わたしに会うまでの1600キロのレビュー・感想・評価
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何度でも立ち上がって前へ進むこと、、、
他の方も指摘されている通り邦題の相変わらずの悪さを象徴した作品w
いらんこというなw
まあそれは他の作品でもよくあること。
今作はまあ自分探しの旅にフラッとでかけたニュアンスで観たら結構違ったw
主人公のシェリルの事がわかるまでに結構時間がかかる。
冒頭からいろいろなシーンが回想されて、まあ一人で歩き続け、一人で眠り、色々な場面で思い出すこともあるだろうが、本当にシーンが多くてつなぎ合わせていくのが一苦労w
母の死が原因なのはわかるが、トレイルを始めようとして専用の一式を揃えているのに、コンロの燃料の種類を間違えるかね?ww
しかもコンロに切れて蹴っ飛ばすw
インターネットが無いとはいえ、いや、あんたが悪いよw
でも自暴自棄になったのも、突然旅に出たのも、少なくとも理解はできる。
ドラッグやセックス依存になるのは少し「?」だが、人を無くした悼みはその人しかわからないし、彼女の回想シーンで出てくる母親は素敵な女性そのもの。
そしてよくできた母だ。辛くないわけがない。
シェリルは神を信じているのかはわからないが、弟と奇跡が起きるように心から祈っていた。
旅の中でいろいろな人と出会うが、いまいちパッとしない人ばっかりw
女性のハイカーと出会ってもテンション上がって、終わりw
そんなものなのか?
PCTがどんな感じなのか、日本人には検討もつかないが過酷なのはある程度伝わってきたが保養所みたいなところもあり、極地ではなさそうなので比較的ドロップアウトも容易そうな感じもした。
しかしなら最後までやり抜く強さは大したものだが、途中までは死んでもいいのかもと言う投げやりな気持ちもあったのかもしれない。
主演のリース・ウィザースプーンの演技はかなりの入り込みようだし、口も態度も非常に悪いw
これがどこまで脚色されているのかは不明だが、最後まで彼女に寄り添っていた夫は本当に愛していたのであろう。
長い距離や過酷な旅路なのは理解できたが、そんなに大きな出来事が起こることもなく、回想シーンで途切れていくので少し飛ばし気味な感じもしたが、徐々にトレイルに慣れてきたのか、自分への自信なのか一歩一歩に力強さや誇り等を感じられた。
ラストの少年とのやり取りには熱いものがあった。
見る時期やタイミングが合えば非常に素晴らしい作品になったのかもしれない。
また自分を見つめ直す時や、自分を赦す時に観てもいいのかもしれない。
WILD
わたしはとても好きな映画の一つになりました。
母親と過ごしていた日々の自分と母親を失ってからの自分。
失ってからなにもかもだめになり、
それが心底嫌になった。そんな時にみつけたPCT。
(変わりたい!という気持ちで始めたというよりも、半分罰を与えたようにも感じました。)
そしてその中で色んな人に出会うけれど、子どもに会うところで彼女は自分にも言えることを男の子にもいう。
みんな問題があるけど、ずっと問題ではなくて、変わると。
PCTを歩き終える頃には自分を許してあげる、自分にごめんねという。そういう考えに変わり。
自分の母親はこんな人に私を育てたんじゃない、
現実と理想の自分との差、
それを許せるようになる。
だめだめでも自分が自分を許せたら。
前を向ける。前に進める。
自分勝手だなって思った
実際はどうだったか知りませんが、結局途中男と寝るしw
自分探しとか言いながら、ストイックさも感じられない・・・
自分勝手な生き方しておいて、「もうあなたの名前は書かない、前をむく」とか自己完結していくのは、自己再生ではなくて自己満足では?
歩いた距離が大切ではなくて、どんな気持ちで歩いたかが大切なのに、結局男と寝たりするから評価下げざるを得ない。
セックス描写が多すぎて、あまり好感もてませんでした。
1600キロの先には、きっと何かがある
1600キロと言うと日本列島のおよそ半分。
その距離に該当するPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)と呼ばれる長距離自然歩道に挑戦する女性。
サイズの合わない靴に足を痛めながら。
詰め込み過ぎた重たいリュックをやっと背負いながら。
ほぼ一人旅。話し相手もおらず、道中心の中でブツブツ独り言、毒舌、悪態。
灼熱の荒野もあれば極寒の雪山も。
何故、こんな事をしているのか。
動機は説明されず始まるが、時折挿入される回想シーンから徐々にその経緯、背景が分かってくる。
夫を裏切った。
クスリに溺れた。
これだけならただのビッチ。
自暴自棄になったその理由。
最愛の母が居た。
明るく優しく、溢れんばかりの愛情で包み込んでくれた母の死に耐えきれなかった。
母が誇りに思ってくれた自分を取り戻す為に…。
実在の女性シェリル・ストレイドの自伝。
自ら立ち上げたプロダクションでプロデュースも兼ねて主演。
リース・ウィザースプーンの熱演と意気込みには、オスカーを受賞した「ウォーク・ザ・ライン」を超えるものを感じた。
母親のローラ・ダーンも劇中のヒロインさながら忘れ難い。
これまた邦題が良くない。
これじゃあハートフルな作品と勘違いしてしまう。
「ダラス・バイヤーズクラブ」の監督、ウィザースプーンとダーンがオスカーにノミネートされた力作。
単なる生温い自分探しの旅じゃない。
何度も辞めようと思った険しい道は、これまで歩んで来た悲しみ、苦しみ。
1600キロの先には、きっと何かがある。
自分探しで自己完結。うーん、なんだかなぁ。
楽しめなかったです。致命的なのは主人公に全くもって感情移入できない点。できた人物だった母親の死からドラッグ、セックス依存症になり、離婚をしたのをきっかけにパシフィックなんちゃらトレイルに挑戦するというお話なんですが・・・母親の死以外全部自業自得なんですよねー。
私自身も20歳前後で母親を亡くし、海外放浪してトレッキングは散々やって、さすがに依存症になった事はないですが、辛い離婚も経験しているので、この話に共感できる部分もあるのかなと思って観に行ったのですが・・・全くダメでした。
キャラクターが好きになれないと、今度は荒が気になってきてしまい、「靴転がしたら拾い行けよっ、自然を汚すんじゃねぇ!!」とか「自分が持てない荷物運ぼうとするなよ。1600キロもあるトレイルに挑戦するならちょっとは事前に勉強しとけ!!」とかどうでもいい事が気になってしまい、なんだか観ているのがかったるかったです。映画自体も過去の出来事が途中で挿入されるタイプなのでスムーズに進まないですし、うーん、正直微妙でした。
目標達成して勝手に前向きになるのはいいんですが、迷惑かけた人達に対して反省はないんですよねー、この人。自己完結しただけ。実話がベースみたいですが、モデルになった人がこの映画の通りの人物だったら絶対仲良くなれないなぁと思った次第です。
サンティアゴ・デ・コンポステーラはヨーロッパ お遍路は日本
パシフィッククレストトレイル(PCT)というメキシコ国境からアメリカ経由、カナダ国境までアメリカ西海岸を南北に徒歩で縦走するハイキングである。ハイキングとは言え山や川、砂漠を越える、自然と天候を敵に回しながら、その旅人をさながら哲学者に変える程の精神的肉体的な過酷さを乗り越える旅であるとのこと。
その神を感じる位の旅を、母親の死を乗り越えることができない主人公の女性が挑む一種のロードムービーである。
母親の広い愛の理由が分からないまま、母親の夭逝により、自暴自棄になった主人公がドラッグと性欲に溺れ切り、旦那を裏切り、全てを失った時、部屋に飾ってあったPTCの風景写真をみてこの苦行を参加してみる決意をする。
勿論、登山など一つもやったこともない、しかも女性一人の行動。無謀としかいいようがないハイクだが、ある意味死んでも良い程のやけっぱちの気持ちが大部分であったが、歩きを続ける内、自分の浅はかさ、家族の愛、そして自然の雄大さに心が癒され、ありのままを受容れていき、どんどん強くなっていく。
メーターを振り切ってしまうと、その逆バンクもまた然り。人間の精神とは興味深いモノである。
荒んだ心が徐々に整われ、そして真理を見出す機微は、過酷な自然から学んでいくことが最良であることを作品は物語っている。
とても優等生なストーリーで、正直、見ていて眉唾みたいなものは否めない。そんなに単純に人間は変わることがあるだろうかと・・・ 正論なので表だって否定はしないが、とはいえあまりにも素直すぎるかなと思うのは、自分の歪んだ性格の性質なのだろう。
主人公のテーマソングである『コンドルは飛んでいく』、そのほか、そのシーンにマッチした曲がBGMとして、又は主人公の口ずさむエフェクトをかけながら流れる曲がストーリーに色つけをしていて演出は秀逸である。
これ位、素直な人間だったら、私も変われるのだろうなぁと、羨ましく思えた作品であった。
タイトルなし(ネタバレ)
自分探しで女の一生じた実話系映画。
主人公はいろいろあってトレイルへ。
まぁこのいろいろって言うのに引っ張られて、トレイルを歩きながら過去と向き合いながら色々な人と出会い助けられながら少しずつ気持ちが整理されていくロードムービー。
日本で作るなら、仕事と男と家族に疲れたバツイチOLがお遍路か日本一周かアルプス縦走に出るみたいなはなし。
俺も北海道で水場なくて赤い虫浮いた池の水ガーゼで濾して煮沸して飲んだ事あるし、アウトドアの描写は普通。
自分としっかり向き合う様に歩く主人公は、強いし何も解決してないけどプラスになったラストはハッピーエンド、何でも結果オーライ。
映画としては単調、ロードムービー何でそこは仕方ない。
己を知り強くなる。
偉大なる母の精神が娘に及ぼした影響はことのほか大きく、
そんな母の死で娘の結婚生活はものの見事に破綻していく。
でもそれは、母親のせいでも何でもなくて、アンタ本人が
弱いからでしょ?と私のような捻くれオバサンは常に思う。
そこで娘は自分探しの旅に出るのだが(こういうのが嫌いで)
自分探しをする人間ほどもう見えている自分から逃げようと
しているとしか思えない。その最中をそこで乗り越えて新た
な人生を模索できるのが自分に残された力(発見)なのになぁ。
だから、環境云々、旅云々、に託けて逃げた自分を脚色して
カッコ良く人生訓を並べる女性連中をいやらしく感じていた。
…なんて煩い愚痴を散々頭に描きながら観てみたのだったが、
歳をとっても可愛いリースと、このお母さん素敵!なローラ
の組み合わせといい、PCTの過酷な大自然の偉大さといい、
背後に流れる音楽といい、ほぼパーフェクトな仕上がりだ。
母親は苦労して自分と弟を女手一つで育ててくれたが、その
人生訓は見事なまでに決して後ろを振り向かず前進あるのみ。
後悔しない生き方はその人の性格にも因るが、そもそも自身
で選びとった人生なのだから、失敗すれば責任も自分にある
というのをきっちり分かっている女性だったんだろうと思う。
自分もそんな生き方をしたかったのに、娘は母が望んだ自分
になれないことを恥じ自堕落な方向へと堕ちていってしまう。
そこを支えてくれた夫をも裏切り、まぁホントに酷い生き方
をしてきた自分をこのPCTで変えるぞ!と意気込んだ物語。
過酷な旅中で彼女は真っ黒な身体で真っ白な自分を取り戻す。
リースの体当たり演技は素晴らしいが、何やかやで容姿とか、
女を利用して得をする場面が多く、そこに嘘がないのはいい。
(その後現在が語られ写真も登場、なるほどご本人も美人だ~)
旅行記としてはいいが
自叙伝がベースということで、忠実に再現しようとしたのか、焦点がぼやけてしまったように感じた。旅先で行きずりの男と寝たシーンはどういう意味があったのだろう。身体中アザだらけということを見せたかったのだろうか。原作にあったのだろうがあのシーンはいらなかったと思う。化粧品を試してみるシーンで再起を、過ぎた行程のガイドブックを破りとるシーンは過去との決別を示しているようで良かったと思うのだが。
執着を捨てる旅
1600km歩いたその道程を描いた映画。
人によっていろいろな受け止め方があると思う。
あの母親は、理想的な母親みたいな感じもするけど、なにかひっかかる。
そのひっかかるところに主人公はイラついていたのかも知れない。
母親を強く愛すると共に嫌ってもいて、嫌っていたからこそ、母が亡くなったあとに立ち直れないほどの激しい罪悪感に苛まれてしまったのかも。
あまりに巨大な母親の愛は、人を支配してしまう。死んだ後でさえも。
主人公の変化が象徴的に描かれるシーンがたくさんある。
スタートするとき、馬鹿馬鹿しいほどの巨大な荷物を背負い、それを意地でも運ぼうとする。
旅の途中でアドバイスされ、荷物を減らすことを覚える。
旅の最後では、スタートとは見違えるほどの軽くなった荷物を軽快に運ぶ。
必要なくなった本は燃やせ、とアドバイスされるが、がんとしてこばむ。
しかしそのこだわりはいつか消え、平気で燃やせるようになる。
ビーチに行くたびに書いていた元夫の名前は、書かなくなる。
元夫からの荷物や手紙も気にしなくなる。
これらは全て、主人公が抱えていた執着を徐々に手放す過程のように見える。
そして、最も重要な執着である、母親の愛。それは、野狐に象徴されているように思える。
主人公は偶然出会った野狐に、愛を求める。しかし狐は逃げ、主人公は絶叫する。
旅の最後、現れた野狐を、もう主人公は追うことはしない。逃げるなら、逃げるままにする。
ありのままの自分を受け入れ、ありのままの世界を受け入れる。その末に、自然な活力と他人への思いやりがあふれてくる。
なんだかまるで仏教の教えのような映画に見えた。
邦題の1600キロは、さして重要ではない
ドラッグに溺れ、堕ちるところまで堕ちた人が自力で這い上がった稀有な例と言えるかもしれない。主人公・シェリルの記憶には常に母親の存在があり、母子のエピソードが随所に映像に差し込まれる。その何気ないカットのひとつひとつに、母子の絆が見えるのだ。同時に彼女の不遇の時代も写し、歩き続ける理由に説得力を与える。
旅の醍醐味である、善い人たちとの出会いがおもしろみを持って描かれています。
女ひとりに対し、得体の知れない男たちとの危険が潜む紙一重なシチュエーションも緊張感と共に。シェリルがハイカーとしてたくましくなっていく画もしっかりと。
どんなに辛くても常に明るく振る舞い、いいことだけをピックアップして前を向いて生きていく。母の教えに気付き、辿り着いた彼女にとっての旅のゴールが“神の橋”(Bridge of the Gods)である。そこに過度な演出はなく、決して感動的には描かれていませんが、シェリルの達成感に充ち満ちた表情がすべてを物語っているのです。良作。
母からの自立のお話
シェリルは母を愛しすぎたゆえに、母の死に耐え切れず自暴自棄になります。
優しい夫がいるのに、他の男とやりまくり、ドラッグにおぼれました。
母への思慕がシェリルより薄いわたしですので、そりゃ母が死ねば悲しいとおもうでしょうが、その時が来たな、という受け止め方で、おそらく一週間もすれば見た目には日常に戻れます。だって、人はいつか死ぬんだし、死ぬための人生なんだし。
なので、シェリルの行動は共感できません。
死んでいく母を直視できず逃げ回る弟も、理解できません。
母が45歳ならばシェリルと弟は20代前半でしょうか?下手すれば弟は10代ですかね。
まぁ、何も手につかなくなるかもしれないのは想像できますが。
そんなにおかしくなるものかな?愛した人が死ぬのって。死んだ人が愛してくれた自分を愛せないのが、その人への冒涜だとなぜわからないのかな?
わたしが愛した人を亡くした経験がないからわからないのかな?
そのようなことを思いながら見ていました。
自暴自棄から何とか立ち上がりたいとPTCという自然道を踏破する旅に、シェリルは導かれていきます。
時々差し込まれる過去のフラッシュバックと、もののけ姫のこだまのように森に現れる母と対峙する旅だったのでしょう。
ローラダーン演じる母は、確かに素晴らしい人だと思いますが、シェリルにとってはある種の呪いになっていたように思えました。
オプティミストで深い愛情を惜しみなく与えてくれる存在に、頼りきっていた子供。もっといえば依存です。
最後まで母を否定しませんでしたが、否定してはじめて母と娘ではなく、人としてボビーとつながれるのでは?
依存したまま、母に取り込まれたままで息苦しくないのかな?と思いました。
仲良し親子を訝しく思う私はその様に思いました。
旅の道程は興味深かったです。
爪は剥がれるし、荷物は多すぎ、大蛇が怖いし。
でも自然は美しかった。砂漠でさえ美しく見えました。
小さな出会いもいくつかあり、それぞれに心温まるかんじでした(ボウフラの水溜りの男を除く)。
雨の森で出会った男の子の歌がよくって泣けました。レッドリバーバレー。なんでこのメロデイ知ってるのかなわたし。
美しさの中に身を置くという母の言葉がでてきましたが、それは納得。
つか、母の言葉はどれも含蓄のあるもので、いいんですけど、身近にすごすぎる人がいたら凡人は自分の価値を見つけられないのかな?とか思いました。
シェリルはなんで母を愛しているのに、亡霊にしてしまったんかな?そこが理解できないというか、想像できませんでした。
今でも全くです。
回想の差し込み方が、カフェドフロールに似てるなーとおもいました。さすが同じ監督です。
リースウィザースプーンの裸体がアラフォーらしくて生々しかったです。
元夫が優しい人でしたね。
旅後に結婚したんは誰やったんやろ?元夫ちゃうんかな?
旅の途中で出会った女性が原作者らしいと、後で知りました。顔覚えてねえよ。エンドロールの写真は覚えてるけど。
以下は劇場での出来事で、本編には無関係ですが、
同じ列に60から70くらいの歳の女性2人が座りましてね。最初っから声がでかいし、床に水滴があったらしいのですが、大した水滴でもないのに騒いで席の譲り合い。それだけで聞こえるこっちはイライラしてたんですが…
なんと、そのうちの一人が予告上映のうちに寝たんですよ!いびきかいて!
いびきが本当に気になりました。
連れの人は本編始まってから起こしよったので、本編始まってからそいつらは会話をしました。大変イライラしました。
でもすぐまた寝てましたわ。
寝るぐらいなら来るなよ。1100円払って寝に来て、人に迷惑かけんなよ、思いました。
老人のマナーがわたし許せない。
子供や若い子より老人!!
気付いてしまう
たった独りで険しい山道、雪道、砂漠を歩いた女性の物語。何故歩いたのか、何を思ったのか、何に出会い、何に気付いたのか、物語がすすむにつれて私は彼女を知ってゆく。
彼女が抱えた喪失感が美しく、哀しく、残酷に描かれていく中で私は気付いてしまった「私はまだ何も乗り越えていない」と。
主人公はどんな状態であろうと真っ直ぐに向き合う、だから辿り着いた先で望んでいた物を見つけるのだろう。
主人公を演じたリース・ウィザースプーンはやはり素晴らしいが、母を演じたローラ・ダーンの笑顔が魅力的で心を奪われる。
「良いところだけを見るのは難しいけれど、価値はある」
サイモンとガーファンクルの音楽が心に沁みる
How wild it was, to let it be.邦題のお節介感が酷い。
私が一番嫌いな、邦題のパターンです。
観客と映画の間に割り込んで、勝手に答えを押し付ける感。
息子が彼女と部屋にいるからって、やたらお茶やケーキやらお菓子やらをちょくちょく持ってくるママ感。
いいから、放っておいて!いちゃいちゃしたいの!
パシフィック・クレイスト・トレイル(長い自然遊歩道)に挑んだ主人公シェリル(リース・ウィザースプーン)が、最後に到達するであろう答えも、歩いてる理由も、邦題にご丁寧につけちゃう!
しかしその答え、間違えてるからね!
なので今からこの映画のタイトルは原題の"WILD"に変更していいですか?
シェリルが何故この長い道を歩くのか?過去と現在が交差し、少しずつ理由が分かってくる構成なのに!もう、邦題(しつこいですね。すみません)!
シェリルは母親(ローラ・ダーン)の死を受け入れられずドラッグに溺れ、結婚生活も破綻。そして女性にとっては一番辛いことを経験し、初めて"私はこんなんじゃない"と思う。
「だから歩く!」
そして一歩、一歩と、砂埃舞う砂漠や、雪山を進んでいきます。その距離1600キロ。3ヶ月。実話です。
リース・ウィザースプーンがぶつぶつ言いながら歩く姿が、いいんですよ!
「F*CK F*CK F*CK !こんなんいつだって止められる。止められるんだ!なんでこんなことしようと思ったんだろう?なんでだろう(字幕なしで観たので勝手な意訳です)?」
足の爪が割れ、悲鳴と共にもぎ取った瞬間に、ブーツが崖下に落下!いらっ!ってきて、もう一方のブーツも投げ捨て「F*CK YOU BI*CH!!うわああああああああーーーー!!!!」
の、叫び声の冒頭から、良作の予感です(笑)
そして裏切らない。むっちゃ面白いです。
そしてリースを、初めて可愛いと思いました。
原題の"wild"はラスト"How wild it was, to let it be."の台詞からきていると思います。
あ、ネタバレすみません。
邦題の分も合わせて、謝ります。すみません。
※最後の台詞を訳すと、完全なるネタバレになるので止めます。
ただこの旅を通して彼女がWILDになった訳でも(そういう意味のWILDではありません。比喩的なWILDです)、変わった訳でもないことだけは分かると思います。
自然も母も偉大
母の死を乗り越えられずにいた主人公が人生をリセットする意味合いを込めてトレイルでアメリカの大自然を歩く。
これだけの話を前のめりに魅せる力はさすがです。
主役のシェリル演じたリースウェザースプーンがアカデミーにノミネートされてましたが、同じくノミネートされた母親役のローラダーンが素晴らしかった。
あのお母さんが亡くなったらそりゃ悲しいよ、自分を見失うよと納得する愛らしさ。
そして、夫や友達でも癒せなかったその喪失感を、自然はリセットする力を持っている。
母親も自然も偉大だと改めて感じる作品。
でも、自然でリセットするって、先進国である程度底辺を味わったりしないとわからない感覚かも。そこになんとなく傲慢さや違和感も感じる。
自分を変えれることってできるんですね。
試写会で観賞してきました。
バードマンにはまってからフォックスサーチライトさんの映画に興味が湧き、応募したところ、素敵なトークイベントもあり、満足行く会になりました。
文才はないので、主観的な感想だけ...
1人の女性が独りで1600キロの大自然を90日以上かけてただ歩く。
そんな彼女には色んな過去があった。それらを断ち切りたい、忘れたいから歩く話と思ってたけど、違う。
最終的に感じたのは自らを認め、あるがままを受け入れることが伝わってきました。
また、数々の格言が出てきて、まさに彼女の心中と欠片ほどの希望を言葉に詰めていて素敵でした。
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