「伊藤計劃への追悼のための原作改編」屍者の帝国 dopeさんの映画レビュー(感想・評価)
伊藤計劃への追悼のための原作改編
アフガンでの一連のシーンやその音楽、解析機関のアニメーションは他の皆さんも書いているようにハイクオリティであります。
しかしながら、伊藤計劃の作品に胸をうたれ、彼の死を今でも忘れられないわたしは、この作品を良いとは思えませんでした。
あまりにも原作そのものへの信頼に欠けており、結果として感動できないストーリーとなっているからです。
本作は、原作のシナリオから大きく変更がなされています。円城が引き継いだ原作のラスト、「ありがとう」という非常に感傷的な(唐突さすらある、だからこそ計劃ファンにとって重要な)メッセージを元に全体が大きく歪められ、登場人物の存在、作品全体のメッセージも、映画独自のものへと改変されてしまったように思えます。
おそらく、追悼としての「ありがとう」であり、尺におさめるための努力であり、伊藤計劃や円城塔を未読の若い方々へのアピールであろうと思いますが、ただそのためだけに原作をここまで蹂躙してよいのでしょうか。
そして、伊藤計劃が自らの手で執筆したプロローグ部分を映像にしない理由になるのでしょうか。
彼への追悼とするのならば、原作テーマを過剰に変更することなく、彼が言いたいことをそのまま映画にするべきだと感じます。それだけで、充分面白い映画になります。そうでなければ、そもそも映画にする必要はないでしょう。
そして、改変後のストーリー自体ですが、テーマの一部をあろうことか別作品である"ハーモニー"から引用しており、屍者への未練を描くストーリーとはそぐわず、後半の混乱の一因となっています。特にラストは整理されておらず、あの流れであればワトソンかフライデーは魂を亡くすべきでしたが、潔さ/道理のないハッピーエンドで締めくくられます。あれだけ感情を込めた演技を劇中ずっと浴びていたのに、泣くこともほっとすることもない妙な幕切れでした。
でも、この映画で、若いキャラクターに魅力を感じた方々が伊藤計劃の作品を読むのならと思って我慢すべきでしょうか。
原作をお読みになっている方、山岳地帯のシーンの美しさは間違いありませんので、そちらをお楽しみください。
最後に、このようなテーマの改変という自己愛を織り込むのであれば、最初からオリジナルでやってください。こんな自己満足の感情を詰め込まなくとも、伊藤計劃のことは二本のあの素晴らしい長編さえあれば誰も忘れません。