「観察と比較と体験が「しあわせ」を形づくる」しあわせはどこにある つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
観察と比較と体験が「しあわせ」を形づくる
ロザムンド・パイクが好きなのである。「007ダイ・アナザー・デイ」で観たときから好きなのである。キリッとした美しさが時に冷酷そうにも見える、そんなロザムンド・パイクのコミカルな演技はメチャクチャ可愛いのである!これぞギャップ萌え。
本作「しあわせはどこにある」は、精神科医のヘクターが、満たされた生活の中にふと感じた「しあわせって何だろうか」という疑問を出発点に、日常を飛び出し世界を旅する精神的アドベンチャーだ。
実際デンジャラスな冒険もするが、基本的に一般人のヘクターだから、巨大生物と戦ったり地底に飲み込まれたりはしない。常識の範囲内でのアドベンチャーである。
とりあえず「幸せ」と言えば、お金を思いつく人は少なくない。ことに物欲に関しては、対価としてのお金さえあれば満足することが出来るからだ。
それは確かに幸せのひとつであり、幸せを感じている瞬間に限って言えば幸せはお金によって得られる、というのは真理だ。
もしも今死と隣り合わせの状況からなんとか抜け出して、恐怖のどん底から這い上がったなら、自分の体ひとつしかない状況でも息を吸い、声を出し、自由に動かせる手足の感触は幸せにあふれている。
生きていることこそが幸せだ、というのも恐怖から解放された瞬間においてはまた真理だ。
ヘクターが「しあわせ」を探しに行ったことで、恋人であるクララもまた「しあわせ」に向き合うことになる。
クララだって、ヘクターと歩む人生に「しあわせ」を感じていたはずだ。行き過ぎなくらい世話を焼く生活も、薬の名前を「それっぽく」考える仕事も、セクハラとひきかえに円滑に進む人間関係も、「それは本当にしあわせか?」なんて考えなければ、きっと疑問にも思わない。
ヘクターの冒険の終わりを待つクララにも、「ヘクターと歩む人生はしあわせか?」という疑問が降りかかる。
「しあわせ」のために抑えてきた、見ない・聞かない・知らないフリをしてきた様々な不満をヘクターにぶつけるクララもまた、内なる世界で「本当のしあわせ」を探している。
「しあわせ」探しの物語の着地において、チルチルとミチルが導きだした結論以上のものはないだろう。でも、それを「実感」出来るかどうか、というのはまた別の話だ。
二人の人生は「しあわせ」と言っていいはずだ。でも、本当にこれで良いんだろうか?と疑問を感じてしまったら、それを確かめるまで「しあわせ」を実感できない。
そして「しあわせ」を実感し、「しあわせ」を確かめられたら、これ以上の「しあわせ」はない!と思えるのだろう。
「オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない」は社会学者・上野千鶴子の言葉で、こんな名言には中々お目にかかれないな、といつも思う。
ヘクターの旅は、この言葉を実践するような旅だった。他者の「しあわせ」を探り、吟味し、自分と比較することで、初めてヘクターが「しあわせ」だと感じられる事柄がハッキリする。
「しあわせ」を実感した後の、ヘクターとクララはとても微笑ましい。そして、短パン姿のロザムンド・パイクはとても可愛い。
好きな女優がキラキラに可愛い姿を堪能出来るのも、また「しあわせ」の一つである。