神々のたそがれのレビュー・感想・評価
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ルマータとゲルマン監督と芸術への目覚め
地球とは違う別の星という以外、全くSF要素のないSF作品で、これをSFにカテゴライズしていいのだろうかと疑問に思う。
内容は、わけが分からない、意味が分からないの連続で、そもそもストーリーなどというものが存在していたのかすら怪しい。
少し意味がわかりそうなシーンがあったかと思えば、また次の瞬間にはわけが分からなくなる。
映画に求めるものが、表に見えているストーリー(多くの人がこれだと思う)の人には全くもってつまらない退屈な作品だろうと思う。
妻は、作品に潜むテーマや裏のストーリー、それと登場人物の内面を見る人で、やはりあまり面白くなかったようだ。
しかしどうやら私は、ショットの素晴らしさとその繋ぎに重きを置くタイプらしく、このわけが分からない、意味が分からない作品を楽しんでしまった。
地球人の額についているカメラ映像という設定らしく、カメラの前に突然割り込んでくる花や物や動物、こちらを覗き込んでくる人など、自分がその場にいるような映像は実に気持ち悪く、その気持ち悪さは片時も目を離すことを許さない。
そして、複雑に入り乱れる人や物や動物をとらえた長回しは、強烈な印象を残す。
滑らかに移動していく視点は、ボールをカメラに変えたピタゴラスイッチだと気付いた。
一つの長回しシーンだけでも驚愕のカラクリだというのに、それがほぼ全編その調子なのだから、本作を21世紀最大の傑作と言う人の気持ちも分かる。
撮影期間が6年だそうで、そりゃあこれだけの物を撮ったらそうなるよなと納得しかない。
ここから一応内容について。
多分ネタバレではないと思うが、気になる方は注意。そもそも本作でネタバレなどという概念が存在するのかすら分からない。
サーカスのショーで、ピエロが出てライオンが火の輪くぐりをして空中ブランコがトリだよと聞いてこれがネタバレになるだろうか?
それだけ観なければ分からないし、あ、いや、観ても分からないんだけど、とにかく、観て初めて価値が生まれる作品だろうと思う。
原作小説は69年発表で、当時のソビエトに対する批判などを隠し持った、幾度となく繰り返し成長のない人間の愚かさを描いたものかなと思う。
それを、本来の意味が薄れてきてしまった、こんな後になって映画にしたアレクセイ・ゲルマン監督は、この原作に何を見出だしたのか考えてしまった。
そして、妻とのディスカッションを経て、人の愚かさに嘆き悲しむ主人公ルマータに監督自身が重なったのではないかとの結論に至った。
作品の登場人物たちは、会話の最中に突然食べたり、他人の顔を突然小突いたり、急に顔に何かを塗りたくったり、黒服などはルマータを捕らえると大勢で詰め寄るが、そのあとどうしていいかわからない、など。人間の姿をして言葉を話し、少し知恵がある以外はサルと同じだ。動物園のサル山を見ているような混沌や喧騒。
つまり、ルマータがアルカナル人に嘆いたように、ゲルマン監督は現代の私たちに対して、お前たちサルと同じだぞ、もっと賢くなれと嘆いていたのではないか。
製作期間15年。完成前にゲルマン監督は亡くなってしまった。
20年嘆き続けたルマータと15年嘆き続けたゲルマン監督が見事に重なってみえた。
ルマータがルネサンスを促すように吹いたラストの笛は、ゲルマン監督にとっての本作品で、やはり重なってみえた。
これを観て芸術とは何かに目覚めなかったら自分たちはいつまでもサルなのかなと思った。
汚い、不快、☆5。
腹いっぱい
わからなかった
WAMということならばクリスマスソング
難解というイメージの共産国のしかもSF映画だが、しかし所謂VFXやCGを用いたエンターティンメントな表現方法とは真逆の、リアリティ溢れる作品と感じる内容である。
とはいえ、記録映画的な演出、そして全編を通しての達観的で皮肉溢れる雰囲気はハリウッド映画との逆ベクトルとしての面白さをもたらしてくれる。
以前に観た『パフューム』を思い起こさせる、中世期ヨーロッパの市井のインフラをこれでもかと叩き掛けてくる説得力に目眩がしてくる。しかも三時間という現在映画では長丁場で…
汚泥、血、糞尿、体液、食品、動植物、昆虫、ありとあらゆる個体から吐き出す嘔吐と吐瀉。これ程の汚い描写をこれでもかと見せつける映画は今まで観たことがない。
しかしその人間の人間たる根源みたいなモノを表現するにはこれ以上にない描写であるのも事実である。
強烈な印象と紛う事なき本性、そしてアイロニーと諦観。何度も人間は同じ過ちを繰り返し、そしてバターになる…
決して希望も誇りもない世界。厭世を自覚するには充分過ぎる程の内容である。
ソプラノサックスのような楽器、そしてダウンジャケットのような甲冑、少ないギミックだからこそ強烈な印象がこの映画はSFなんだと思わせる。
もし、未来から、又はテクノロジーが発達した星から来た者が今の地球に訪れた場合、この野蛮な星をどう思うのだろうか…
とにかく今観るべきは未成年なのだろう。
※WAMはウェット&メッシーの略
間違いなくソ連のいつものSF映画
久々に本格的「ソ連」映画(ロシア映画じゃなく)を観た感じ。ソ連映画を見ていた方ならそんなに違和感なく見られます。書き込みが異常に多い映像ですが、話は単純明快、2時間ほどに縮めた方がすっきり見られたのになと残念でした。
間違いなくソ連のいつものSFです。テイストとしてはやや重ための「不思議惑星キンザザ」と考えてください。そのキンザザをはじめ、タルコフスキーやニキータ・ミハルコフを意識した映像作りや演出が随所に見られます。意外だったのはヒッチコックに影響されてるのかなと感じる演出も多かった点です。ギリアムの夢三部作なんかも影響を与えてるんじゃないかな。
あと、宣伝では「糞尿にまみれている」と強調されていますが、あくまで他所の星の800年ほど遅れた文明の文化を描くツールとして使われているだけで、劇場で見る限り、不快感や残虐性はほとんど感じません。ハリウッド映画を見慣れていれば神経逆なでされるほどのことは全くないと言っても過言ではないです。そして、このツールこそが映画のエピローグで「何かが変わった」ことを映像的に説明するため最大の武器となっています。たじろがず、しかと見届けましょう。
最近、辛口の酒が少なくなったとお嘆きの貴兄にはおすすめできる酒です。
話は全く理解できず、しかし映像は強烈
ストーリーは全く理解できませんでした。白黒である理由、それはあまりにもグロい絵であるからなのか・・・映像に耐えられない人も必ずいると思います。平日にもかかわらず座席が八割ほども埋まっていたのには驚きでした。単館のなせる業なのか、期待値を煽られてのことなのか分かりませんが、勘違いして来ていた人も多いはず。自分も想像を完全に裏切られた感じ。タルコフスキーの「ストーカー」並みの期待をしていたのだが、難解さだけが同様で、映像は相反するもの。美しさはストーカーには全く及ばないものの、絵の力はそれをも凌ぐもの。決して楽しくはない、はっきり言ってつまらない、しかしながらなぜかもう一度見たいと思っている今日この頃…。
原作「神様はつらい」を読んでみた。それでも話は意味不明。登場人物がようやく明確になった程度。それでも?であるから一層?もう一度見てみたい。
なんだこれは!?
試される3時間(しかし終わったら…なぜか楽しい)
内容も知らず監督の他の作品も未見。映画館での鑑賞。
約3時間、凄いものを見たという興奮が脳に残る。
傑作、怪作、他になんとでも形容できそうなこの映画。絶対受けつけない人もいるであろう。娯楽映画のセオリーは全くなく敢えて観客を挑発するような画作りを見せてくる。
しかしアート寄りというわけではなく全編ベチョベチョぐちゃぐちゃである。四六時中ぺっぺと唾やら何やら吐きまくり画面にブラブラと常にぶら下がり、長回しで意味不明なことを映している。モノクロでなければ耐えられないようなグロ描写も…。そして徐々にこの映っている世界の壮絶さを理解していくのだ。
根比べのような展開なのだが、終わると何故だか楽しかった…という奇妙な感想が残る。濃厚さで感覚が麻痺してしまったのだろうか。ありえる。
不潔で臭い豊饒さ!!
ずっとなんか喋ってるし、
ずっとなんか動いてるし、
物も人もごった返して雨とか降ってるし、
あらゆる切り口ですべてを埋め尽くそうとチャレンジするとこうなるのかなと思いました。
ある意味サービスが過剰すぎてこちらが飽和しちゃう感じ。
そんな嵐のなか普通だったらショッキングなはずの映像も過剰の連続で突出することはなく、そうならないように仕掛けられていて、でも画面を瞬間瞬間切りとったとするならたぶんどこもスチール写真としても非常に美しいイメージを実現できていて、中世(のような別の惑星という設定)のまだ未分化な世界をお腹いっぱい見せられちゃって吐気をもよおしながらも凄いものを見ちゃったという感動で1日経った今も震えています!!!
ゲラッパ ゲロンナップ!
地球から800年ほど文明の遅れた中世ヨーロッパに似た惑星に送り込まれた人間が、神と崇められるようになるが、惑星人の焚書・知識人への弾圧・殺害と、カウンターでやってくる宗教的武装集団の殺戮行為の繰り返しにあきれ、惑星人の皆殺しを決意する。「神はつらい」と言いながら。「神よ、もしいたら、俺を止めてくれ」と言いながら。
神は許す存在で、なにも止めたりしない。むしろ、自分は神ではないと自覚している人間が、神に殺戮の許しを請うたにすぎない。神がいればすべてが許される、のだ。
こう言うと、分かりやすい映画のようだけれど、観ていてほとんど筋はわからん。これは、衝撃的に芸術的なうんこ・しっこ・げろ映画だ。とにかく食べ物とうんこの区別もつかないほど汚いし、音は不快だし、登場人物はいっぱいいるけど全員不気味だし、画面はどアップで上下左右いたるところに物や人が溢れてそれぞれ存在を主張しているし、3時間の上映時間中、どんな意味でも映画が均衡することは一瞬もない。
すごいもんでした。
早く風呂に入りたい!
スクリーンを埋め尽くすかのような、人物、動物(もしくはその屍肉、食用なのか多くは吊るされている。)、用途のよく分からない道具。道具と言えば、どのシーンにも次々と風変わりでいて古風なデザインの小道具が映し出される。
絶えず降り続く雨、そのためにあらゆる地面がぬかるみ、室内も湿り気と泥汚れに満ち満ちている。
侮蔑の言葉と暴力の交換こそがコミュニケーションだと言わんばかりに、人々は絶えず罵り合い、痛め付けあう。そして糞尿があたりかまわずまきちらかされる。
中世を思わせるその世界は、ヨーロッパや東アジアの歴史が近世を迎えることがなかったとしたら、このような世の中が来ていたかも知れない様相だ。
ときおりカメラに目線を送る人物がいる。
この瞬間、観客はこの世界の中に存在している人間として、映画の中で起きている出来事を傍観しているかのような感覚にとらわれる。
これこそがヴァーチャル・リアリティと呼べるものではないだろうか。そう呼ぶに相応しい濃密な情報量がこのスクリーンには映し出されている。そして、延々と続く雨と湿気と臭気にうんざりさせられ、いつ果てるとも分からない世を呪いたくなる。
なんだかよく分からないのだけれどとにかくすごいなぁと感じるという意味では、ピカソのゲルニカやシュバルの理想宮のようだ。
鑑賞後、温かい風呂に浸かり、さっぱりとしたいと生理的に欲求したのは、私だけではあるまい。
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