あんのレビュー・感想・評価
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演技が深い!
だいぶネタバレ含みます。
感想を言うと、めっちゃ面白いです。
それは、エキサイトすると意味ではなく、傷だらけで不完全な登場人物達の人間ドラマとして、日本の実情を切り取る風刺として、そしてエンターテインメントとして他国でリメイク不可能な日本人にしか作れない映画だと感じたからです。
ハンセン病で半世紀も隔離されていた女性が小さなどら焼き屋で働くお話。
甘いものが苦手だけど、訳あってどら焼き屋で働いている永瀬正敏演じる店長が樹木希林演じる女性と出会い、人生を見つめ直していきます。
あんの作り方を学び、本当のどら焼きの美味しさとお店が繁盛する喜びを知った店長と生まれて初めて働く喜びを知った女性。
2人の表情が見る見る明るくなっていく描写はとても心温まります。
しかし、
常連の女の子がうっかり母親に女性の手のこと話した事がきっかけで噂が広まり、パタリと客足が途絶えてしまう。
世間のハンセン病に対する偏見と心ない仕打ちに翻弄され、女性は自ら身を引いてしまう。
どら焼き屋も経営者が業態を変えると言い出し、店長は意見する事も出来ない。
そして、女性は肺炎で亡くなってしまう…
悲しい映画と言ってしまえば其れまでだけど、そこから何を汲み取り感じ取るかは人それぞれな気がします。
少なくとも僕は、店長宛に残した音声を聞く限り、この女性はどら焼き屋で働けて幸せだったと思う。
2時間の映画で終始物静かで厳かな雰囲気ではあるもののついつい見入ってしまいました!
只、あんこを作るシーンであそこまで惹き込まれるとは思いませんでした。
やはり役者さんが素晴らしいですね。
樹木希林さんの演技は本当に凄いです。
とある老人のドキュメンタリーか?と思うくらい自然過ぎる演技に脱帽ですね!
永瀬正敏さんもリアクションが薄い役所であそこまで感情を表現できるのは凄いと思いました。
今回出演されてる樹木希林さんと市原悦子さん共にお亡くなりになったので映画界は大きな損失だと思いました。
今後こうした日本人にしか作れない作品をもっと量産していって欲しいですね!
女性らしい視点の映画
樹木希林は最高です
生きる意味
【今作品は、近年の邦画の中で圧倒的な傑作であると、私は思います。】
河瀬直美監督作。
樹木希林さん主演の”ある重いテーマ”をベースにした圧倒的な傑作。
-ストーリーは”春””初夏””秋”そして、再び迎える”春” と移ろいゆく季節を美しく映し出しながら静かに描かれる。-
永瀬さんの人生を諦めたような諦観の表情を浮かべる千太郎が黙々とどら焼きを作る存在感は稀有であるし、樹木希林さん演じる徳江が小豆に”優しく話しかけながら”あんを作る姿には、崇高さすら漂う。
孤独感を漂わせる女子高生ワカナを演じた内田伽羅さんの透明感。
故市原さん演じる佳子の哀しき過去を背負いながらも、体中から醸し出される、優しき佇まいも、この作品の奥深さを支えている。
必見であると思います。
<全ての人に、毎年、桜の花びらが舞う”季節”の到来を信じたい・・。>
<2015年7月5日 劇場にて鑑賞>
<その後、他媒体で再鑑賞>
■追記
「キネマ旬報ムック 「あん」オフィシャルブック」は、もし手に入れば、一読されることをお勧めしたい。
世間の厳しさと守れなかったことへの内省
数年前から気になっていた作品。河瀬作品をいくつか拝見したが、これが一番伝わってきたし、一番感動した。
ケンカの仲裁で相手に障害を追わせてしまい、借金の肩代わりをした感じ悪い金持ちによって雇われ店長をしている千太郎、元ハンセン病患者で半世紀以上療養所で生活し、世間の冷たい眼をイヤというほど体感してきた徳江、闇を抱える中学生のワカナ、をめぐる話。
ある日バイト候補でやってきた徳江は確かな味で人気のどら焼きになるが、元ハンセン病ということが世間に知られ、バイトも追われ、店自体も経営も悪化していく。
徳江の先入観を持たずに「あん」の美味しさに感動してバイトとして雇うその純粋さを主軸に話が進むが、千太郎に感情移入してはいけないのではないか、と思いながら鑑賞していた。というのも、悲しい・悔しいなど次々にいろいろな感情が千太郎に押し寄せてくるが、千太郎自身も負い目を持つ。その自己内省をしてこそのどら焼き作りではないか。
そう思うと、フラットな状態で見ようと心がけた作品だった。こんなに感情をコントロールしながら見た作品は今までになかったのではないだろうか。
「てんちょさん、美味しいときには笑うのよ」
桜に囲まれたアパート。桜に囲まれたどら焼き屋“どら春”。なぜだか女子中学生が学校の帰り道に立ち寄りやすそうな店。ふらっとやってきた76歳の徳江はアルバイト募集の張り紙を見て、雇ってもらえないかと千太郎に懇願する。二度目に来たときには自家製の粒あんを持ってきて、その味にほれ込んだ千太郎は徳江を雇うことに。
大将の奥さん(浅田美代子)が辞めさせるように忠告するも、穏やかな口調だったためにそのまま徳江を雇っていた。常連で高校進学も諦めかけていたワカナ(内田伽羅)が先輩陽平(太賀)とハンセン病の資料を調べていた。時を同じくして、どら焼き屋の客も遠のいていった。静かに店を去っていった徳江。手紙を受け取った千太郎はワカナとともに徳江の住む療養所を訪れるのだった。
桜の季節から柊の季節を経てまた桜の季節で終わる作品。まるで主人公徳江の生きざまをそのまま季節の流れに乗せたかのような演出。2018年9月に亡くなった樹木希林の人生をも象徴するかのような映画になったのかもしれません。また市原悦子が2019年1月に後を追うかのように亡くなり、この映画の重みが増した。彼女たちが伝えたいことを全て受け止めることはできないにしても、政府がハンセン病患者に対して行った隔離という愚行は十分理解できた。
最近になっても知的障碍者に対する旧優生保護法が行った断種手術など、国内における差別政策が明らかになるのですが、まだまだ隠されたことがありそうです。季節の流れを樹木で表現していましたが、差別用語である「らい病」という言葉も前半は使われていたのに後半はすべて「ハンセン病」と言っていたことも印象に残ります。ワカナたちが興味を持って勉強し、自ら成長したことをも表わしていたかのようでした。
千太郎(永瀬正敏)自身も仲裁から加害者になったという傷害事件を悔いるエピソードも効果的でした。徳江の「陽の当たる社会に出たい」と思う気持ちが彼の中にもあったのです。しかし、徳江が彼の前に現れなければ一生暗い人生を送っていたに違いない。千太郎とワカナの人生に大きく関わったほど、徳江が残した功績、生きてきた証しを残したことに三度涙してしまいました。
演技のぶつかり合い
登場人物が生きている
この映画の良さを長々と説明するのは難しい。
でも、一言で表すなら「登場人物がちゃんと生きてる」からです。
演技が上手なのは当たり前にあって、所作や佇まいがその人物そのものだと思いました。
樹木さん演じる徳江は、あん作りを50年していましたが、そこに違和感が全くなく、むしろ50年やってきたとしか見えない職人芸に魅了されました。
この「あん」やハンセン病に嘘が感じられず、映し出される四季がきれいで、この映画の世界に見入ってしまいました。
この映画は、映画に出てくる「あん」そのものだと思いました。ひとつひとつの過程をきちんと丁寧に作り、あずきの声を聴き、決して手を抜かない。
そうして出来上がった物が、味わい深い物になるのだなと思いました。
簡単にこんなもんだろうと作って出来るのが「業務用のあん」で、今まで業務用のあんのような映画をたくさん観て来ました。
なので、一見地味で単純なストーリーなのに、奥深さが全く違うのを感じました。
余計なものがなく、足りないものがなく、それを自然に作れるのがすごいと思いました。
本物の世界でした。
異質なもの、少数派。
ハンセン病患者は、異質なもの(奇異な症状のため、周囲には恐ろしいという感情が強かっただろう)、少数派として、排除・隔離されてきた。自分の存在が否定される苦しみはどれほどだったろうか。
罪を犯し償ってきた主人公の千太郎には、共感するところが多かったのだろう。
彼への徳江の次の言葉は慰めを与えるものだったと思う。「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」
湾岸線に陽は昇る
丁寧かつ誠実に造られた物語であり、評判通りなかなかの名作だと感じました。
本作は、尊厳を抑圧されてきた人々の悲しみや静かな怒り、偏見や差別の醜さ、それでも制限された運命の中でどのような態度を取って生きるか、そして課せられたものに対して向かい合い応え続けることが財産となること、そして生の全肯定といったテーマが余すところなく描かれていると感じました。ややクドくベタな語り口でしたが、その方がキャッチーとも言えそうです。
そのような本作のキモはさんざん語られていると思いますので、今回は2点、かなり側面からの切り口で感想を述べていきます。
特に2点目の切り口はかなりマニアックで、自分語りも入るのでご容赦を。
①おばあちゃんアイドル映画
本作は日本を代表する2大おばあちゃん俳優が共演してます。樹木希林と市原悦子です。2人の共演は初めてらしいです。
後半、この2人が並ぶシーンは最高ですね!2人とも超かわゆい!新しい萌えポイントを開発された気分です。
市原悦子は正統派かわいいおばあちゃんだし、一方樹木希林はややクセがあるものの本作では彼女の穏やかな面が強調されているので味がある可愛さでした。市原悦子は洋装で樹木希林は和装(だったような?)と、キャラの違いもはっきりしており、それがまた良かったです。もう少し絡みがあり関係性がより伝わってくると、さらに萌え狂えたのですが。やや残念です。
『モリのいる場所』では山崎努がアイドル性を発揮していましたし、今後はおじいちゃん・おばあちゃんのアイドル映画が熱いような気がしてます。
②千太郎=ドリアン助川
(プチネタバレあり)
(しかも自分語り入ったウザめの超長文です、引き返すなら今のうちですよ!)
もう一人の主人公・千太郎は、私から見ると原作者・ドリアン助川の姿が色濃く投影されているように感じました。
ドリアン助川。元叫ぶ詩人の会。
ドリアン助川は私にとっての神々のひとり、いや、おそらく公人としてもっとも私が影響を受けた人物です。
90年代後半、ドリアン助川はなかなかに影響力を持った存在でした。
96年くらいからはじまった『金髪先生』という深夜のテレビ番組は、ドリアン助川が先生となり、洋楽の歌詞を翻訳していく内容でした。それまでディスクユニオンで売られてる正体不明の輸入版メロコアCDしか聴いていなかった私にとってこの番組は革命でした。この番組で私はスティングやコステロ、トム・ウェイツを知り、ボスやイーグルスの歌詞の深さに感動しました。この番組をきっかけに私は20世紀後半でもっとも影響力を持ったカルチャー・ロックミュージックに入門でき、それは現在まで私の人生を豊かにしてくれています。
また、同時期にドリアン助川は『ジャンベルジャン』というラジオをやっていました。これは土曜の夜にティーンの悩みを電話で受けてガチンコで相談に乗る、しかも生放送というとんでもなくハードコアな内容でした。この番組でドリアン助川は、決して道徳に逃げることなく、ひとりひとりの悩みに向かい合っていました。
そのガチを貫くアティテュードは実にロックでした。しかも、叫ぶ詩人の会の『ぎっこんばったん』という曲で、「人生相談なんかやりながら、本当にわからないのはオレなんだ」と葛藤を吐露しており、ごまかさない姿勢にもシビれました。
ドリアン助川のありのままに真っ向勝負を続ける姿を見て、こんな風に生きていきたいと思ったものです。
叫ぶ詩人の会もボチボチ聴き(ポエトリーリーディングなので結構キツく、聴き込んだのはベスト盤くらいでした)、彼のエッセイや詩集も読み込みました。
しかし、その後ドリアン助川は失速します。
叫ぶ詩人の会は97年の後半、ギタリストTakujiが覚せい剤で捕まり、脱退しました。若者の悩み相談をしているくせに、バンドメンバーはシャブやってるのか、偽善者め、みたいな空気が当時あったと感じています。ドリアン助川自身、善人的なパブリックイメージに悩まされており、より身動き取れなくなった印象を受けました。
しかし、何よりギタリストを守れなかったことが彼を苦しめたと思います。彼の異変には気づいていたが、何もできず、結局彼は脱退してしまった。そして叫ぶ詩人の会はこのダメージをリカバリできず、99年に解散しました。ドリアン助川は表舞台から消え、逃げるように海外に拠点を移しました。そしてドリアン助川という名まで封印したのです。この時の傷はそれほどキツく、計り知れないものがあったと想像できます。
ドリアン助川は「守ること」ができなかった人だと思います。
上記の前に、ドリアン助川は大学時代に劇団を旗揚げし、しかし自分の独裁によって劇団を壊してしまった過去があります。その後ドリアン助川は酒に溺れ身体を壊しますが、叫ぶ詩人の会を立ち上げることで復活しました。しかし、その叫ぶ詩人の会も守れなかった。彼は2度も、守れなかった挫折を経験したのです。
本作の中盤に、徳江に去られた千太郎が「守れなかった」と自暴自棄になるシーンがありました。
この千太郎の言葉は、間違いなくドリアン助川自身の言葉だ、と感じました。本作を鑑賞している人たちは、20年前のプチ有名人のことなど知らないと思います。しかし、ドリアンチルドレンの私にとっては、そうにしか思えなかったのです。
それまでは「ドリアンっぽい感じもあり、まぁいい映画だなぁ〜」くらいにしか思えなかったのですが、ここで一気に本作が自分にとって特別な意味を持つようになったのです。本作には、ドリアン助川の後悔と贖罪の物語が含まれていると直観しました。
徳江に去られて酒に溺れたのもドリアン助川そのものだったし、千太郎が過去に罪を犯した経験、母の別れに立ち会えなかった経験は、ドリアン助川が罪悪感をかかえ、その苦しみと向かい合えていなかったことを意味していると思います(しかし、過失ってのは言い訳がましいですぜドリアン兄貴!)。千太郎が徳江に会いに行くことに躊躇するシーンは、向かい合うことの怖さが伝わってきました。
全生園のシーンは、ドリアン助川がインナーワールドに入って行くように感じました。そして徳江と佳子にぜんざいを振舞われ、涙を流す千太郎を見て、私も涙しました。赦しまでは至らないかもしれない。そんな簡単に自分を赦せないだろう。でも、その一歩をドリアン助川は踏み出したのだな、と直観しました。
ドリアン助川は10年以上その名を封印していましたが、2011年に再びドリアン助川を名乗り始めました。
ドリアン助川の「守れなかった」挫折から少しずつ回復する動きはありました。だからこそ2013年に『あん』を書くことができたのでしょう。
本作はドリアン助川にとってのサイコマジック・ボムを映画化したものだと感じました。その意味では、河瀬直美は職人としていい仕事をしたと思います。
そう考えると、河瀬直美の『Vision』は何だったのだろうか?なんであんなにダメだったのか?自作よりも職人監督の方が向いているのでは?
と、最後に河瀬をクサして長い感想文は終わります。
理不尽な境遇にも一条の光がまぶしい
他者から自己に向けられる理不尽さや不条理な制限があるならば、それを苦々しく思いながらも受け入れなければ一条の光が射すことはないのかもしれない。と考えさせられる深いテーマに共感の涙が止まらなかった。他人にはなかなか打ち明けられない苦悩を「あん」を縁に、境遇の違う者同士でも理解しようと努めてくれる人の存在を感じられるだけで自信のない心から一歩でも踏み出す勇気になるのだと教えられる。自分を救いようがない境遇だと思い込み何もしない事より純粋に求める対象に向き合うことが大切だと樹木希林さん演じる徳江さんの笑顔に気づかされる。何かを与えようとした相手から逆に多くの何かを頂いていると気付き感謝する時にこそ再生の光が射すのかもしれない。日本では古くから「あ」は始まりであり「ん」は終わりを表わすと云われてきたけれど、この作品では毎日の「あん」作りで心の再生が繰り返される。生死を超えた永遠の命を「あん」を通して感じる時、自らの命も救われ喜びに笑顔が自然に溢れる。その美しさ、尊さを本作は見事にとらえている。
永瀬正敏さん演じる店長さんが勇気を持って最後に叫ぶ「どら焼き、いかがですか〜」の声に涙が止まらなかった。樹木希林さんの多くを語らない、その佇まい、表情に心底、胸を打たれた。「あん」は優しく勇気を持つことを教えてくれる本当に心が温かくなる映画でした。
どこを切り取っても美しい
人の心の中の天国のような場所
この映画を見て、映画って何だろうと初めて考えた。感想がなかなか出てこない。途切れ途切れに言葉が浮かぶが、なかなか繋がらない。もし、人の心の中に天国があるならば、彼女のような柔らかい、でも計り知れない厳しさを内包した、薄ぼんやりと、控えめに、でも確かな現実の記録として、世界を照らす、そんな場所ではないだろうか。こんな人が近くにいて欲しい。.....人はやはり、人によって自らの心の檻から抜け出す勇気を与えられる。人に出会い、新しい光を知ることができる。「世界は思ってたより、悪くなかった、むしろいいところだった」と気づく。.....こんな人が、自分の中にいてほしい。樹木希林さんが演じる、普通人は歩かない、闇の中ばかりを、沼の中ばかりを歩かざるをえなかった女性の、発光するような純真さ、無邪気さは天使そのもののように映った。映画を見るまでと見た後では、明らかに少し違う、明るい方向を目指す自分がいる、そういう余韻が、映画なのだと教えてくれた。
映像はきれい。
映像がきれいだった。光の柔らかさ、空気感が写っていてそこは良かった。
最後の永瀬正敏の表情もすごく良かった。
が、ハンセン病に対し、あんな極端な反応を今の社会が示すだろうか。
名前は知ってても患者を隔離したような時代を肌で知っていて、浅田美代子のような反応を示したり、あんなに繁盛していた店が閑古鳥になるというのは、大袈裟すぎると思う。
そして何より、樹木希林の孫娘が大根すぎ。
棒読みだったり、台詞を発するだけでその場の雰囲気をぶち壊し、表情まで極端で…
河瀬監督のはよく分からないと思うことが多かったけど、これはそんなことはなかっただけに、重要な登場人物となるわかこちゃんは別の人が演じた方が良かったと思う。残念。
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