ハッピーエンドの選び方のレビュー・感想・評価
全28件中、21~28件目を表示
軽い気持ちでは観られない。愛する人の最期に、下される決断。
【賛否両論チェック】
賛:愛する人の最期をどう迎えさせてあげるのか、葛藤する主人公達の姿に、深く考えさせられる。
否:主人公達の行動そのものに、まずは賛否がある。急に歌い出したりするシーンがあったりと、内容も好みが分かれそう。ストーリーもかなり淡々と進むので、眠くなりそう。
“安楽死”という、かなり重いテーマの映画です。最愛の人の病気が末期に差しかかった時、苦しんでいても生きていてほしいと願うのか、それとも安らかに最期を迎えさせてあげるのか。そのテーマ自体に、まずは賛否があるかと思います。
ストーリーは割と単調ではありますが、次第に変わっていってしまう最愛の人の姿に苦悩する主人公の姿が、荘厳な雰囲気と共に淡々と描かれていきます。
急に歌が入ったりと、やや好みが分かれそうな展開ではありますが、いずれ誰にでも訪れる最期の瞬間をどう迎えるのか、改めて考えさせられる作品です。
見応えがあると思ったけど...
年をとることを否定的にとらえず、何か生きがいや楽しいハッピーを年をとってからどうやって見つけて、死を迎えるのかというストーリーを期待していたのだが、その期待は裏切られてしまった。
想定よりも内容が重かったのだが、テーマ自体が難しいものを扱っていたため、ディテールも結論もデリケートに作り込まなければいけなかったと思う。しかし、ディテールが曖昧なところがあり、結論も出したのか出さなかったのかよくわからず、腑に落ちない感じで観終わってしまった。物足りなさが残ってしまった。
ちなみに、一緒に観に行った彼女は、医者の立場から言えば、認知症患者の描写が実態と違うため、制作者はもっと考証が必要だとのこと。
老い、病い、皆いつか辿る道
性転換、LGBT、夫婦別姓、再婚禁止期間、昔の常識が適合しなくなった社会。
脳死法案の次は、尊厳死法案?
この作品は、超高齢者社会という日本でも間違いなく眼前に迫っているテーマを取り上げているなぁ~とつくづく。
今後、同じテーマを深く掘り下げ、巧みに表現する作品が続くことを期待。
認知症と尊厳死を安易に結びつけないで
イスラエルの老人ホームで暮らす夫ヨヘスケルと妻レバーナ。
レバーナには少々の認知症症状が出ているが、まだ生活に困難を伴うほどではない。
ヨヘスケルは若い時分からの発明好き。
ある日、ヨヘスケルは寝たきりの友人マックスから、安楽死は出来ないかと相談を受ける。
悩んだ末に、患者がタイマーを押すことで点滴薬に劇薬を注入する装置を発明するのであるが・・・というハナシ。
重いテーマを、それほど重くなく進めていく語り口は、観ていて飽きない。
まぁ、扱う死は、ヨヘスケルにとっては身を切られるほどのものではないからだ。
ここいらあたりが、後半この映画を少々浮ついたものしてしまっている。
ヨヘスケルが発明した品はアンダーグラウンドで評判になり、友人以外にも、知人レベルから使いたいと申し出がある。
たしかに、一種の人助けであるが・・・うーむ、どうなのかしらん、といったところ。
終盤、妻レバーナの認知症が加速度的に速くなり・・・さて・・・
というのがこの映画の眼目なのだけれど、それまでヨヘスケルが装置を提供してきた人々とは情況が異なる。
すなわち、
妻レバーナの認知症は急速に進んだものである、
これまで安楽死・尊厳死を望んだ人たちは、永年寝たきりで恢復の余地がない。
これらと比べると、映画の結論は、すこぶる安易である。
認知症については、最近もドキュメンタリー映画『抱擁』などを観たが、恢復のない病ではなく、自己喪失→死という考えがあまりに短絡的で、観ていてまるで共感できない。
そもそも、夫ヨヘスケルは妻の認知症に、向き合っている描写すらないように思える。
そういう意味では、この映画、かなり性質が悪く、この終盤では嫌悪感すら覚えました。
笑うに笑えない人生の終末の問題を直視
舞台はイスラエルの老人ホーム。病に苦しむ友のための″ある発明″をきっかけに.結束して救出プランを立てるヨヘスケルと仲間たち。友のために奮闘し前向きな彼らは、常にユーモアを忘れません、彼らの姿は可笑しくも、生きる力をくれました。.
秘密だったはずの発明に依頼が殺到する一方、妻レバーナの認知症は進行してしまいます。
自分でなくなることに恐れる妻と、現実をなかなか受け入れられない夫。それぞれに葛藤し、想いあう夫婦が下すある決断とは?
誰もが生老病死を避けて通れません。医療の発達で長寿社会にとなりましたが、その反面、不治の病や認知症に陥っても、生きることを強制される世の中になったのです。本作は軽妙なタッチながらも、辛辣に見るものに、人生の終末の選び方を問うてくるのです。 特に宗教に関わっているものとしては、安楽死をどう捉えるべきか、すぐ答えが出てきません。父の死が近づいたとき弟から父の延命治療についてどうするかと電話で聞かれて、答えることができず、1週間ばかり逃げ回った結果、ひどく弟から怒られたこともありました(^^ゞわが身に降りかかると、そう簡単に理屈道理に割りきりないものです。
お釈迦様は、毒矢の喩えで、苦しんでいる人を悟らせ善導することよりも、まず刺さっている毒矢を抜いて、いち早く苦しみを和らげる治療するべきですと諭されました。そうであるならいたずらに延命させて、肉体の苦痛ばかり味わいさせることは、慈悲の思いとは逆の行為かもしれません。まして死後の世界を認めるなら、この世に執着させず、早く帰天させて楽にさせたいと感情が起こっても、当然のことでしょう。
しかし、本作で発明される安楽死装置が実際に使われるシーンを見ていると、本当にそれでいいのかどうか、疑問がわいてきます。人の死の時期は、人間が決めてはいけないような気がするのです。どんな病人でも、命とじるまで、せい一杯に病と格闘し、今生の人生の問題集の総仕上げをしなくてはならないはずです。
けれども、本作のように末期の患者や親族から、この苦しみをどうにかして欲しいと懇願されたとき、主人公の取った行動は否定しがたいのですね。
きっと禅の公案のように、本作は私たちの残りの時間の問題を真剣に考えさせてくれる作品なのでしょう。そして、「ちょっとねぇ~(^^ゞ」というハッピーエンドとはいえない結末も、真剣に考えた答えが見つかれば、きっと生き方を変えてくれるような輝きを放つことなのでしょう。
エルサレムの老人ホームに暮らすヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)はユニークなアイディアでみんなの生活を少しだけ楽にするような発明をすることが趣味でした。例えばお薬お知らせマシーンとか神様からの通話と思わせる電話などなど。
ある日、彼は望まぬ延命治療に苦しむ親友マックスから、発明で安らかに死なせてほしいと頼まれます。妻のレバーナ(レバーナ・フィンケルシュタイン)は猛反対しますが、、お人よしのヨヘスケルは、親友を助けたい一心で、自らスイッチを押して苦しまずに最期を迎える装置を発明してしまうのです。同じホームの仲間たちの助けも借りて計画を準備し。ついに自らの意思で安らかに旅立つマックスを見送ってしまうことに。
しかし、秘密だったはずのその発明の評判は瞬く間にイスラエル中に広がり、依頼が殺到してしまいまいます。
そんななか、愛するレバーナに認知症の兆候があらわれ始めて、やがて自分の行動すら分からなくなっていきます。ある朝など食堂に裸で出てしまう始末。でも、一つの秘密で繋がっているホームの仲間の結束は暖かいものでした。正気に戻ったレバーナが落ち込んでいると知った彼らは、みんな裸になって、彼女を慰めるのでした。
そんな絆に癒されつつもレバーナは、自分の存在が徐々に消えていっていることに、絶望して苦しみます。そして、ついに夫にあの発明を使いたいと告げるのでした。
人ごとだった発明。わが身に降りかかったとき、ヨヘスケルがどうなったかはぜひ劇場でご覧になってください。
国や文化を越えて、共感。
テーマ的に考えさせれる内容。新しいネタでもないが、答えが出ないテーマなので、観た後、なんとも言えない気分にはなった。
しかし、映画のつくりとしてはよく出来ていて、最後まで、進行を楽しみに観れたし、俳優さんの演技、リアル。
イスラエルの老人ホームとか、普段見れないことを、映画の中とはいえ、ちょっと知れたのは興味深い。
笑いどころなど、イスラエル映画だけれど、日本人も笑える、
辛いシーンでは、観ている方も辛い。
感覚面では、まったく違和感ない。
かけ離れた国だけれど、人間の根幹は国関係なく、同じなんだなぁと、改めて思った。
こういう作品が、今のような時代に静かに訴えかけてくるもの、もっと多くの人が感じ取っていけたらな・・・
シンプルで、あたたかい映画でした。
とにもかくにも人なつっこい、“チームおじいちゃんs”
年齢を重ねながらますます上品になってゆく「機転」とか「人を思いやる気持ち」を、楽しむことができる、センスの良い作品でした。
難病で苦しんでいる方々を取り囲む、前衛的な問題提起なのですが・・・・・、
上映が進むにつれて、高齢者の俳優さんが「あれよあれよ」と若返ってゆくように感じられるストーリー展開や、微笑ましいユーモアのお蔭で、親しい方や家族と一緒に、繰り返し観てみたくなる・・・・・、
とにもかくにも、人なつっこい印象の残る作品でした。
全28件中、21~28件目を表示