劇場公開日 2015年8月28日

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「自分を巡礼する旅」わたしに会うまでの1600キロ 鰐さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0自分を巡礼する旅

2015年8月29日
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鑑賞方法:映画館

 ジャン=マルク・ヴァレは「感覚」を大事にしたがる人なのかもしれない。音、肌触り、痛み、それらをヴィジュアリスティックに回想と混ぜることで独特の食感を創りだす。前作『ダラス・バイヤーズ・クラブ』でも印象的な使い方をやった「耳鳴り」を、本作でも使用している。だから、この映画は感じられればそれでいいのだと思う。過去の苦さと現在の辛さ、それらが渾然となって紡ぎだされる不思議な甘みを映像として用意してくれたのだから、物語なんて実はどうでもいいのかもしれない。
 主人公はただ歩く。思い出しながら、歩く。彼女の歩くパシフィック・クレスト・トレイルは、原題にもある通りワイルドな自然に満ちた道ではあるんだけれど、文明のあらゆる要素を否定しにかかるほど凶悪な自然じゃない。
 むしろ、ある程度まで舗装された、人工的な道だ。獣道みたいなところは多少あるにしても、各所に表示されている目印を追えば迷うことはない。人里から離れているものの、人間そのものから隔絶されているという感じはない。一定の距離ごとには停泊所みたいなキャンプ場があって、荷物を整理したり郵便を受け取ったりもできる。そのほどよいワイルドさが彼女にとって良いのだと思う。
 では彼女は自分を甘やかしているのかといえば、そんなことはない。実のところ、旅を始めるまえから充分に打ちひしがれている。母親を若くして失い、薬物に溺れ、堕胎し、夫と別れ、PCT用の荷物を買ってしまえば全財産は残り20セント。
 16000キロを踏破したところで、その先に何があるわけでもない。ステイタスだけ見れば、踏破前と踏破後で何も変わらないのだ。
 でも、彼女は変わる。いや、答えは最初から知っていた。「病苦と栄誉をもたらす根は一緒」と大学時代に既に教わっていた。問題はそれをどう自分の身体に沈着させるかだ。文字通り、どう「生を実感」するか、だ。
 野生動物と遭遇することで自らの内なる野生を認識する、というのはハリウッドでは使い古されたテリング技法だけれど、彼女にとって必要なのは自らに襲い掛かってて食らうかもしれない自然ではない(彼女に恐怖を与えるのはいつも人間の男だ)。
 どう人間と向き合うか、だ。家族、恋人、友人、他人、自分自身とどう距離をとっていくか。JMVはそれを撮る。

鰐