「日本という国にたまたま産まれ落ちたことの幸い?」国際市場で逢いましょう talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
日本という国にたまたま産まれ落ちたことの幸い?
戦乱の中で生き別れてしまった肉親の再会…。
そういうことについて、アメリカやスペインや、そして本作の舞台となった韓国のように、内戦であって、民族を二分するような大きなものは経験することなく、そして、そういう内戦に外国軍の介入を受けることで、いつそう国土が蹂躙されるという不幸に見舞われることもなく、国際政治のいわば「エアポケット」にしっかりと嵌ますり込み、永く平和であったことの恩恵を十二分に享受して来られたという僥倖に、ただ感謝する以外にないのかも知れません。
観終わって、この国(日本)が平和であること(平和であったこと)の幸せに、改めて感謝する一本になりました。評論子には。
佳作であったと思います。
(追記)
本作で、主人公は何度も、家族の生活費を工面するために海外に働きに行きます。
片や鉱山労働者として、片や戦場での採掘技師として。
評論子の住む北海道も、夕張(ゆうばり)市を始めとして有数の産炭地を抱えていました。
その夕張の炭鉱街の下馬評では「ゆうばり、食うばり、酒ばかり。ドカンといけば(=ガス爆発や岩盤崩落の事故にひとたび遭えば)死ぬばかり」と囁かれていたと聞きます。
ドクスが従事した仕事は(お金にはなったのかも知れませんが)どちらも相応に危険な仕事でした。
仄聞するところでは「国民が困ったら、石油を掘って外国に売ればいい」と言って、国民からは満足に所得税も取らない国が、世界の中にはあるやに聞きますが、国内に資源の乏しかった韓国では、外(外国)に出稼ぎに行くことが、手っ取り早い稼ぎ方だったことでしょう。
家族(妹のクッスン)を守りきれなかった自責の念が、他の家族の生活をを守ることに執心させていたのかも知れません。
いずれ、同じように国内の資源には乏しくても、早くから殖産興業に務め、原材料を輸入して工業製品を輸出するという加工組立型の産業構造を国内に確立できて、海外にまで働きに行く必要がなかった日本とは、状況が違ったということもあるかと思います。
ときに「笑い」の要素がないでもない本作ですけれども。
そういう意味では、同じくアジア人ということながら、日本という国にたまたま産まれ落ちたことは、それはそれで、幸いだったのかとも思いました。