アデライン、100年目の恋のレビュー・感想・評価
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なかなかどうして
お話の筋は知っていましたが、なかなか観れないでいました。思っていたよりかなり良かったです。 ヒロインが余り好みの顔立ちではなく、気持ちが入って行かないかなぁ、と思いつつ鑑賞しましたが、気にならなかったです。 素晴らしいスタイルにウットリしつつ、話が進みハリソン・フォードが、、、胸いっぱいなヒロインの表情にやられました。特に本人だとハリソン・フォードが気付くシーンはグッときました。。。 娘さんとのやり取りもなんだかじーんときました。。。 長いこと生きていると、ついつい、若いっていいな、とか思ってしまいます。その年になって初めて知る自由さと不自由さとか…。普通に歩いてても足がカクッときたり。 白髪はいやだけど、確かにエイジングサインとして、自覚しつつしっかりと生きていくのに必要なのかな、と思えば人生の戦友と思える…かな?…いや〜なかなか…。 エイジングサインを勲章と思えたらいいですね。
【人によって、時の流れは違う。時に偶然の出来事により身体の老化が止まったとしても。ブレイク・ライヴリーの美しさが際立つ、時を超えたラブ・ストーリー。ハリソン・フォードが良い味を出しています。】
ー 100年を超えて、真実の愛を見つける、数奇な運命に見舞われた美しき不老の女性のラブストーリー - ■事故の際に、水中に没したアデライン(ブレイク・ライブリー)は一度は心臓が止まるも雷が落ち、奇跡的に生き返る。(DNA電子圧縮論) 29歳の姿のまま老いなくなったアデラインは、愛犬とひとり娘フレミングだけを心の支えに、名前と住居を変えながら100歳を超える今日まで孤独に生きてきた。 そんなある日、美しい青年エリスと出会い惹かれていくアデラインだが。 ◆感想<Caution!内容に触れています。> ・奇想天外な設定であるが、それを感じさせない優雅で高貴な不老のアデラインを演じるブレイク・ライブリーの美しさが作品を支えている。 ー 羨ましいぞ!ライアン・レイノルズ!!- ・年が経るたびに、名前を変え、住所を変えて生きるアデライン。だが、その心には寂しさが詰まっていた。 ー ひとり娘フレミングにしか伝えていない真実。恋をしても、途中で姿を消さざるを得ない孤独な生活・・。ー ・だが、あるパーティで出会ったエリス(ミキール・ハースマン)と目が合った時に恋に落ちる二人。アデラインは秘密を抱えつつも、彼の人柄に惹かれて行くのである。 ■そして、エリスの実家に行った時に出会ったエリスの父ウィリアム(ハリソン・フォード)がアデラインを見た時の驚愕の表情。 ナント、ウィリアムは何十年も前にアデラインと出会い、恋に落ちていたのである。 ウーム。親子で同じ女性に恋をするとは・・。血筋ですね。 ・ウィリアムは疑心暗鬼だったが、アデラインの手の傷を見て確信するのである。 ”その傷は僕とピクニックに行った時に負った傷だよね!!” ・アデラインは、ウィリアム家から逃げようと車を飛ばすが(前半、アデラインがスピード狂である事が活かされている。)事故に遭い、車外に放り出された彼女の心臓は止まる。 ー だが、駆け付けた救急隊の電気ショックにより、蘇生したアデラインはエリスと共に生きる事を決めるのである。- <秀逸なのは、アデラインがエリスと出かける際に、鏡で身なりを確認した時に見つけた一本の白髪を抜き取るシーンである。 それは、彼女が最早、不老の身では無くなった事を意味し、更に言えばエリスと共に愛しながら老いて行くことを暗示しているのである。 まるで、ウィリアムが40年連れ添った妻、キャシーを愛するが如く・・。 今作は、奇想天外な設定乍ら、観るモノに幸福感を与えてくれるラブ・ストーリーなのである。>
老いていくことの素晴らしさ
不老不死という憧れを抱く人も少なくないと思う。 しかし…。 自分の子供よりも老いずにいて、幸せなのだろか…。 生命の限界があるからこそ、やれること、成し遂げる目標が出来、生きる意味を知ることが出来るのではないかと思わせてくれる。
大人向けおとぎ話
きれいな景色とブレイク・ライヴリーの美しさが見どころ。景色は緑が本当にきれいに撮れていたと思う。 そして天文学がおとぎ話をさらに盛り上げる。上空からの撮影はそういう意味もあったのかな。 彗星への名付けは男の最大のロマンといったところか。
シンプルだけど美しい
長いこと見る機会を逃して ようやく鑑賞、 見だしたら一気見! 特にハリソンフォードが出てきてから おもしろい! 馬のジョークはよく分からなかった 出てくる人みんないい人だから なんかいい気分で見終われます 犬のところで号泣…
29才でストップがミソ
59才ではこうはいかないし、ぽっちゃりさんでもだめだよね。子持ちのシングルマザーって、映画でよく描かれるのは低賃金のウェートレスとかほかにも副業持ってそうだけどなぜかイギリスにわたって4か国語も話せる??先見の明があって株で成功してお金には困ってないらしいけど、ドレスアップしてホテルで優雅に食事し、10年ごとに引っ越し、転職??そんなにほいほい良い職業見つかりますかね。しかもお給料よさそうな職場。。そこでめぐり逢ったお相手は事業に成功したイケメン。普通なら絶対彼を狙ってる女性が回りにうようよいるはずなのにそんな様子もなく。主人公の年を取らない以外の状況がまるっきり現実味がない上に、主人公の顔が好みでなく、この映画がそんなに高評価なのが不思議。結局は地球と彗星のめぐり逢いと恋のめぐり逢いを掛けたところがアクセントという以外、特にどうってことのない映画でした。
悲しい運命の展開の果て
劇場で観て以来2回目の鑑賞。ブレイクライヴリーの美しい姿を見かけて思わず観たよ。ブレイクライヴリー扮するアデラインボウマンは、事故に合って以来老化しなくなってしまったと言うミステリアスな展開。 美しい29歳の姿のまま100年以上も生きていると愛する娘は既に老婆になっていた。あろう事か、かつてプロポーズしようとしていたハリソンフォード扮するウイリアムジョーンズの息子を愛する因果に。 ストーリーを完全に忘れていたが、悲しい運命を送ったアデラインに引き込まれたね。
もう少し何かが欲しかった
寝落ちせず耐えれたのはアデラインの美しさゆえなのかも。自分だけ不老だと政府に追われなくとも孤独だよね。もっと切なく、もっと恋しい映画だったらよかったな。アマプラの★7.2に期待しすぎたかな。
不老不死になった経緯の表現が邦画のようだ
そこそこ面白かったのだが、 邦画でよくある、現象をまるごと説明する部分…「その時~には~が起こった」的な説明、正直無い方が良い 邦画ではよく、いかに不思議な事が起ころうと なぜか原因が解ったり、 正確な分析されて今後どうなるかまでが予測される展開となることが多い。 この現象は何時間後に消滅する、とか、こうしないと大変な状況になる、とか、 そんな事ばかり。 前例のない事や不思議な事が起きたら、「さっぱり分からん」が当たり前では? そういう理屈っぽいシナリオは裏設定にありさえすれば良く、説明する必要はない。 ファンタジー要素が嫌いなのではなく、どうせ稚拙なこじつけでしかない設定を さも真理のように表現する事に閉口する。 それさえなければと思う映画は多い。 「黄泉がえり」などがいい例。あれ(技術解析場面)さえ無ければ泣けたと思う。 この映画でも最後に 彗星に絡めた説明をするが、これこそが蛇足。 ファンタジーは、どうせフィクションなんだから曖昧のままで良いと思う。
事故によって歳を取らない体になってしまった女性。 娘を守るため別々...
事故によって歳を取らない体になってしまった女性。 娘を守るため別々に暮らし、名前を変えて生活していた。 恋をしても一緒に歳を取れないということで全てを諦めていた。 諦めた恋の男性の息子に恋をする。 ラストも素敵だった。きれいにまとまった良いラブストーリーだった。 歳老いた娘が出てきて、外見は若い母親の気持ちを受け止め応援し支える。そんな設定もなんか良かった。心温まりました。
歳をとることは悪くないかも?
恋愛系はあまり鑑賞しないが、歳をとらない女性という設定が面白かったため鑑賞。 ブレイク・ライブリーの綺麗なことと言ったら…ため息出るほど美しかった。これはどの時代でも異性に好意を持たれるなと。 他の作品でも綺麗なのは分かるがこの作品はより美しさが際立っていて撮り方なのかメイクなのか不思議な感情さえ抱いてしまう。 これはあまり鑑賞しない理由でもあるが、恋愛系は大どんでん返しもなく淡々と進んで終わるイメージがある。しかしこの映画はこのイメージとは違いとても楽しめた。 ネタバレになるので細かく言わないがあるシーンでは泣いてしまった。
おしい
これは何ともおしい。 漫画、ポーの一族に通じる物があり、 脚本と監督が違えば、化ける作品てはないのかと、思った。 ナレーションが落ち着いて、とても良く、本当におしい。 作り方が違えば、号泣する作品だと… でも、良い作品でした。
ひとは年をとるんです
じぶんが50歳になったら、50歳らしく生きているだろう──と思っていた。 いや、そもそも、若いときには、じぶんが50歳になったときを想像はしない。 若さとは、そういう思慮をする時期じゃないので。 でもなんとなく、じぶんが年を食ったら、それなりに相応なところへ落ち着いている──そう漠然と思っていた。 年をとると、どうなるかと言うと──かずかずのしっぱいを経て、同じ轍を踏まないようにはなる──が、それでもときには同じしっぱいをする。そして嗜好とか、きほんてきに耳目の向くところは若いころのままである。 20歳のしょくんは、50歳のおっさんやおばさんにもなれば、もうゲームなんかで遊んではいないだろう──と思っているにちがいない。 んなことはない。 世間様には隠しているが、壮年のにんげんとて、ゲームやデジタルガジェットや甘いお菓子や「誰某がノーバンで投げた」話題にきょうみしんしんである。 日本・日本人は、まったくそれを自覚していないが、この惑星で老人比率がもっとも高い国が日本である。わたしが政治家だったら死ねる国日本を標榜する。よく少子高齢化対策をうんぬんする政治家がいるが──あんたばかですか──そんなのもう間に合わない。30年前から間に合わなかった。 日本は死を合法化してコンパクトな社会になるほか策はない。この先だれもが100歳まで生きるのです。わたしのような無教養なにんげんでさえ──この先この国の全員が100歳まで生きること──の行き着く先を想像できる。 だから65歳あたりで死ねる権利をあたえる法律が必要なんです。これってバカっぽい意見・こうとうむけいな話・アホくさい空論・現実を見ていない姥捨山──ですか? それしかないと思います。かならず尊厳がたわごとになる時代がやってきます。 (65歳になったら終わりたい。ペシミズム?とんでもない。「じゅうぶん生きたんでもういい」はたんなる選択で悲観じゃない。高尚な死生観が鼻くそになる時代が間もなくやってくる。とわたしは思っています。) (健康で資産があるなら、終わる年齢は70でも80でもいいが、要は、意識がしっかりしている時にみずから終わらせることができる権限がほしい──ということ。 ちなみに自○というのは社会・他人様に迷惑をかけるだけ。わたし/あなたの汚れて匂いたつ屍体(ばあいによっては細切れの肉片)を、いったい誰が処理したいですか──という話。) 総人口の三分の一3650万人が65歳以上である。むかしは三分の一のまえに約を付けるのが通例だった。いまはもう付かない。そんな国にもかかわらず社会では壮年・老齢者をおっさんおばさん老害などと呼んでつまはじきにしている。国民の意識のなかでさえ、年を食った者を忌避・嫌悪している国でありながら、この惑星で老齢者割合がもっとも高い──というカオス。 さいきん犯罪が高年齢化したなあ──とか思っていませんか。老害やめろとか思っていませんか。いやいや。稼働人口の大半が高年齢者なのです。この国で生きてる人の大半が老人なのです。 そして、そんな高年齢者が、むかしのときのまんまの嗜好をたずさえている──のです。 じぶんは落ち着いている──つもり、ではある。でも一般論として、にんげんは年を食って利口になったり落ち着いたりなんてしない。たんに行動半径が狭まって、おいたをする面積が減るだけ──(この国では)すくなくともそんな自覚が必要だと思っている。 映画アデラインでもっとも得難いポイントは年をとることが肯定されていること。 年を取らない女ゆえ、構造として「人と違って年を取れない女」にトランスフォームされている──のだが「年を取らないこと」は人類が希求してやまない究極の願望である。 ゆえに人類の願望が「女の身におきた不遇」にトランスフォーム(変換・反転)されてしまっている──それが本作のもっとも魅力的なポイント。 鏡よ鏡せかいでいちばん美しいのはだあれ──人類はお伽話さえ経年劣化に拮抗してきたのにアデラインでは年を取らないのが厄災になっている──その反転の構造をとくに反転を感じることなく物語に入り込める。 とりわけかつての知人に出会ってびっくりされるとき。現実世界でわたし/あなたが昔の知人にあったとき「ぜんぜん変わんないねえ」と言われたら──その嬉しさがそのままシーンになっている楽しさ。 加えて物語の本質はアデラインの賢さにある。 冒頭から年を取らない素性を隠して生きる──をアデラインは実践している。説明が大胆に端折られているが、アデラインは年を取らないのが社会では疎隔されることを学習して今に至っている──わけ。つまり、年を取らない──をたんにラッキーと捉える馬鹿なら物語は成立しない、という話。 アデラインの賢さは映画そのものの賢さでもあり、しかもかのじょを演じるのがブレイクライブリー。──楽しい映画だった。
世界観がとても好き
他のレビューを見て、見るかどうかとても迷いましたが見ることにしました。 わたしとしては、この映画の世界観にとても魅了されました。何か科学では説明できないものたちがぶつかり合うような、感じでした。 そして、何が幸せというものなのか考えさせられました。
時間の経過をさりげなく見事に描いた傑作
もし、若いときに理由も告げられずに振られた女性がいて、その女性が50年後に目の前に現れたら?若いときのまま、年をとらずに。 そんな演技を身体で理解して、自然に演じることができる俳優が居るとしたら、ハリソン・フォードをおいて他には居ないだろう そのくらい、見事な再会の場面の演技だった。 ブレイク・ライブリーは若いのに、ハリソンの演技に引っ張られて、思いがけない再会に伴う、とても複雑な感情をあらわにした。 驚いたのは、ハリソン・フォードの若いときを演じたアンソニー・イングルーバーという俳優が、実はハリソンの物まねが得意で、まるで彼が若返ったようにしか見えないこと。スターウォーズのスピンオフを撮るなら、ヤング・ハン・ソロは彼でやって欲しい。というくらい似ている。 ブレイクの演技はともすれば平板で、抑揚の無いものに映るが、見かけとは別に、精神が年をとっていくとしたらきっとこうなるだろう。親しいものを失う悲しみを、最大限の感情の振幅で表現している。それでもどこかに、覚悟と経験と芯の強さを秘めた抑制の効いた名演だ。「ロスト・バケーション」で、一気にキャリアがブレイクしたように思ったが、「ゴシップガール」で積み上げてきた経験が生きているのだろう。ドラマは見たことが無かったけど、彼女の演技を目当てにちょっと見てみたいとも思った。 順調にキャリアを重ねていけば、数年内にオスカー女優になってしまうんじゃないかというくらい、彼女には期待している。 残念ながら、100年生きた女性には見えないほど、若すぎて、深みとか、滋味のようなものが感じられないのが唯一欠けているものだろうか。 「ベンジャミン・バトン」はブラッド・ピットがキャリアの円熟期に演じて、「枯れない花」を表現した。ブレイクは比較的浅いキャリアで、「枯れない花」をやったが、今後も繰り返し彼女のキャリアに重なってくるテーマだろうと予感する。それほど見事な演技で、最近ではいちばんのお気に入りの女優さんになった。 かなしくて、素敵な、現代のおとぎ話だった。 2016.8.26
壮観なストーリー
夜空に瞬く星座、時を超えて、再び出逢うロマンス、深い愛情を感じました✨ 主演のブレイク・ライブリーのフェミニンな魅力を醸し出されていました。 彗星に付けられた女性の名前が、再び甦る愛を表現していました。 ハリソン・フォードも、個性光る演技でした。愛犬の存在も、愛しいマスコットのようでした。 彗星の鼓動を感じ取りました✨ エンディングの歌詞にもう一度新しくとありましたが、生まれ変わっても、変わらずに人を愛する気持ちが伝わってきました。 お勧めしてくださったフォロワーの方 見られて良かったです。
二番煎じとウザイ配役
まぁよくある話だが、魅力的なアデラインでなんとかもっていた。しかしそれもハリソンフォードのでしゃばりで全てが白けました。まさに老害。
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