あんのレビュー・感想・評価
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悲しい病気
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どら焼き屋をしてる長瀬のもとに、樹木が雇って欲しいと言って来る。
高齢のため断ったところ、自作のあんこを持って来た。
食べてみると異常においしく、採用決定。
樹木はプロの職人のように仕事熱心で、接客も出来た。
こうしてどら焼き屋は行列店になる。
しかし樹木は手の指が変形していて、それは昔ハンセン病だったせいだった。
伝染はしないので問題ないのだが、風評被害で客は全く来なくなる。
こうして樹木は店をやめ、彼女を守れなかった長瀬は自分を責める。
店の常連で樹木とも親しくなってた中学生に誘われ、久々に樹木のもとへ。
実は風評を広めたのはこの中学生の母だった模様。
長瀬は実はキレて暴力沙汰を起こし相手に後遺症を負わせた過去があり、
刑務所を経て今の店で雇われてた。雇い主は賠償金を肩代わりしてくれた人。
でもその人はもう死んでて、今はその嫁の浅田美代子だった。
そして浅田が甥をその店に入れ、鉄板焼店に改装するとか言い出す。
自暴自棄になる長瀬だったが、中学生に誘われまた樹木のもとへ。
でも樹木は死んでた。そして音声メッセージとあんを作る道具を残してた。
長瀬は桜が好きだった樹木を思い出しながら、
花見の席でどら焼きを売り出す。
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樹木希林追悼で劇場上映されたので見て来た。
特別に面白かったわけではないが、色々考えさせられた。
そして樹木希林、この名女優を失ったのは大きな損失やなって思った。
しかしこの映画、ちょっと難し過ぎるとこないかい?おれがアホなだけ?
ハンセン病は伝染しないって知識がないから、よく分からん部分があった。
あと風評を広めたのは本当に中学生の母だったのか?とか、
家出した中学生は結局戻ったのか?とか、
そのオカンとの事後エピソードは?とか。
樹木希林は自ら店を去ったのか、長瀬がやむを得ず首を切ったのかとか、
何故長瀬は樹木希林がやめるまで病気の件で話し合わなかったのかとかも謎。
刑務所から出た長瀬の借金を肩代わりした浅田の夫って誰?とか、
最後長瀬は浅田美代子の店をやめたのか?とか色々分からん。
それは見る側が考えてくれ、的なことなんかも知れんけど、
おれはそういうのは苦手で、ちゃんと表現して欲しいっていつも思うんよな。
あん
まずこのサイト映画.com『あん』と検索するとなんでこんなに下なの?
1番上じゃなきゃダメでしょ!
とても素敵な作品!
作品がどんな方向へ進むのか分からず穏やかな時間が流れました
賛否あるとは思いますが病気?差別?といった方向に物語が進行するのは…
もちろん視聴者の考えない方向に物語が進むのは大歓迎!
しかしこの作品の場合その内容を扱うには中途半端だと感じました
重いテーマを重く扱わないのが狙いだとは思いますが…
好みの問題ですが私には作品は優し過ぎました
無意識のうちの偏見
小豆の声を聴きながら、
大事にあんこを炊いて、
嬉しそうにどら焼きを頬張る徳江さんの姿が
ずっとこころに温かく残ります
無知ゆえの噂が
ひとりの人生を壊してしまうのは
やるせないですね
「らいらしいから、辞めさせて」
と言いに来た浅田美代子さん、
「ほんとう嫌な奴・・」
と思ってみてましたが、
現実では、こういう対応をする人が大半なのでは、、
とふと思いました
しかも、無意識に、悪気なく。
偏見や差別を生むのは、
「自分を守りたい、自分は違う」
という保守的な感情で、
いい人、悪い人の問題ではないのかと
だからこそ、
誤った情報と正しい情報を選別できる人間にならなくては、、
申し訳ないが、心には刺さらなかった。
題材は良いと思うし、樹木希林や永瀬正敏の演技もよかったが、内田伽羅の演技がどうも表情に乏しく、声の抑揚含めた表現力がなく、言葉を選ばずに言うと、棒読みであった。周りの演技が良いだけに、内田伽羅のパートになると、撮影している感がつよくなって、引いてしまった。
ああ、おばあちゃんと演技しているのね。という感じ。
題材はいいので、コネなんか使わずに、表現力で人選してほしかったという点で残念です。
自由を楽しむ
最初は永瀬正敏が何か凄い過去抱えているのだろうなと思いながら観ていたけど、まさか希林さんの方が壮絶な経験をされていたとは!収容所とか刑務所にいる様な生活だったのだろうね。
店長は自分で招いた過去、希林さんは自分ではどうしようもなかった過去。対照的だけど希林さんの鋭い五感、母性が息子のような年齢の店長を元気づけたいどうにかして助けたいと思ったのだろうね。どら焼き作りを通してみんなが幸せになれて良かった。時々笑えるようなセリフがあるのだけど全て不発に終わる感じ。希林さんの友人浅田美代子は嫌な役柄だった。お孫さんは初々しくてそれがいい感じでした。日本語だけじゃない生活をしているのかな?
お婆ちゃん
「私達はこの世を見る為に、聞く為に、生まれてきた。この世は、それだけを望んでいた。…だとすれば、何かになれなくても、私達には生きる意味があるのよ。」
樹木希林のメッセージ、遅ればせながら受け取りました。
映画ってやっぱり素晴らしい。
ハンセン病というものがあって、隔離されていた、というのは聞いたことはある。
ただ、96年て、最近じゃん。
なんだか昔のことと思って無関心に過ごしてきたが、そういうことに気づかせてくれる。
それだけでなく、きちんと生き方のヒントも与えてくれる。
この世は確かに生きにくいけれど、周りの事物に目を向ける、耳を傾ける。
そのくらいのことはできる。
それに意味があると考えられれば、そんなに難しいことではないと。
昼間の月に気づくこともなく過ごして来たが、ちょっと空を見上げてみよう。
お婆ちゃんを演じられる人が、絶えてしまった。
日本最後のお婆ちゃん女優のメッセージ、受け取りました。
樹木希林さんの偉大さと、差別意識のありかをあぶり出す
樹木希林さんの眼差しや声はどうしてこんなに優しいのか…。作中に出てくる吹き抜ける風や緑の景色みたいだ。神様がいて世界を作ったのなら樹木希林さんは神様に近いところにいるのではないかと思ったほど。
個人的に印象に残ったシーンをふたつ。
・「(どら春で働いた日々を思い返しながら)楽しかったぁ」と言う徳江さん(樹木さん)の表情。
店長・千太郎さんの哀しい目が気になって声をかけた、と後に徳江さんは言っていたけど「働いてみたかった」とどら春に来た時に話した言葉もきっと本当だ。
お店の店子として必要とされたり、接客したり、アイデアを出したり。
施設の中で過ごしてきた徳江さんにとっては本当に楽しかったのだろうな。そしてそこに高校生のアルバイトみたいなことすら許されなかった徳江さんやハンセン病患者たちの哀しい過去が見える。
・「よくわからないけど」
千太郎のオーナーの奥さんがハンセン病のことを話す時に言った言葉。
何気ない一言のようで、差別問題の根幹を表した言葉だと思った。だから印象に残った。
よくわからないから不安なのだ。本作でワカナがしていたみたいにちゃんと興味を持って調べれば実情は見えてくるのに。
断片的なマイナスイメージと、「よくわからないから」という不安で私たちはいとも簡単に差別したり、線を引いたり、排除したりしようとする。科学的な根拠のないイメージだけで。
そしてそれが差別されたり線を引かれた人をどれだけ哀しくさせ、あるいは窮地にすら陥れることを想像できない。
心ない噂で、大好きな職場を自ら去らざるを得なかった徳江さんのような人を生むことを知らない。
そしてそう思った瞬間それはブーメランになって自分のところに帰ってきた。もし作中で噂を聞いた私はどら焼きを買いに行かなくなったのではないか?
ワカナのようにちゃんと知ろうとすることができたか?と自分自身に問いかけてしまった。
本作を観て鼻水と共に流れまくった温かい涙の味と一緒に、私にささったブーメランの痛みはこのままにしておきたい。
あとこの映画のすごいと思ったところ。
直接的に表現せずに受け手に行間を読ませている(受け手を信用してくれているともいう)。
たとえばワカナの母親。序盤のほうにほんの少しワカナと母親の生活の様子や会話が挿入されるシーンがある(その時点では本筋には絡まない)。
そして話が進み、どら春に人が来なくなって徳江さんが去ったタイミングでワカナが千太郎に「徳江さんがハンセン病だと話した人が1人いる。(それは)お母さん」と言う。
ワカナの母がそれを誰かに噂で伝えているシーンはない。他の人たちが噂話してるシーンすらない。
でも観客は「あ、あの母はおそらく近所の人に話すのだろうな」と薄々感じる。序盤のシーンで私たちはワカナの母親のパーソナリティをある程度掴んでいるからだ。
本作はそういった説明があまりなされずカットや表情(たとえば指を触る徳江さんの指のカットで、徳江さんが自分が原因で来客が減り始めていることに気づいていることを表す)で悟らせることが多い。
わかりやすくするために説明のセリフや演出過多な作品が散見される中で、観客を信じてくれる監督やスタッフの姿勢に感動してしまった。
良い映画だった。千太郎役の永瀬正敏さんも素敵ね…!
あとどら焼き食べたくなった。徳江さんの粒あんが入ったどら焼き。
人生、いろいろね
言葉や樹々のざわめきや鳥の鳴き声、全てから存在感を感じて、とても静かでおだやかな映画なのにどんな賑やかな映画より満足感を得られました。
「ねぇてんちょさん、私達はこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすればなにかになれなくても、私達は、私達には生きる意味があるのよ。」
徳江さんの色々から、てんちょさんやワカナちゃんやマービーが救われたように、立派ななにかにならなくてはいけない、と思い込んで日々もがいて、なににもなれず籠の中にいた私もちょっぴり救われてしまった。
あん、はてんちょさんで、ワカナちゃんで、徳江さんで、私達、なのかなあ。
たくさん映画を観ていて、時々、この映画は心がなくなりそうな時、繰り返し繰り返し観たいと思う映画に出会うのですがこの映画はそのひとつになりました。
徳江さんに出会えてよかった。
樹木希林さんの小さな動きやことばの発し方、涙の流し方まで全てがだいすき。
あれほんとに演技なのか、、?とあとで思い出したらなんか笑っちゃう。
この映画を観て樹木希林さんの大ファンになりました。
もうこんな素晴らしい女優さんがこの世にいないのかと思うと寂しいなあ。万引き家族、日日是好日の希林さんもとてもすきでした。
徳江さんの「がんばりなさいよぉ〜」が耳にずっと残っていてうれしい。
この映画に20代半ばで出会えてよかった。
今出会えてよかったなあ。
隔離からの解放
本編を見るまでは、どら焼き屋さんの話かと思っていました。ところが、それだけではなく差別→偏見→隔離
そして、解放というかなり濃い内容でした。
ハンセン病患者はお墓を作ることも許されない、衝撃の内容でした。酷いかも知れないけど、浅田美代子のような反応が世間の代表なのでしょうね。
料理人を目指していたが、レストランでの修行が辛くて逃げ出した甥っ子の為に店を改装してお好み焼きとどら焼き屋にしようと提案したり、身内には甘々なのに、障害を持った他人には冷たい。
コレが世間の普通の対応かと寂しくなりました。
演技が深い!
だいぶネタバレ含みます。
感想を言うと、めっちゃ面白いです。
それは、エキサイトすると意味ではなく、傷だらけで不完全な登場人物達の人間ドラマとして、日本の実情を切り取る風刺として、そしてエンターテインメントとして他国でリメイク不可能な日本人にしか作れない映画だと感じたからです。
ハンセン病で半世紀も隔離されていた女性が小さなどら焼き屋で働くお話。
甘いものが苦手だけど、訳あってどら焼き屋で働いている永瀬正敏演じる店長が樹木希林演じる女性と出会い、人生を見つめ直していきます。
あんの作り方を学び、本当のどら焼きの美味しさとお店が繁盛する喜びを知った店長と生まれて初めて働く喜びを知った女性。
2人の表情が見る見る明るくなっていく描写はとても心温まります。
しかし、
常連の女の子がうっかり母親に女性の手のこと話した事がきっかけで噂が広まり、パタリと客足が途絶えてしまう。
世間のハンセン病に対する偏見と心ない仕打ちに翻弄され、女性は自ら身を引いてしまう。
どら焼き屋も経営者が業態を変えると言い出し、店長は意見する事も出来ない。
そして、女性は肺炎で亡くなってしまう…
悲しい映画と言ってしまえば其れまでだけど、そこから何を汲み取り感じ取るかは人それぞれな気がします。
少なくとも僕は、店長宛に残した音声を聞く限り、この女性はどら焼き屋で働けて幸せだったと思う。
2時間の映画で終始物静かで厳かな雰囲気ではあるもののついつい見入ってしまいました!
只、あんこを作るシーンであそこまで惹き込まれるとは思いませんでした。
やはり役者さんが素晴らしいですね。
樹木希林さんの演技は本当に凄いです。
とある老人のドキュメンタリーか?と思うくらい自然過ぎる演技に脱帽ですね!
永瀬正敏さんもリアクションが薄い役所であそこまで感情を表現できるのは凄いと思いました。
今回出演されてる樹木希林さんと市原悦子さん共にお亡くなりになったので映画界は大きな損失だと思いました。
今後こうした日本人にしか作れない作品をもっと量産していって欲しいですね!
世間の厳しさと守れなかったことへの内省
数年前から気になっていた作品。河瀬作品をいくつか拝見したが、これが一番伝わってきたし、一番感動した。
ケンカの仲裁で相手に障害を追わせてしまい、借金の肩代わりをした感じ悪い金持ちによって雇われ店長をしている千太郎、元ハンセン病患者で半世紀以上療養所で生活し、世間の冷たい眼をイヤというほど体感してきた徳江、闇を抱える中学生のワカナ、をめぐる話。
ある日バイト候補でやってきた徳江は確かな味で人気のどら焼きになるが、元ハンセン病ということが世間に知られ、バイトも追われ、店自体も経営も悪化していく。
徳江の先入観を持たずに「あん」の美味しさに感動してバイトとして雇うその純粋さを主軸に話が進むが、千太郎に感情移入してはいけないのではないか、と思いながら鑑賞していた。というのも、悲しい・悔しいなど次々にいろいろな感情が千太郎に押し寄せてくるが、千太郎自身も負い目を持つ。その自己内省をしてこそのどら焼き作りではないか。
そう思うと、フラットな状態で見ようと心がけた作品だった。こんなに感情をコントロールしながら見た作品は今までになかったのではないだろうか。
「てんちょさん、美味しいときには笑うのよ」
桜に囲まれたアパート。桜に囲まれたどら焼き屋“どら春”。なぜだか女子中学生が学校の帰り道に立ち寄りやすそうな店。ふらっとやってきた76歳の徳江はアルバイト募集の張り紙を見て、雇ってもらえないかと千太郎に懇願する。二度目に来たときには自家製の粒あんを持ってきて、その味にほれ込んだ千太郎は徳江を雇うことに。
大将の奥さん(浅田美代子)が辞めさせるように忠告するも、穏やかな口調だったためにそのまま徳江を雇っていた。常連で高校進学も諦めかけていたワカナ(内田伽羅)が先輩陽平(太賀)とハンセン病の資料を調べていた。時を同じくして、どら焼き屋の客も遠のいていった。静かに店を去っていった徳江。手紙を受け取った千太郎はワカナとともに徳江の住む療養所を訪れるのだった。
桜の季節から柊の季節を経てまた桜の季節で終わる作品。まるで主人公徳江の生きざまをそのまま季節の流れに乗せたかのような演出。2018年9月に亡くなった樹木希林の人生をも象徴するかのような映画になったのかもしれません。また市原悦子が2019年1月に後を追うかのように亡くなり、この映画の重みが増した。彼女たちが伝えたいことを全て受け止めることはできないにしても、政府がハンセン病患者に対して行った隔離という愚行は十分理解できた。
最近になっても知的障碍者に対する旧優生保護法が行った断種手術など、国内における差別政策が明らかになるのですが、まだまだ隠されたことがありそうです。季節の流れを樹木で表現していましたが、差別用語である「らい病」という言葉も前半は使われていたのに後半はすべて「ハンセン病」と言っていたことも印象に残ります。ワカナたちが興味を持って勉強し、自ら成長したことをも表わしていたかのようでした。
千太郎(永瀬正敏)自身も仲裁から加害者になったという傷害事件を悔いるエピソードも効果的でした。徳江の「陽の当たる社会に出たい」と思う気持ちが彼の中にもあったのです。しかし、徳江が彼の前に現れなければ一生暗い人生を送っていたに違いない。千太郎とワカナの人生に大きく関わったほど、徳江が残した功績、生きてきた証しを残したことに三度涙してしまいました。
異質なもの、少数派。
ハンセン病患者は、異質なもの(奇異な症状のため、周囲には恐ろしいという感情が強かっただろう)、少数派として、排除・隔離されてきた。自分の存在が否定される苦しみはどれほどだったろうか。
罪を犯し償ってきた主人公の千太郎には、共感するところが多かったのだろう。
彼への徳江の次の言葉は慰めを与えるものだったと思う。「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」
湾岸線に陽は昇る
丁寧かつ誠実に造られた物語であり、評判通りなかなかの名作だと感じました。
本作は、尊厳を抑圧されてきた人々の悲しみや静かな怒り、偏見や差別の醜さ、それでも制限された運命の中でどのような態度を取って生きるか、そして課せられたものに対して向かい合い応え続けることが財産となること、そして生の全肯定といったテーマが余すところなく描かれていると感じました。ややクドくベタな語り口でしたが、その方がキャッチーとも言えそうです。
そのような本作のキモはさんざん語られていると思いますので、今回は2点、かなり側面からの切り口で感想を述べていきます。
特に2点目の切り口はかなりマニアックで、自分語りも入るのでご容赦を。
①おばあちゃんアイドル映画
本作は日本を代表する2大おばあちゃん俳優が共演してます。樹木希林と市原悦子です。2人の共演は初めてらしいです。
後半、この2人が並ぶシーンは最高ですね!2人とも超かわゆい!新しい萌えポイントを開発された気分です。
市原悦子は正統派かわいいおばあちゃんだし、一方樹木希林はややクセがあるものの本作では彼女の穏やかな面が強調されているので味がある可愛さでした。市原悦子は洋装で樹木希林は和装(だったような?)と、キャラの違いもはっきりしており、それがまた良かったです。もう少し絡みがあり関係性がより伝わってくると、さらに萌え狂えたのですが。やや残念です。
『モリのいる場所』では山崎努がアイドル性を発揮していましたし、今後はおじいちゃん・おばあちゃんのアイドル映画が熱いような気がしてます。
②千太郎=ドリアン助川
(プチネタバレあり)
(しかも自分語り入ったウザめの超長文です、引き返すなら今のうちですよ!)
もう一人の主人公・千太郎は、私から見ると原作者・ドリアン助川の姿が色濃く投影されているように感じました。
ドリアン助川。元叫ぶ詩人の会。
ドリアン助川は私にとっての神々のひとり、いや、おそらく公人としてもっとも私が影響を受けた人物です。
90年代後半、ドリアン助川はなかなかに影響力を持った存在でした。
96年くらいからはじまった『金髪先生』という深夜のテレビ番組は、ドリアン助川が先生となり、洋楽の歌詞を翻訳していく内容でした。それまでディスクユニオンで売られてる正体不明の輸入版メロコアCDしか聴いていなかった私にとってこの番組は革命でした。この番組で私はスティングやコステロ、トム・ウェイツを知り、ボスやイーグルスの歌詞の深さに感動しました。この番組をきっかけに私は20世紀後半でもっとも影響力を持ったカルチャー・ロックミュージックに入門でき、それは現在まで私の人生を豊かにしてくれています。
また、同時期にドリアン助川は『ジャンベルジャン』というラジオをやっていました。これは土曜の夜にティーンの悩みを電話で受けてガチンコで相談に乗る、しかも生放送というとんでもなくハードコアな内容でした。この番組でドリアン助川は、決して道徳に逃げることなく、ひとりひとりの悩みに向かい合っていました。
そのガチを貫くアティテュードは実にロックでした。しかも、叫ぶ詩人の会の『ぎっこんばったん』という曲で、「人生相談なんかやりながら、本当にわからないのはオレなんだ」と葛藤を吐露しており、ごまかさない姿勢にもシビれました。
ドリアン助川のありのままに真っ向勝負を続ける姿を見て、こんな風に生きていきたいと思ったものです。
叫ぶ詩人の会もボチボチ聴き(ポエトリーリーディングなので結構キツく、聴き込んだのはベスト盤くらいでした)、彼のエッセイや詩集も読み込みました。
しかし、その後ドリアン助川は失速します。
叫ぶ詩人の会は97年の後半、ギタリストTakujiが覚せい剤で捕まり、脱退しました。若者の悩み相談をしているくせに、バンドメンバーはシャブやってるのか、偽善者め、みたいな空気が当時あったと感じています。ドリアン助川自身、善人的なパブリックイメージに悩まされており、より身動き取れなくなった印象を受けました。
しかし、何よりギタリストを守れなかったことが彼を苦しめたと思います。彼の異変には気づいていたが、何もできず、結局彼は脱退してしまった。そして叫ぶ詩人の会はこのダメージをリカバリできず、99年に解散しました。ドリアン助川は表舞台から消え、逃げるように海外に拠点を移しました。そしてドリアン助川という名まで封印したのです。この時の傷はそれほどキツく、計り知れないものがあったと想像できます。
ドリアン助川は「守ること」ができなかった人だと思います。
上記の前に、ドリアン助川は大学時代に劇団を旗揚げし、しかし自分の独裁によって劇団を壊してしまった過去があります。その後ドリアン助川は酒に溺れ身体を壊しますが、叫ぶ詩人の会を立ち上げることで復活しました。しかし、その叫ぶ詩人の会も守れなかった。彼は2度も、守れなかった挫折を経験したのです。
本作の中盤に、徳江に去られた千太郎が「守れなかった」と自暴自棄になるシーンがありました。
この千太郎の言葉は、間違いなくドリアン助川自身の言葉だ、と感じました。本作を鑑賞している人たちは、20年前のプチ有名人のことなど知らないと思います。しかし、ドリアンチルドレンの私にとっては、そうにしか思えなかったのです。
それまでは「ドリアンっぽい感じもあり、まぁいい映画だなぁ〜」くらいにしか思えなかったのですが、ここで一気に本作が自分にとって特別な意味を持つようになったのです。本作には、ドリアン助川の後悔と贖罪の物語が含まれていると直観しました。
徳江に去られて酒に溺れたのもドリアン助川そのものだったし、千太郎が過去に罪を犯した経験、母の別れに立ち会えなかった経験は、ドリアン助川が罪悪感をかかえ、その苦しみと向かい合えていなかったことを意味していると思います(しかし、過失ってのは言い訳がましいですぜドリアン兄貴!)。千太郎が徳江に会いに行くことに躊躇するシーンは、向かい合うことの怖さが伝わってきました。
全生園のシーンは、ドリアン助川がインナーワールドに入って行くように感じました。そして徳江と佳子にぜんざいを振舞われ、涙を流す千太郎を見て、私も涙しました。赦しまでは至らないかもしれない。そんな簡単に自分を赦せないだろう。でも、その一歩をドリアン助川は踏み出したのだな、と直観しました。
ドリアン助川は10年以上その名を封印していましたが、2011年に再びドリアン助川を名乗り始めました。
ドリアン助川の「守れなかった」挫折から少しずつ回復する動きはありました。だからこそ2013年に『あん』を書くことができたのでしょう。
本作はドリアン助川にとってのサイコマジック・ボムを映画化したものだと感じました。その意味では、河瀬直美は職人としていい仕事をしたと思います。
そう考えると、河瀬直美の『Vision』は何だったのだろうか?なんであんなにダメだったのか?自作よりも職人監督の方が向いているのでは?
と、最後に河瀬をクサして長い感想文は終わります。
何かずっと口の中が甘い!!
役が下りて来たとしか思えない樹木希林さんと河瀬監督の相性が良く、とても観易かったです。甘い餡が題材なのに内容は苦い、という絶妙な感じも素晴らしかったです。特に前半の餡作りは、ものづくりと外食の心得を学ぶ事ができて幸せな時間でした。九州産地鶏と称して、ネットで見付けたブロイラーを出している三宮の居酒屋店長を思い出しました。お客の女子中学生(真ん中)に萌えました。ずっと具体的な内容でしたが、終盤は雰囲気寄りになってしまい残念です。徳江さんの問題と店長の問題は別々ですが、何となく一緒くたにされています。ラストは店を出たのか、たまたま屋外に出店したのか、オーナーの強制に対して店長がどうしたかは分からなかったので、結びとしては弱い気がします。店長が声を張り上げるシーンは映画を締める最も大事なシーンだと思うのですが、愛が込められているとか一皮剥けたとかを感じる事はなく、全く盛り上がらず何か違うように感じました。追い出されたのでしょうか。永瀬正敏は良い俳優ですが、借りを返し終えて、(中学生の)彼女とまた人生を回し始める事を期待させるには、何か弱いと思いました。
差別問題
どら焼きの味の決め手は中身の「あん」にある。
雇われ店長のどら焼き屋では自家製のあんを使わず缶入りの業務用を使っていた。
常連客は学校帰りの女子中学生。
ガールズトークに花を咲かせる毎日。
ある日、店の求人募集を見た徳江お婆さんは時給は安くてもいいから働かせて欲しいと懇願する。
断られた徳江さんだが、自家製「あん」を食べて欲しくて店長に渡す。
徳江さんの「あん」に魅力された店長は徳江さんを雇う事にした。どら焼きが美味しくなったと評判になり店は忙しくなる。指が不自由な徳江さんも接客を手伝っていたのだが…
徳江さんを揶揄する噂で客足が遠のいてしまい店長は止む無く徳江さんにお店を辞めるよう話す。
徳江さんの事が気になる店長と中学生のワカナは徳江さんを訪ねた。
徳江さんの住む地域はハンセン病の人々が暮らす場所だった。
ハンセン病の人々の辛い歴史を聞き、それでも誰を恨むでもなく楽しく暮らす徳江さんに2人は心を開いていた。
徳江さんは風や木、花など自然の声を聞きそれに従って暮らしていた。
徳江さんが亡くなりお墓の代わりにソメイヨシノを植樹した。
春のお花見シーズン…どら春「どら焼き屋」は桜の下でどら焼きを売る。
店長の呼び声が響く。
どら焼きも人間も中身が大切‼️
偏見や差別の無い社会を目指して。
「あん」ってそういう意味なのね
前情報なしで観たけど、「あんこ」の意味だったのね。あんこの味を通して病気や差別を超えて人の繋がり、生きがいを描いた作品。
樹木希林の演技に胸が温かくなる。
世にあるものには言葉がある
上映時は都合がつかずDVDで観ました。
屈託のない日常を描きながら
人生を自由にいきれなかった
つらさを対比させて表現していました。
去り行く人の生き様を
生きている人間が受け止め
軌道修正していく。
生きている意味を問われた時には、
何かを誰かに後世への贈り物として
残すこと と今は思います。
もう亡くなったけど、そういえば
祖母の手に黒い痣があって人前に
出る時には、包帯して隠してたな。
日本人は、自由と共通を混同している
ってある作家が書いてたけど
異質なものを受けいれるのは
時間と理解が必要と感じます。
最後のどら焼の売る掛声が、
世間に対する抵抗なんだなと
受け止めました。
優しさに包まれる
沢山、涙が出た。
あの、心優しいおばあちゃんが、ハンセン病差別のせいで隔離され、苦しい思いをして生きてきたのを知り、すごく許せない気持ちになった。
ハンセン病の人を差別するような、人権を無視するような法律が過去に存在したことに腹が立った。
おばあちゃんは我が子を授かったのに、愛し合って授かったのに、嬉しかっただろうに、子供を産むことを許されなかった。国に許されなかった。ひどいな。
おばあちゃんのことが愛おしいから、素敵な人だから尚更、愛着が湧いて、大好きな人を苦しめたものに腹が立つ。
映画とは、そういうものなのだ。
ただのエンターテインメントではなく、存在意義はこういうところにもある。
中学生の子は、あそこが居場所なのだ。家に居場所はなくても、あの暖かいどら焼き屋さんがあれば、あの子は生きていけるのだ。
日常にあふれているはずの風景がとても美しく映し出されていて、太陽や月や風に話しかけたくなった。もっと些細なことのメッセージを受け取りたいと思った。
情報やエンターテインメントが溢れているけど、もっと近くにいつもある、当たり前の中に感動やメッセージがあるのかもしれないと思った。
見終わったら、大切なものを思い出せたような、じんわりと暖かな気持ちになった。
置かれた所で咲く
借金のため嫌々ながら店を営む元受刑者と、元ハンセン病患者との心の交流。母親の死に目に会えなかった男性と、強制的に堕胎させられた女性。
どちらも何らかの自由がきかない「囚われの身」。
外界の輝きを見て、自然の声を聞く。
"The Tree of Life"を思わせるような美しい映像が挟まれます。
客足が遠のく過程はあまり詳細に描かれていません。言わずもがな、ということでしょうが、人的な「風の便り」は時に残酷です。
人間の外見が皮で、心があんなら、皮の見た目は重要でない。皮はあんを包んでいれば良い。大切なのはあん。主役はあん。
「私達はこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私達は、私達には生きる意味があるのよ。」
全42件中、1~20件目を表示