怒りのレビュー・感想・評価
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千葉・東京・沖縄パートいずれも秀逸
李相日監督が、「悪人」に続き再び吉田修一原作を映画化。李監督にとって、吉田原作は親和性が高いのだろう。それを実証するかのごとく、今作もまた重厚な作品に仕上がった。 犯人未逮捕の殺人事件から1年後、千葉・東京・沖縄に前歴不詳の男が現れたことから巻き起こるドラマを描いている。千葉パートは渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ、東京パートは妻夫木聡と綾野剛、沖縄パートは広瀬すずと森山未來が担っているが、いずれも土地に根差した人間模様がえぐり出されており、人間の憎悪がどこに潜んでいるかが浮き彫りになってくる作りが秀逸だ。
怒りとは。
人が怒りを感じる時って何だろうと観ながら思いました。 本作はある3つの物語を軸に、 3つの「怒り」という視点で描かれています。 人の怒りの形、向き合い方を作品を通して、 問いかけているんだと感じました。
李相日監督の『怒り』を公開当時ぶりに観た。内容はほとんど忘れていた...
李相日監督の『怒り』を公開当時ぶりに観た。内容はほとんど忘れていたが、かなり重苦しく心にのしかかってくる作品だという事を思い出しながら最後まで視聴し切った。そして、高校生だった公開時と今とでは作品の感じ方がまるで違った。 印象的な場面はやはり広瀬すずのあのシーン。彼女は当時我々世代に爆発的人気を誇っていて謂わばアイドル的な存在だったので、件のシーンを見た時はとても驚いたし、かなりショックを受けた事を思い出す。そして、実際にそのような事が現実世界でも起きてしまってるという事実にかなり怒りを感じたし、純粋に強い憎しみを覚えた事を思い出した。それこそ自分が作品を通じて、1番「怒り」を感じたシーンだった。 しかし、色々と経験した今では当時の年齢と近い人物に焦点を当てた沖縄パートよりも、綾野剛•宮崎あおいのパートにより感情移入してしまった。それぞれ異なるバックグラウンドを持ちながら社会生活を送っている中で、当事者にとってどうなることが幸せだったのか、人生とは何なのか、色々と考えを巡らせてしまう。自分は鬱経験者で自殺願望と闘いながら今何とか自分の足で前に進んでいけそうな所まで回復した段階なので、よりそういうことを考えてしまう。 自分が同じ様な状況にいたら、どう行動するのか。
愛する=信じるなのか?
それぞれの関係性は違えども、テーマは一貫して「愛があっても信じることは難しい」だったように思う。 心と頭は別物なのかしら。 いや、本能と理性の違い? いずれにせよ、登場人物それぞれにとても抱えているものが重過ぎてみているとしんどいのだけど、純粋に良い人が多いのでそれが更に観ている側の心に暗い影を落とす。 全部心がぎゅーってなったけど、でもやっぱ一番は彼と彼かなあ。 時間巻き戻してあげたかった。 でもどの人にも理由があって、そしてその理由を知るとなんか色んなものが責められなくなるのが辛いね。 正義はその人の側から見るに限るなと思う。 元ネタというかヒントはあの事件の犯人かなあと思うものはあるにせよ、全く違う展開と内容でものすごく面白かった。 うーん、李監督にすっかりハマってしまったよ。 原作の吉田さんに、なのか? 相乗効果なのか? とにかく『国宝』に期待しかないわ。
誰か教えてください 田中の「怒」がどこにあったのでしょうか?
編集 この作品の中に描かれている殺人事件以外の3つの場面の登場人物たちの心境は様々だが、そこに明確な「怒り」があったのはタツヤだけだったのではと思う。 そして視聴者が怒りを覚えたのはレイプシーンだろう。 田中が血文字で描いた「怒」は、無人島の廃墟にも書かれていた。それは宗教的でもあり彼が見つめ続けている「何か」だろう。 田中が見つめ続けていた「怒」と表現されたものは、タツヤによって本人に返って来た。 田中の持つ見当違いの刃。それによって生じる関係者の「怒り」 この人の怒りを振りまいているのが田中だ。 ある種独特の思考。 米兵による鬼畜の仕業は、田中の持つ「怒」のモチーフではないのだろうか? そのような思考と言動は回りまわって自分に返ってくるということを作品は伝えたかったのだと、改めて思った。 また、 割と細切れのように場面が変わることで誰が犯人なのかという推理ものになっているが、映画ではそっちの色の方が強いと感じた。 最初の投稿 オールキャスト… 登場人物それぞれの持つキャラクターが、誰もが知る俳優たちによって描かれることで、視聴者の持つ俳優たちのイメージが先行し過ぎてしまっている。作品の世界に入りやすくなる一方、思い込みで見落としていることも多くなってしまうように思う。 さてこの作品は、 未解決の殺人事件をモチーフに、3つの異なる場所で起きた出来事から、その関係者たちの心の揺らぎを描いている。 3つの場所を細かく刻みながら場面が切り替わるので最初は少々わかりにくくなっている。そこに殺人事件の現場が加わるので実際には場面は4つになる。 殺害現場に残された血文字の「怒」 タイトルでもあり一見この作品のテーマかと思われる「怒」だが、おそらくそれは表面上にでたもので、その背後にこそ、この作品のテーマがあるように思う。 それはおそらく「人を信じること」だろう。 マイノリティのユウマ。彼は好きなったナオトの素性を良く知らないという理由で彼が殺人鬼山神一也だと思ってしまう。 彼の素性を高畑充希から聞かされたとき、母ともう一つ対等に大切な人を失ってしまったことに気づくのだ。 「大切なものは増えてくものではなく減っていくもの」 二人から聞かされた言葉の意味を、失って初めて気づく心の痛み。そしておそらく、それを気づかなかった自分に対する「怒り」がこの物語で描かれている。 漁村で暮らすマキは、娘の人生はもう終わったと思っていた。それを救ってくれた田代の素性がわからないことで、彼を殺人鬼山神一也ではないかと思う。 そしてそれはやがてアイコも同じになってしまう。 田代の言葉に嘘はなく、それでも信用してもらえなかったことに絶望し漁村を離れた。 好きな人を疑ってしまった。これがアイコの人生最大の失敗だったが、彼は電話をくれた。 この作品で唯一の救いがここにある。かつて父に連れ戻されたように、今度は田代を連れ戻した。彼女の後悔と成長と喜びの物語。 この物語では肉親に対する心配が、ある種の「怒り」として描かれ、最後まで信用できなかった自分自身に対する「怒り」が描かれている。 イズミのレイプ事件。 見て見ぬふりの住民と何もできずに隠れていたタツヤ。彼の無力感は大きく彼の心に影を落とす。タツヤの行動に視聴者は怒りを覚えただろう。 やがてそれを田中にそれとなく話した。田中の「タツヤの見方にはなれる」という言葉にタツヤは自分ができることを考え始める。 しかし田中という人間の本心はその真逆だった。にわかには信じがたい彼の言動。 「信じていたから、許せなかった」 信用が怒りに変わったことを物語は伝えている。 さて、 人を信用できなかったことで発生する怒りのような思いは、すべて自分に向かうのだとこの作品は言いたいのだろう。そう思った。 しかし、 別件逮捕された男の供述では、どうしても田中の心は見えてこない。 田中の怒りの正体がわからない。単なる二重人格の異常者にしか見えない。 タツヤは確かに「信じていたから許せなかった」と言っているが、田中の言動は異常者でしかない。 「無力でふがいない卑怯者の自分」が田中の腹にはさみを突き立てるほどの怒りのエネルギーに変わる感覚がよくわからなかった。 作品を見ながらタツヤに気持ちが乗り移らない。 その原因は作家のプロットにあるのか、それとも配役にあるのだろうか? 皆さんにお聞きしたいと思いました。 または、視聴者は作品の中から田中の「怒」を見つけ出さなければならないのか? 彼の「怒」って、見つけられますか? どなたかご教授お願いします。 以下は単なるあらすじ(一度まとめないとよくわかりませんでしたが、まとめてもわかりませんでした) ユウマは怪しいホモのパーティーの常連だ。そこで出会ったナオトに惹かれる。LGBTとマイノリティの世界。行く当てのないナオトを居候させる。 ナオトは自分の話をしない。それがユウマをイラつかせる。でもナオトは「信じてくれてありがとう」という。 おそらくナオトはマイノリティと孤児院育ちということで世間や他人の目に非常に敏感なのだろう。相手が自分のことをどう思っているのか即座に感じることができる。それは「田中」がタツヤに話した言葉の中でも語られている。 ナオトはそれに加え心臓に問題があり、同じ孤児院育ちの高畑充希と定期的に会っていた。 ナオトの身体的特徴は連日報道されている殺人事件の山神一也容疑者と非常によく似ていて、ユウマは彼を疑い始めた。彼の話を信用しない。 そんな時警察から電話があり、ナオトを知っているかと聞かれるが、知らないとしらを切り、彼の痕跡すべてを捨てる。 充希と会ったユウマは初めてナオトの素性を知る。死んだことも。同時に泣き崩れた。 ユウマはナオトを最後まで信用してあげれなかった。 その後悔の念。人を信用する難しさ。好きになった人を信用できないことがどれほど自分を後悔させるのだろう。この作品が問いかけていることだろう。 冒頭、マキが娘を歌舞伎町の性風俗店から連れ戻す場面。少しおっとりとして抜けたようなところがあるアイコ。叔母のアスカの叱責。 父のマキは、小さな漁村で広がるうわさに苦悩しているが、アイコはもう普通に暮らすことなどできないと思っている。 漁村に少し前に来た青年田代。謎の人物で誰もその素性を知らないという設定。アイコの抜け感と他人を白い目で見ない性格は、田代の人に対する警戒心を解きほぐしていき、やがて一緒に住み始める。 殺人事件度捜査中の警察に新たな証拠が加わり、世間では1年前に起きた八王子殺人事件の犯人が山神一也であることがわかり、彼が新潟県で整形手術を受けていたことも報道される。 その顔は田代そっくりだったことで、マキは彼を調査し始めた。 アイコは田代から「すべて」を聞かされていたが、報道番組があまりにも田代に似ていたことで思わず警察に連絡してしまう。 田代はアイコから「事件に関係ないならお昼までに帰ってきて」と連絡を受けるが、彼はそのまま姿を消した。 「誰かを最後の最後まで信じることはできるだろうか?」 これがこの作品のテーマだと思う。 田代は白だった。警察の言葉に泣き崩れたアイコ。彼女の涙は犯人じゃなかったという喜びなどではなく、彼を最後に疑ってしまった自分に対する後悔の涙だ。 彼女た取り返しのつかないことをしてしまった自分を責める。しかしもうどうすることもできない。 しかしこの作品の救いはこの物語にある。 田代は東京駅からアイコに電話したのだ。彼は親の借金によって借金取りから追われていた。誰も信用できない状態でたどり着いたのがあの漁村だった。そこで出会ったアイコに初めての癒しをもらった。 そのアイコもまた自分を疑っているというのは、田代にはいたたまれなかったのだろう。 しかしマキが以前アイコを連れ戻したように、今度は田代をうけいれたたアイコが、彼を連れ戻した。彼女は大きく成長していた。 母の男問題、「母は好きだけど、母のようにはなりたくない」 イズミは最近沖縄の島に引っ越してきた。同世代のタツヤと仲良くなって無人島に出かけた。 そこで出会った田中。不思議な感じの男に少し興味を持つ。 タツヤはイズミを誘い、那覇に行って映画を見た帰り、田中と遭遇して一緒に飲む。 しかしその帰り道、ふらふらとどこかに行ってしまったタツヤを探し、公園で米兵にレイプされた。 それを見ながら何もできないタツヤ。後日田中にそれとなくその出来事を伝える。 「死ぬほど嫌な気持ちとはどんな気持ちか? 本気という見えないものをどうしやってつたえるのだろう?」 「タツヤの味方にはなれる」という田中の言葉。 宿泊客のラゲッジを手荒く扱う田中。タツヤに「俺もあの時あそこにいたんだよ」 田中はバイト先の民宿で突然暴れだした。店の中のすべてをめちゃくちゃに壊してどこかに行った。 タツヤは田中がまたあの島に行ったと思い単身乗り込むと、廃墟に書かれていた「怒」の文字と外で自分の顔に傷をつけている田中を見る。 そして田中からあの時のことと、本心では自分がどう思っていたかを語り始めた。 田中の言葉には、今までの田中とは全く思えない言葉が羅列して、タツヤにはその感覚がまったく理解できなかったはずだ。 しかしタツヤは田中が依然話した「俺たちは何もできないんじゃなく、できることを探す」というもっとらしい言葉の中に、自分自身が感じた光を怒りに変えた。 イズミがレイプされているのに何もしなかった自分に対する怒り。同じく隠れて何もできなかった田中の「ウソの感想」 それに騙された自分。 イズミの「死ぬほど嫌な気持ち」 それらが重なったとき、ゆがんだ心の異常者「田中」に対する怒りが爆発したのだろう。 何もしなかった卑怯者は、「信じていたから許せなかった」 後日イズミはあの無人島へ行き、書かれた文字を見て、タツヤがなぜ田中を刺したのかを理解した。 彼女が海に向かって叫び声をあげるが、それは、言葉にできない本気の本心だろう。 そこにあったのはきっと、その原因を作ったのが自分だからだ。 自分に対する怒りの叫び。言葉にできない本気の本心。 叫ぶイズミの表情を撮らなかったのは、監督がもう一歩この作品に踏み込めなかったのかなと思った。
原作との違い
原作が素晴らしかったので映画版である本作も視聴。 原作と映画版ではストーリーは概ね同じですが、映画化に合わせて内容が大幅に削られています。 なにせ500ページぐらいある小説をたった2時間の映画にしなければならないのです。しかも主人公が4人ぐらいいるストーリーをたった1つの映画にまとめないといけないのです。 そのため映画では説明不足で感動できるシーンもあまり感動できない人もいたのでは? なぜなら映画版では一つ一つのストーリーを冷静になって考えると別に大したことをしてなかったりするからです。「借金取りがくるから逃げただけ」みたいな感じで。 でもちゃんと小説ではその辺は何百ページにも亘って丁寧に描かれているので、映画にピンとこなかった人は小説も読むことも推奨します。 …こう書くと映画が素晴らしくなかったかのように思えますが、映画はめちゃくちゃ素晴らしいです。あの長い原作をよくここまで綺麗にまとめたなあと感心します。
叫びたくなるほどの怒り
出演者の迫真の演技が凄まじい。 宮﨑あおいの号泣シーンやすずちゃんの悲惨なシーン、綾野剛の儚さや渡辺謙の存在感。 何より犯人の狂った感じが怖すぎる。 とにもかくにもキャストがものすごく豪華。 映画の構成もすごくて、とある殺人事件を軸に3つの物語が同時に進行していく。 観ている途中で、もしかして3つの物語は時系列が違うんじゃ…とか勘ぐってしまったけど、そんなことなかった。 最後まで犯人が誰なのかわからなかった。 犯人の顔写真が森山未來にも見えるし、松山ケンイチにも見えるし、綾野剛にも見えるから面白い。 信じてたのに裏切られたことへの怒り。 好きな人を信じきれなかった自分への怒り。 “怒り”の根源は“信じる心”なのかもしれない。
これはひどい
原作は知らないが、市橋達也著書の「逮捕されるまで」を読んでこの映画が市橋の事件をヒントに作られたということを知って興味を持ち、鑑賞。 3つのストーリーが入り混じってるので、途中からこれどうやってひとつのストーリーに繋げるんだ⁈と思っていたが、まさかの繋がらずに終了した。 指名手配の綾野剛の画像も明らかに森山未來には見えないし、3つのホクロなど伏線を張るだけ張っといて回収しない。 整形したことがわかりました!とテレビ報道で松山ケンイチを流すが、結局松山は何の関係もない。お粗末すぎる演出は指摘し出したらキリがない。 指名手配のポスターやホクロや整形逃亡、沖縄滞在など、市橋の事件をモデルにするならストーリーを同じにしてプラスで人間関係を描いた方がマシだったのでは。 豪華な俳優陣で、綾野剛と妻夫木はゲイが苦手な自分でも不快感なく、むしろ幸せになってほしいとすら思ったし、宮崎あおいは個人的にあまり好きではないが悲壮感漂う演技が素晴らしいと思った。 ただ高畑充希は突然出てきて「感じの悪い女」という印象しかなく、せっかくの演技派女優なのに生かしきれてないと感じた。 星は俳優陣がよかったので2にしますが、ストーリーは1未満という感想でした。
深く読み込む必要がある物語
犯人未逮捕の殺人事件から1年後、千葉、東京、沖縄という3つの場所に、それぞれ前歴不詳の男が現れたことから巻き起こるドラマを描いた。東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。それから1年後、千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に田代という青年が現れ、東京で大手企業に勤める優馬は街で直人という青年と知り合い、親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉は、無人島で田中という男と遭遇するが……。(解説より) 異なる3つ物語が同時並行で進行する。 結局犯人は誰なのか? 最後の最後までそれはわからない、スリリングな展開。 3つのストーリーが最終的に1つの物語になるのではないか?と推察しながら鑑賞していたが、そういった結末ではなかった。 ネタバレになるため具体的な内容は伏せるが、他の方のレビューを読んでいて、最後の犯人の行動を深く考察されている方がおり、「なるほど、(作者の意図は不明だが)そういった意味なのか」と納得し、非常に深いストーリーだと感じた。 それぞれの”怒り”が”信じること”が異なった色で描かれており 俳優陣が豪華すぎた。
ただ人が人に優しくしただけ…
八王子で起こった殺人事件。壁には「怒」の一文字が。 犯人はすでに別の場所へ移動し整形した疑い。 犯人像に近しい人物の3名をオムニバスで描いていき 犯人が誰かをそれぞれの物語で追っておいく。 人が怒りを感じるのは様々な因果関係がある。 誰かを信じて裏切られたら。 行き場のない怒りは赤の他人へ向かうことすらある。 米兵問題も混ぜ、かなりの問題作になり得る要素を持っていた。 決して派手なシーンなどないが、後半に至るまで 犯人は誰なのか?という一つのゴールに向かって走っていく物語は 退屈を覚えることなく進んで行きました。
釈然としない
豪華俳優陣が織りなす群像劇。 一見無関係の3つのドラマが同時進行し、やがて…という、 よくあるっちゃあるパターン。 結末が説明不足すぎて、スッキリしない。 え?あの目印は?それ許されたら何でもありでしょ。。。 胸糞悪いシーンが結構多いし、あまりオススメはしません。
期待したのに
無垢で気立ての良い女の子。 酷い目に遭った可哀想な女の子。 男たちに歯向かわない、守ってあげたくなる女の子。 しっかり者の一児の母。 にっこり微笑む病床の母。 施設育ちの賢そうな女の子。 麦茶をお盆に載せる気配りの主婦。 みんな健気で素直な、可憐な乙女。 男の理想には付き合っていられません。いい加減にしてほしい。 背後にある社会問題や、人間の不寛容さや脆弱さに深く切り込まず、ただ、“弱者は号泣という形でしか怒りを表せません”ということを描写している。 レイプされた少女は犯罪被害者だ。“可哀想な女の子”っていう立ち位置に違和感マックス。 被害者や弱者は号泣して諦めろっていうプロパガンダのよう。 俳優の熱演は素晴らしいけど、そこに頼っただけの映画だった。
誰に?何に?向けられた【怒り】なのか?
東京八王子で夫婦惨殺事件があった。 現場に残された被害者の血で書かれた【怒り】の文字の意味? 事件から一年後、 千葉県房総、 沖縄の離島、 東京都内、 3人の正体不明な男たちが現れる。 そして彼らが様々な登場人物と関わり映画が進んでいく。 カメラの切り替えが速く、頻繁に3つの場所は変わる。 話は少しづつ小出しにされて重層的な物語が少しづつ進み 解きほぐされて行く。 八王子の殺人事件の犯人・山神に似た3人の男。 田中に扮する森山未來、 田代を松山ケンイチ、 大西を綾野剛が それぞれ演じている。 3人の正体不明の男の周辺にいる人々。 森山未來と仲良くなる少女に広瀬すず、 松山ケンイチの雇い主の渡辺謙と恋人になる娘の宮崎あおい、 そして綾野剛のゲイの友人に妻夫木聡。 殺人犯を疑われる男より、疑われたことによって起こる周辺の人への波紋、 それが詳しく描写される。 「疑うこと」 「信じることの難しさ」 「真実を語っていても、疑われる」 一体、血文字の【怒り】の示す意味は? 私には【怒り】のより、人を信じることの難しさ、 【信頼】について描かれた映画に思える。 もしかしたら犯人は、自分に対して怒っている。 憤怒の矛先が【善良な主婦のくれた一杯の冷たい麦茶なら?】 あまりにも理不尽で性根の腐った犯人。 この映画で本当に怒っていいのは、米兵に暴行された泉ちゃんだけだ。 ラストで腑に落ち、救われる映画だった。
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