ザ・トライブのレビュー・感想・評価
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強烈な描写。まさに呑まれた。
伝える力、受け取る力
まずは他の方も触れている通り、字幕や吹き替えなど一切なしの全編手話で構成された物語です。主軸をティーンエイジャーの刹那的な愛と憎悪に主題を置きながらも、ワンカット長回しや非常に乾いた暴力描写は息を飲むほどに圧倒されます。
今作を見て一番に感じたことはタイトルにした、伝える力、受け取る力ということ、本作の登場人物は伝えることを全くと言っていいほど信用していない。これでもかというくらい激しく伝えたいことを伝えたい相手に向ける。受け取る側も手話で伝える言葉なんざ全く信用せずに何度も何度も聞き返す。まるでその相手を切り刻むように手話を駆使して相手に思いを伝えていきます。
私たちが普段使用する最も基本的なコミニュケーションツール「言語」私たちはいつの間にか言語に頼りきりになってないだろうか?伝える力、受け取る力を言語に任せてしまってないだろうか?そんなことを考えさせられる作品でした。今年は映画の当たり年ですね。
追記 エリックゾンカの「S」を思い出しました。
難しかったけど…
前もって「この映画の言語は手話です」という情報は入っていたし、それなりに「集中して観よう!」と意気込んでいたけど、やっぱり私なんぞに手話が理解できるわけがなく。
売春や暴力が当たり前にある、無法地帯の聾唖学校が舞台。
役者はみんな本当に聾者らしい。
彼らは目で見て相手の言葉を理解し、全身を使って相手に言葉を発する。
考えてみたけど、こんなに手話がきちんと、なおかつ激しく使われているのを見たのは初めてかもしれない。
理解できるできないは別にして、案外すんなり手話は私の中に入ってきた。
それでもやはり何を言っているかわからないし、彼らは言葉を発しないのにずっと“うるさかった”。
夜中に階段を駆け下りるのだって、普通は音を立てないように慎重に行くだろうに、彼らはそんなのおかまいなし。こっちがハラハラしてしまう。
ラストに向かってヒートアップしていくので、ストーリーがわからなくても私は飽きずに見れた。
ラストは、それまでの無法地帯が優しく見えるほど、衝撃的。
会話劇
まずはじめに、手話がひとつの言語であることを、私たちは忘れてはならない。
全編手話というのは、物珍しいかもしれない、字幕がないのに物語を感じることができて凄いのかもしれない。
だが、その前に手話はひとつの言語であったから、わたしにはそれが会話劇にしか見えなかった。
聾唖者の生きる世界に、残酷で汚い一面があるということを取り上げたことについては、確かに驚きつつ苦しくなりつつといった感じではありましたが、、、
あーもううるさいよ!というほどには言葉のシャワーだった気がします。
ただ、ラストシーン、音が聞こえない彼だからこその行動で身震いしました。
ティーンの闇は、どこにでもあるなあと。。トレインスポッティングを思い出しました。
嫌な気持ちをした人ほど御褒美が大きい
見てすぐに『わらの犬』を連想。冒頭から手話というコミュニケーション手段がいかに我が強いものか思い知らされる。ほぼほぼ全編嫌な気持ちにさせられるが、それらを我慢して抑圧された不満をぶちまけるラストの爽快感を迎えエクスタシーそのものを感じる。
不思議と箪笥で頭がペチャンコになっても観客としては何の罪悪感もなかった。
個人的にはハッピーエンドであり、監督が敬愛するというラース・フォン・トリアーの作品のようにプツ切れでおわるのでなくしっかりと話を終わらせている点も素晴らしい。
あとは、たくましい後ろ姿をカメラで追うという撮影手法は心を高ぶらせると再認識。鈍器を手に持つと更に良し!
それに縦移動と横移動のカメラワークをこうも反復すると中々癖になる心地よさがあり。
バイオレンスはギャスパー・ノエとか韓国映画とかレフンとか割りと90年代以降の映画の影響が感じられ、変にシネフィルっぽくなく好きなものをやりたいという願望を体現しているようで非常に好感が持てた。この作品以上のものを作るのは結構難しいと思うが、次回作にはもっと期待したい。
わからんけどわかる。。。
レビューを見て急遽見ることにした映画
映画の最初で字幕がなくて手話のみでの映画だと知らされる
ストーリーについていけるか不安で
はじめは???
でも不思議とわかるんですよね
出演者全員がろう者なんですね
激しい手話と発せられる悲鳴、ビンタビンタビンタ
登場人物に聞こえない音もしっかり作品に入っている
衝撃衝撃衝撃!!で画面を見れないような場面もあったけど
最後の階段を降りる足音が今でも耳に残っています
疑問なところが色々あったけど
自分なりの身振り手振りから受けた情報
それだけで評価するのも新しくて大事にしていいものだと思いました
全編手話
吐きそう
簡単には変えられない認識
聾唖者たちの物語である。全編セリフなし。外国映画ではあるけれども字幕なし。BGMもない。
登場人物たちの会話は手話。音声から聞こえてくるのは、足音や扉を閉める音。我々の生きている世界から人の声を消去すると、おおよそこのような世界が広がるのではないと思わせる。
しかし、このような世界に生きる聾唖の若者たちは、身も蓋も無いほどに人間社会の欲望を体現している。
人の声が聞こえない分、人の世の灰汁に触れることも少なかろうという、障害者への眼差しはここにはない。むしろ、彼らの金銭や性への欲望はあけすけに描かれる。
そしてなにより非情なのは、聾唖学校の寄宿生の社会には厳然とした階層が存在することである。寄宿舎の部屋によって所属階層は明らかで、逆に階層からの脱落は、部屋を移らなければならないこととして描かれる。
もしも、障害を持った若者たちが平等に仲良く生活を送っているなどという甘ったるい幻想を観客が抱いていたとすれば、この幻想は徹底的に粉砕されるだろう。そこには、障害者の存在もその一部であるはずの人間社会の残酷な一面が描かれているのだ。
衝撃のラストは、主人公が彼ら聾唖者自身の弱点を突いたもの。彼は自分が生きている社会の矛盾を暴力で一気に解決することを選ぶ。
映画は終始問いかけてくる。我々の社会は彼らを内包しているのか。この物語は我々の世界の物語なのか。それとも別世界の話なのか。聾唖者たちを素材にしながら、映画が我々の生きている社会を映していることは間違いない。
聾唖者がこの映画を観たらどんなことを考えるのだろう。このような問いが頭に浮かぶ時点で、私の固定観念はまだこの作品を観る前と変わっていない。障害者への眼差しが固定化され変化させることが難しいものであるという自己認識を迫られる。
観たことがない映画!
無音に導かれ暗闇の中へ進んで行く少年少女達。
静かな『衝動』
マイノリティ・リポート
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