コングレス未来学会議のレビュー・感想・評価
全27件中、1~20件目を表示
とてもリアルな未来像
この映画の提示する未来像は、破滅的であるがかなりの部分が現実のものとなるのではと思わせる。そしてそれが思いの外心地よいものになるかもしれない。
旬を過ぎた女優が、全身のデジタルデータを提供し、CGで完全再現が可能な技術がある。一度スキャンすればあとは女優自身は必要ない。スキャンデータとして映画の中で永遠に再生産可能。そして人は思い思いのアバターになって暮らせる社会が到来する。まるでバーチャルYouTuberのようだ。
人は生まれ持った外見を捨てられない。整形などの手段はもちろんあるが、この映画が描くのはその延長線上のものだ。そしてそれは現実に起こりつつある。それは悪いことばかりとも言えない。VRの世界で自分の心の性別に簡単になれる。トランスジェンダーの人々の間でこうした技術は期待されている。一方で映画が描くように退廃的な世界を生むかもしれない。
苦しい
なんなんだこれは
何が幸せなのかという話で救いがなくて苦しい
見た後に生きることが馬鹿馬鹿しく思えてしまい、この先の人生どうしようと思ってしまったので危険。人におすすめはできない
馬鹿馬鹿しいのが見たくなってキルビルで口直しした
作品のアイデンティティは著作権
思考実験かつアートな1本。
ゆえに物語の起承転結へ没入しようとした場合、
説明不足や設定の腑に落ちないところが目立つのではないかと感じた。
だがここではないどこか、幻想の中で生きるとは、
を突き詰めようとしたアート作品であると理解すれば、疑似体験に浸れる作品と観る。
実写とアニメのギャップ。
美しくファンタジーあふれる夢心地なアニメ世界の、しかしながら行き詰まり退廃的でどこか影がつきまとう雰囲気。暗い現実の、しかしながら不思議な安心感。
どちらを自身の現実として生きるか、迫るにいずれも帯に短したすきに長しで、悩ましいところが暗に何かを言わんとしているようで絶妙だった。
他にも多数あろうが「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」と基本的設定は似ている、と理解しなおしたとたん見やすくなっている。
時代が追いつき昨今のAI 事情とリアルに絡む分、
作品もその存在はひとつ模擬人格であり、
そこには確かにアイデンティティ(著作権)がある、と本作から理解できる。
なりたい姿(他の著作物)で生きる世界はつまり、
自由なようで自身のアイデンティティを放棄した生ける屍の世界ではなかろうか。
冒頭に記述した退廃的な雰囲気の原因をそう考える。
これをネット上のアバターと考えるとなおさら仄暗い。
そして物語のラストも。
どう考えてもトム・クルーズ的アニメキャラがチラチラ出入りしていて、
ちょっとニヤけながら見てしまったw
出鱈目過ぎるアニメ。
・SFじゃない。ただのファンタジー。
・アメリカやイギリスが制作に加わっていないようだが、何故英語を喋っているのか?
・ミラマウントナガサキって日系企業。そのCEOが暗殺されるって事は日本アニメに対する黄禍論。
・薄気味悪い世界。この世界の外にはこの世界を拒否した人がいると言う設定。僕ならこのアニメの世界、5分と持たない。目の隈が目立つ者ばかり。
さて、アニメから代わった実写の人々の現実に対する象徴なのか?どちらにしても、こんな世界が来るわけがない。現実が終わる時はやはり破壊であり、民間会社ではなく、統治者や行政、司法等の三権分立の問題だ。
アニメを現実逃避として捉えているのが、とんでもない誤解。やはり、日本アニメの質の高さに胸がはれる。
・演者がデジタル化される件は事実だ。だから、ハリウッドでストが決行されている。
・結局、彼女は現実逃避する道を選ぶ。情けない。
・貧困と格差が無くならない社会で、その社会から現実逃避する結末を結論としてしまうのは、演出家が、ホロコーストを経験した国の人だけに、大変に残念である。
もし、現実逃避を否定的に描いているのなら、もう少しダイレクトに表現してもらいたい。理解するまでに沢山の無駄な死を見る亊になる。
Ari Folman監督が描く近未来の世界はdystopiaなのか、それとも…
前半は痛烈な現代マスメディア(とくにハリウッド業界)批判、後半は一転してアニメーションを通じてドラックとXRに覆われた近未来の世界を描いている。
そこでは人びとがなりたい人物になりきることが可能な世界であり、他人とのコミュニケーションも問題なくできて、容易に自己実現が可能な世界。
大半の人びとは拡張現実の世界で生きているが、一握りのエスタブリッシュ層だけがまさに「天空」の世界で現実世界を生きている。
極端な所得格差で分断された社会と「見たいものだけを見る」世界はすでに今ここに在る世界であり、この作品で描かれている世界はその延長線上に過ぎない。むしろその社会課題の解決策を提示しているともいえる。
この作品で描かれている世界はディストピアなのか。近未来の向こう側からみれば、こちら側の現実世界がディストピアとみえなくもないのではないかと。
向こうにみえる景色がディストピアかユートピアかはそれぞれの主観的価値観にもとづくものであり、ヒトの主観的価値にもとづく課題はTechnologies によって十二分に補完できるというのがPeter A.Thielの主張で、その主張は直接間接問わず社会に受け入れられつつある。
この作品を通じて、私たちはこれからどのような社会を迎えたいのか、個人個人が考えて周りの人と議論することは決して無駄なことではないと思う。
面白い映像ではあるけれど・・
ロビン・ライトが実名で登場してるのが面白い。
前半の実写パートは、ひょっとしたら未来にはこんなCG俳優も出てくるのかしら?と思わせる内容で興味深かった。
で、後半のアニメ映像がこの作品の肝だとは思うんだけど、正直退屈で途中少しだけ寝てしまった。。
そもそも、一度薬飲んで視覚がアニメ化してしまったら元に戻れない、という設定がよくわからない。
(途中1回元に戻るけど、最後があの映像ってことはこの映画の中では基本戻れない設定なんだろうと思う。)
たぶんヒッピー文化のマリファナ使ったときのサイケな幻覚がこんな感じなんだろうなー、と想像はできたんだけど、幻覚見たような経験も無いし、別に経験したいとも思わないので、アニメパートは退屈でしかなかった。ストーリー的に全部アニメじゃなきゃいけない必然性もなかった。
最後も無理やり親子愛でまとめた感じで物足りなかったし、もう少し違うアニメの使い方すれば、もっと面白くなったんじゃないかな・・。残念。
ってことで、★3つです。
観終わって切なくなった
内容はさておき
私も主人公と同じ母親なので後半は
どうしても主人公の中の母性を観てしまい
ラストの彼女の行動はやむをえないと思った
(ラストは難しくてあまり理解できなかったが)
観終わって心に切なさが残り続けている
薬でアニメの心地よい空間をさまようのは
やはりみな孤独だからなのだろうか?
主人公のとった最後の行動をみると
そうとも考えられる
まずしいなかでも愛するもの仲間がいえば
インチキ仮想空間で楽しまなくても
生きていけるのかもしれない
近い未来
苦しいことが起きると仮想現実に
浸り続けるなんてことがおこるのだろうか
奇才アリ・フォルマン
題名は着想を得た原作名からの引用で映画自体は会議ものではありません。
ロビン・ライトが自身の役名で落ち目のハリウッド女優を演じていますが実際の私生活を批判しているような老マネージャーの暴言にドキュメントか?と思ってしまいます。人物紹介が終わったあとハリウッドの映画作りの風刺へと矛先が変ります。唐突におとぎ話のようなアニメーションの世界にトリップしてからはアニメーションで往年のスターを描きこんだり遊び心満載です、しかし油断禁物、映画会社の社名には和名が加わり社長は和服、顔はビルゲイツ、演説様式はヒットラー、監督の日頃の疑念やホロコーストへの怨念が垣間見えます。考えすぎでしょうがアニメ手法採用も巨大化したディズニープロへの物言いかとも勘ぐりたくなります。
未来では映画産業は終焉しドラッグによる仮想現実という流れですが描かれる現実自体が仮想なのかリアルなのか混沌として早く実写に戻してと祈りたくなります。
戻ってからがまたすごい、未来社会の側面は貧民窟並みの退廃さ、いきなり死生観を問うようなシリアスなテーマに様変わり。
脳がやられるのではないと怖くなるほどの奇抜なプロットと卓越した表現力に脱帽です。
中盤のアニメが長い
なんとも難解な話だと思いながら観ていて、終わってから知った。「ソラリス」と同じ原作者。どうりでって感じ。難しい話が嫌いなひとには絶対におすすめしません。
実写の部分はとてもよくて、でもこの話で2時間も続くかなと思ってたら、アニメのところでかなり引き伸ばした印象を受けた。あそこはもっとシンプルにできたと思う。
あと、アメリカだからやっぱりアニメの質がよくなくて、日本でつくったらもっといいものになっただろうなと思ってしまった。
なぜアニメ?
名前が似ている(?)というだけで未来世紀ブラジルみたいな映画を想像していましたが、完全な誤解。これは映像軽視な気がします。CGが題材になっているくらいですから、後半の全然かわいくないアニメに代わって、CGを使うくらいのカネはかけてほしかったです。でなきゃ、これ、あえて映画にする必要あります?
後半からビックリな展開
主演のR・ライトを認識していると皮肉タップリで余計に楽しめる。
映画「ステート・オブ・グレース」にも触れているし個人的には「シーズ・ソー・ラブリー」の印象があるR・ライト。
映画の半分がアニメーションになるのは正直、驚いたし絵が好みだったので良かった。
大胆な発想に演出が素晴らしい。
なりたい自分
「なりたい自分になる」というCMが前に良く流されていました。
「ユーキャンでなりたい自分になる」
なんだ、通信教育のCMだったら、もしかするとなりたい自分になるには無駄な努力が必要かもしれないな。
しかし、この作品で描かれる「なりたい自分」になるには努力は必要ありません。娯楽薬があれば、十分です。
娯楽薬。
全てを自分の都合通りに夢見させてくれる魔法の薬。見渡せば、私の周りは「思考停止」というドラッグだらけ。「あの人」「この人」を盲信する世界では、自分という存在は絶対的に無視しなくてはいけない、そんな現代。
しかし、思考を停止させたユートピアの先には必ず、直視できないデストピアが待っています。思考を無視すれば、それはすなわち、私は存在しないも同じ。私は、誰かの人生を生きるだけの生きた屍。
アリ監督は、自己の不在という恐ろしい現実空間へ、ポップなアニメーションという仮想空間を通じて私をいざないます。私は果たして今、存在しているのか?
スキャンの話はどこへ?
前半の、スキャンすれば女優の仕事しなくていいってくだりがメインのように予告してたけどそこじゃなかったですね。
アニメから現実に出てくるまで謎だらけでポカーンってしてました。
アニメ部分長過ぎて飽きました。
現実と仮想現実のすり合わせが不十分
2015/11/05、シネマ ジャック&ベティで鑑賞。
俳優の姿をスキャンして現実の俳優は使わずにCGに置き換えて演技させてしまおうという近未来の話。その技術が高じた結果一般人までもが望みの姿で生きられるということが可能になるが、それはまやかしだった。
果たしてそんな世界がユートピアと言えるのか、そして母の息子への愛が作品のテーマだと思うけど、テーマは好きな部類なので期待して観に行ったのですが、アニメに変わったあたりからが残念。
この世界に生活感がないんです。マトリックスはコンピュータが世界を支配していましたが、この世界ではあくまで現実側で生きている人間が管理しているようなので、どう経済を回しているのかとか、ちょっといろいろ無理がある設定。
アニメーターを解雇したパラマウント社やハリウッドへの批判が込められているらしいけど、それは観る側には関係ないし。
仮想現実まで実写で作るほど予算がなかったのかもしれないけど、それなら戦場でワルツをみたいに前編アニメにしたほうが良かったかも。
飲み込みづらい
アニメパートになると、なんでこんな表現なの?と戸惑うばかりだった。実写での映像化が難しかったのか、アニメで表現したかったのか、事情は分からないが、アニメで表現しなくてはならない必然があるとは思えなかった。その後、眠りから目覚めてからアニメになっていた方が腑に落ちるのではないだろうか。
ただ、アニメの世界を拒否する薬を飲んだら、みんなホームレス同然の亡者のようになっていたのは衝撃的だった。
人類の大半が右習えでその価値観に浸るというのは無理があるように思う。ドラッグやうつ病の薬が発展しただけだという説明があったが、それを使っているのは一部の人だけだ。あたかも映画やエンターテイメントに人類が浸りきっているような表現だったが、オレの周りでは映画館で映画をみるのはごく一部でゲームをする人も多くない。その業界にいる人にはそう見えているのかな。表現が極端で腑に落ちない。
かわいいアニメみたいな絵にそんなになりたいだろうか。オレは全然なりたくない。価値観を押しつけられているようで気分が悪かった。
ハーベイ・カイテルよかった。
脳内をジャックされる映画。
ロビン・ライトの号泣アップで、映画は始まります。
"ロビン俺を見ろ。俺が君を愛しているのは知ってるだろ?"
声の主はアル(ハーベイ・カイテル)。ロビンのマネージャーです。アルは続けます。君は選択を間違えたと。
lousy choice!
lousy movie!
lousy man!
酷い選択、酷い映画、酷い男!
君は24歳の子供だったけど、輝く未来へ続く扉がいくつも開いてた。けれどそれを君は、全部ぶっ壊した(字幕なしで見てたので俺流翻訳です)。
それを聞きながら、ロビンは号泣してるんです。
あれ?と思いませんか?役名はロビン・ライトで、女優さんもロビン・ライト。
確かロビンは24歳頃「フォレスト・ガンプ」のヒロイン役で、スターになるんじゃない?と思われたのもつかの間、あの、あの、あの、ショーン・ペンと結婚して子供が出来て、その後も映画に出演するも、鳴かず飛ばず。気付けば44歳。
そう、このアルは、ロビン・ライトのリアル人生を言ってるんです。
別のシーンでははっきりと、「フォレスト・ガンプに出てた」と言われています。
間違いなく、本人役なんです。ロビンのお子さんは、難病を患ってないようなので、この部分はフィクションです。ですが、他は本当のことです。lousy manとか(笑)度肝!
映画会社"ミラマウント"に「もう女優としては旬を過ぎたし、データ保存させてよ。こっちで勝手にデータで映画作るから」って言われてるんです。"ミラマウント……、社名にも、悪意感じますねー!
そう本作はハリウットに対する痛烈な批判が隠されて、いや、全面に押し出されてるんですよ。だって今だって、俳優さんの一部をCGにしてたりしますよね?だったら演技なんかいらんやん?俳優なんかいらんやん?って話です。
ロビンはデータを売って20年後、ミラマウントから「ホテル・ミラマウント」で行われる会議に招待されます。でもそこに入れるのは、「アニメーション」だけ。
ロビンが鼻からすっと薬を吸い込むと、自分自身も周りも、ビビットなアニメ風景に変わります。それも今風なCGではなく、ノスタルジックな手書きアニメーション!凄い!
落ち着く。動きが可愛い。ドン、ドドン、っていう可愛く軽快で、でもどこか不穏なスコアの煽り感も素晴らしい。急にぶわーって、脳内にイマジネーションが広がるのを感じます。大好きなシーンです!
このアニメは「スーパーマン」「ベティ・ブープ」「ポパイ」で、当時はディズニーとアニメ界の双璧だったフライシャー兄弟を模して制作されました。
また世界観は、今敏監督の「パプリカ」「東京ゴッドファーザーズ」からのインスパイアらしいです。なるほどと思います。
あれ?と思いませんか?そうフライシャー兄弟と、映画会社パラマウントの軋轢は有名ですよね?結局パラマウントは、フライシャー兄弟を社から追い出してしまいました。
本作に登場する映画界の"悪"の象徴「ミラマウント社」って、間違いなくパラマウントですよね?
ロビンは会議が行われる「ミラマウント・ホテル」に到着します。
そこには薬を服用した人達が沢山いるんですけど、なんかおかしいんです。
ジョン・ウェイン
マリリン・モンロー
エルビス・プレスリー
フリーダ・カーロ
トップガン姿のトム・クルーズ
みたいな人がいる。
というのもこの薬は、ミラマウント・ナガサキ(日本企業らしい)が製造した新たな娯楽薬で、自分の好きなようにストーリーも創造できて、その中の好きな登場人物になれるというもの。もう映画を作って観客に公開する時代ではない。観客の自由意思で物語りを作ればいい!
だってハリウッド映画なんかストーリーは陳腐で、ほぼCGだろ?制作やめて、ドラッグ作ったらいいやん!ってアリ・フォルマン監督の声が聞こえたような気がしました。
ロビンはある意味ユートピアにいます。でもユートピアなんですが、どこか違和感があって不穏な雰囲気があるんです。
ここから目覚めた!が、しかし夢。目覚めた!が、しかし夢の繰り返し、アニメと実写の使いわけで、現実と幻想の境目が分からなくなる、多層世界に引き摺り込まれます。
そんな中で、ロビンを現実に引き留めるのは息子への愛です。
流れる「forever young」の歌詞が、テーマに深く関わっています。
私はこの曲を勘違いしていました。若くありたい女性の歌じゃないんだ!
久々に脳内をジャックされました!
映画を観てる時は、私の次元でも、映画の次元でもなく、双方の次元が融合して別のパラレルワールドができあがる。そこに私はいるんだ!と、ずっと思っていたんですが、本作のアニメーションパートが、それを表現してくれて嬉しかった!
アリ監督が「誰もがパラレルワールドに生きていると考えています。良い映画とはこの2つの世界を一つにしてくれるものだと思います」と答えていて、やっぱり!分かってくれてる!と興奮しました。
また先日観た「チャッピー」と同じく、死の定義をどこにもってくるか?とか、そもそもそれすらなくなった場合、果たして人生の価値はどう変化するか?
未来を見つめて、考えさせられました。最近、未来ばかり見ています(笑)
本作は、去年「東京アニメアワードフェスティバル」コンペティション部門でグランプリを受賞しましたが、やっとやっと配給会社さんがつきました。良かった!
実はお話した通りハリウッド批判をしておりますので、当然出資は得られず。アリ監督は、イスラエル・ドイツ・ポーランド・ルクセンブルク・フランス・ベルギーで資金集めし、そしたらその国にお金を落とさなくてはいけないので、アニメーションを各国に発注したようです。
当然、絵にばらつきがでます。その調整が大変だったようですよ。
ほんと、配給会社の「東風+gnome」さん、拾ってくれてありがとう!
実はアリ監督には少し思い入れがあります。前作「戦場でワルツを」も衝撃的でしたが、そうではなくて。
「日本でヒットして欲しい。日本にはSFファンも多いし、変な人も多いから」
みたいなことを言ってて、またまた監督分かってるなーと、変人の私は大興奮です。
公開を例の30年待ったハリウッド映画と同じ日にしてるのにも、配給会社さんの気概を感じます(勝手に)。
とにかく、全力でお勧めします!!
(手をいっぱい広げて)こんぐれーの不思議
とても不思議な映画だった。体調は決して悪くはないのに、睡魔に襲われるしかし、それは決してつまらない映画なのではなく、音楽も相俟って夢うつつの世界を何度も往復している内に本当の自分との境界線があやふやになっていくようなそんな気持ちにさせるのだ。
色々なアイロニーがこもっているテーマでもある。デジタルの世界が進めばもう自分が必要ではなくなるだろうし、そのデジタルでさえも、ケミカルなモノを使えば、リアリティさえも必要としなくなる。その先にはキアヌリーブスの世界、、、あ、だから台詞の中にあったんだw
主人公はフォレストガンプの女優。そのまま自分役を演じている。その曖昧さがまた芝居と現実との境をぼやかしてしまう。そのぼやかしが妙に心地よい。
結局、ラストの部分は何を訴えたかったのか、理解は出来なかったが、でもそれでこの映画は完結するものだとおもう。
空の青さ、雲の位置、沢山のエキストラ、どこまでが実写でどこまでがアニメ・・・
パンする毎に切り替わるその不確かなイメージ。とても新鮮でとても夢のような映画だった。
劇場を出た後に見るビルや草木や人間が幻に思える
シネマテークが上映してくれたおかげで、名古屋でも鑑賞できた。この狙っていない難解さが堪らなく心地よい。面倒なので現実か幻かなどこの際どうでもよい。
絶妙なバランスで悪趣味に仕上げられたアニメパートは普段の退屈な日常から解放させてくれる。私からすれば映画を見ていない現実こそ悪夢そのものなので、こういうバッドトリップ映画は心の救いである。
アートでおしゃれな映画だったらどうしようと不安だったが、いざみていると真面目でかなりしっかりしているけど、やっぱり馬鹿な面もあるヘンテコな内容で満足。
誰にも薦める必要はないだろうが、「俺は好きだよ?」と言いたくなる嫌いになれない映画なのは確かである。
バッドトリップ感は味わえる
ほぼ予備知識なし劇場で鑑賞。
始まってから話がどっちに進むのかと思っていたら、オオッという感じで中盤パートに侵入。こちらの戸惑い、困惑をよそに物語は進む。そして終盤に再度驚きがあり、考えさせられるラストへ。
ううむ、これは変だ。ここ数年で1,2を争うぐらいの奇妙な映画。解説とか読まないとわからない系。柳下毅一郎が監修してると聞いて観ようと思ったのだけども。
アニメパートがタッチも好みでないし、技術も高い訳ではなく正直眠たくなった。間延びしたシーン多いと思う。
前半出てた息子やアル(ハーベイ・カイテル)が後半絡んで来ないのも残念(そこが良かったのに)
テーマは面白いし実験的精神は嫌いじゃないのだが、映画としてまとまりや完成度を考えると星2つってとこです。
全27件中、1~20件目を表示