れてはならない。日本の紋切り型の邦画(何も強く感じない。自分の中に何も鮮明に残らない)とは違う。作品であった。我々日本人は、もっと戦争というものの恥ずべき愚行をを反省しただろうか?誰かが責任を取っただろうか?先の戦争の本当の責任者は断罪をしたのだろうか?観終わって、その場でそのようなことを感じた。
この国の動向がどこかきな臭いと感じる方は、観るべき一本
緊張、恐怖、からのほのかな痛快さなどは、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の功績。そして、俳優陣の目に引き込まれる。意志を持ったまっすぐな目。何かに取り憑かれたような見開いた目。信念が揺らいだ迷いのある目。目で映画が成立する作品はそうないと思います。
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