ヴィオレット ある作家の肖像のレビュー・感想・評価
全4件を表示
ラストを含め、価値観が問われる。
予告から、感情のぶつかり、悲劇の幕切れを予想したが、本編はかなり異なる感触だった。特に、南仏に流れ新作に取り組む後半。陽光溢れる自然に埋もれるようにして、ヴィオレットが内省的になり、自身の内側を掘り下げていく。ふつふつと水面下でたぎる感情のほとばしりが、何ともスリリングだった。
ラストはハッピーエンドか否かは、観る人によって異なるように思う。そもそも、私には、ヴィオレットの方がボーボヴァールより美しく思えた。確かにヴィオレットはぽっちゃりとして野暮ったいけれど、生き生きとして魅力的。対するボーボヴァールは痩身だけれど、知的というより貧相な印象を受けるところもあった。ヴィオレット役のエマニュエル・ドヴォスは、付け鼻で醜さを表したらしいが、日本人の私にはピンとこず…。本国フランスならば違うのか? 美醜の基準は、国や文化はもちろん、個々人でも差がある。二人の対比の捉え方は、観る人により異なりそうだ。(個人的には、二人の女優さんが役をひっくり返した方がよかったかも?と思った。少なくとも、ボーボヴァール役は、もう少し迫力や魅力が欲しい。)
果たしてヴィオレットは、ボーボヴァールのおかげで成功を掴んだのか、はたまた、彼女の論の実例として利用されたのか。書くこととの出会いはともかく、ボーボヴァールの出会いは、ヴィオレットにとって幸せだったのだろうか? 観終えた今も、ぐるぐると考えている。
また、このような題材が取り上げられ、描かれるのは、女性の幸せの捉え方や歳の重ね方への価値観が多様化し、答えが見出せずにいる「今」らしいなとも思った。家庭から出て、社会的名声を得る。そんな男性的成功は、女性の絶対的成功とは言えない。どこか満たされず、それならばと「次」を模索し続けるよう自他にじわじわと迫られる。そんな現代の若くない女性(いわゆるアラサー、アラフォーと呼ばれる人たち…自分含め。)の姿が、彼女に重なった。
また、母との愛憎合い混じる関係も一筋縄でいかず、余韻が残る。エンドクレジットでヴィオレット方が先に亡くなったと知り、子に先に逝かれた母へ思いをはせずにいられなかった。予告の印象にとらわれず、まずは観てほしい作品だ。
ボーヴォワールが言う「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という瞬間なのかもしれない。
40年代のフランスの実在の女性作家の話し。私生児として生まれたヴィオレットは混乱の大戦の時代、作家である夫、モーリス・サックスと闇商売で生き抜く。戦後、夫と別れパリに出るが、なにもない彼女にとって、ただモノを書くことだけが、生きて行く全て。
初めての作品「窒息」は作品というより、たった一人、生きなければならない、若い女性の赤裸々な生活を綴ったもの。幸い、その作品はボーヴォワールに認められる。「第二の性」を執筆中のボーヴォワール、彼女のことは何も知らなかったヴィオレットだが、偶々、ブックショップで立ち読みし、書き上がったばかりの「窒息」を抱え、彼女のアパルトメントを押しかける。
若い女性が都市に生きること、いや、パリしか彼女には生きていく場所がなかったのだ。ジャン・ジュネやカミュ、コクトーやサルトル、更に有数なフランス文学の出版社であるガリマールや香水会社ゲランの社長ジャックが登場し一見、華やかな生活。しかし、彼女にあるのは大都会の片隅の粗末な部屋のベッドと机とランプと小さな窓。
映画ではこの小さな窓が象徴的。ヴィオレットの「窒息」を開くのはプロバンスの陽光溢れる大きな窓。パリの厚い石の壁の世界から、一気に抜け出すヴィオレットの世界。それは「あるがままの世界」しか生きる術を知らない我々現代人が、唯一見つけることが出来る「あるはずの世界」、芸術を知る赤裸々な体験なのだ。それこそ、ボーヴォワールが言う「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という瞬間なのかもしれない。
書くことで孤独を強める作家のジレンマ
第二次世界大戦末期、フランスの田舎町に作家のモーリス・サックスとひっそりと隠れ住んでいたヴィオレット・ルデュック(エマニュエル・ドゥヴォス)。
ゲイであることで迫害されていたモーリスとは偽装の夫婦関係を続け、生活はヴィオレットが闇商売をすることで支えている。
私生児として生まれ、自分の容姿にコンプレックスを抱き、男女どちらにも性的欲求を抱くヴィオレットは、自分自身を嫌悪していた。
モーリスは、そんな彼女に、自分のことを書け、と自らの出来事を小説にすることを薦めるのであった・・・というところから映画は始まる。
その後、モーリスは彼女のもとを去り、戦後、完成した小説を持ってパリに出たヴィオレットは、作家で編集者のボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)と出逢い、それまで書いていた小説を『窒息』として出版することになる。
映画は、ヴィオレットが係わった男性や土地の場所を小見出しにした「章立て」の形式をとっていて、それぞれがぶっきら棒といっていいほど説明もなく始まるので、はじめの2章ほどは物語の背景や人物設定などがわかりづらく、内容を理解するのが難しい。
しかしながら、それらの舞台背景がわかってくると、俄然興味深く観られるようになりました。
処女作『窒息』はカミュやサルトルなどの大物作家に絶賛されれるものの、女性によるその赤裸々な心情吐露は大衆には受け容れられず、ヴィオレットは劣等感に疎外感に苛まれていく。
ここいらの描写は、ひりひりするほど痛々しい。
大物実業家のジャック・ゲラン(オリヴィエ・グルメ)や作家のジャン・ジュネなどの賛同者が増えれば増えるほどほど疎外感は増してしまう。
この複雑な感情をエマニュエル・ドゥヴォスが見事に表現していて、この映画のいちばんの見どころ。
マルタン・プロヴォ監督がみせる画面は暗いシーンが多く、ときには何が映っているのか判別が出来ないほどだが、それが故に、終盤、ヴィオレットが見つける安息の地・南仏プロヴァンスの小村が明るくまばゆく輝いて見える。
アナザーなミッドナイトインパリ
休日の午前は、フォースの導き届かぬ!壮年で埋まるも実はお洒落なデートムービーか。
BARの場面ではタイムスリップ中のオーエンウィルソン探してみたり、ゲランの創設者役でかのダルデンヌ組のオリビエグルメ!登場には例のハンソロ並みに愉快。
コレはボーヴォワールサルトルジュネゲランに支えられた面妖かつエキセントリックな彼女の「異能譚」。
「書くことにのみで救済される自己」はお腹いっぱいに描かれ、そのヘヴィサイドへのバランスも良く2時間半近い尺も長さ感じない緩急も良し。
フラット寄ってみたらコレは今年の最上級な一本。
ミッドナイトインパリ見直したくなった。
全4件を表示