「誰に?何に?向けられた【怒り】なのか?」怒り 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
誰に?何に?向けられた【怒り】なのか?
東京八王子で夫婦惨殺事件があった。
現場に残された被害者の血で書かれた【怒り】の文字の意味?
事件から一年後、
千葉県房総、
沖縄の離島、
東京都内、
3人の正体不明な男たちが現れる。
そして彼らが様々な登場人物と関わり映画が進んでいく。
カメラの切り替えが速く、頻繁に3つの場所は変わる。
話は少しづつ小出しにされて重層的な物語が少しづつ進み
解きほぐされて行く。
八王子の殺人事件の犯人・山神に似た3人の男。
田中に扮する森山未來、
田代を松山ケンイチ、
大西を綾野剛が
それぞれ演じている。
3人の正体不明の男の周辺にいる人々。
森山未來と仲良くなる少女に広瀬すず、
松山ケンイチの雇い主の渡辺謙と恋人になる娘の宮崎あおい、
そして綾野剛のゲイの友人に妻夫木聡。
殺人犯を疑われる男より、疑われたことによって起こる周辺の人への波紋、
それが詳しく描写される。
「疑うこと」
「信じることの難しさ」
「真実を語っていても、疑われる」
一体、血文字の【怒り】の示す意味は?
私には【怒り】のより、人を信じることの難しさ、
【信頼】について描かれた映画に思える。
もしかしたら犯人は、自分に対して怒っている。
憤怒の矛先が【善良な主婦のくれた一杯の冷たい麦茶なら?】
あまりにも理不尽で性根の腐った犯人。
この映画で本当に怒っていいのは、米兵に暴行された泉ちゃんだけだ。
ラストで腑に落ち、救われる映画だった。
琥珀糖さん、コメントありがとうございます。
また考察ありがとうございます。なるほどです。確かにあの事件が田中の下地であるのは間違いないですね。
長い作品で、原作は500ページほどあると聞きました。
映画ではかなりの部分が削除されているようですが、原作を読んだ方のコメントには、そのまま描かれているとのことでした。
私の単純な疑問は、タイトルとその根源である田中の「怒」
他の物語の人物たちの心は描かれているにもかかわらず、田中の「怒」の描き方が随分不十分なのかなと思ったのです。
もしかしたら、タツヤの怒りの矛先が田中を殺したのは、田中という人物は単に「怒り」を誘引する根源だけなのかなとも感じています。
コメントありがとうございます。
私は、映画の題名を重要視しません。
題名が作品テーマ、作品メッセージを表現しているとは限りませんので。題名は無題として映画観賞をしています。
自分の書いたレビューのなかで、自分の感じた作品メッセージ、作品テーマに触れれば良いと思います。
頻繁な場面切り換えは、原作通りとのこと。
本は、自分のペースで読めますし、読み返すこともできます。
しかし、映画は、決められたペースで物語が進行していきます。
分からない表現があったとしても、観返すことはできません(リピートはできますが)。
今回の頻繁な場面切り換えは、本ならば、納得できるまで読み返すことができます。しかし、映画には、それはできません。
複数の場面をまとめて放映し、切り換え回数を減らすなどの、映画の特質にあった修正はアリだと思います。
原作を映画の作り手が読んだ時、これは、一回だけの放映では理解できないと判断すれば、原作を最大限尊重しつつも、一回だけの放映で理解できるような脚本にすることは、許容範囲だと思います。
本には本の特質があります。映画には映画の特質があります。
原作本を映画化する時には、原作を最大限尊重した上で、映画の特質に合ったものにする必要があると思います。
では、また共感作で。
ー以上ー
この映画、見た時は題名が
『怒り』ではなく他の形容が良かったのでは?とずっと思ってたのです。
そして琥珀糖さんのレビューみてこの映画の事をまた考えました。
妻夫木くんのプールバーでのシーンやゲイの演技がかなり評価されましたね。
そして自分は何を書いたのだろうとみたら、レビュー書いてなかったー
もう一度みてみます。