「怒りの矛先」神々のたそがれ 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
怒りの矛先
地球より800年遅れた星が舞台。
その星にやってきた調査団の視点で、映画は語られている。
星の人々は、ある人は珍しそうにカメラを覗き、ある人はジャマだなとカメラに向かって呟き、動物達は勝手にカメラを横切る。
観察者が撮っている記録映像といった趣。
そんな映画を見ている観客もまた、観察者の一人なのであろう。
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他の方も書いていらしたが、ソ連らしい映画と思った(絵とは別の意義でも)。
その星では、帝政→革命→社会主義→崩壊と形態をかえてきた20世紀のソ連さながらに、力を持っているものが入れ替わる。皆、前の時代より良くなったと言うけれど、どの時代も醜悪。
為政者が栄えて滅びるを繰り返すあたりは、「大国の興亡」も彷彿とさせ、何もソ連にかぎったことではなく、地球の歴史を早回し、かつ露悪的に描いてみせたのかな、とも思う。
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主人公は、長年その星に滞在する調査団の一人。観察が役割なので、その星の人々が愚かしかろうと何だろうと、基本、傍観して、たそがれているだけ。
が、主人公がその星の女を愛し、女が抗争に巻き込まれて死んでしまったことで、様相は一変する。
何だコノヤローの、ちゃぶ台返し。傍観者の立場から一転、星の為政者を上回る、血を血で洗う大粛正。
主人公の怒りは、為政者やそれに諾々と従う愚かな民に対するものかと、最初思った。
でも、実のところ、怒りは、自分の同僚…観察者の一団、どんな光景を見ても「これが歴史だよ」とうそぶく連中に対して、一番強いように思った。
長年その星に居て、その星の歴史を作っている一員でもあるのに、他人事で自分が汚れないように、傍観者の立場を貫く者への怒り。
オレは観察者ではない。当事者だったんだ。そのことに気付いた怒り。
観察者ではない当事者だから、その星を愛せるのだ。
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最初に、この映画の観客も、観察者だと書いた。
糞まみれの星をみて、「これが歴史のカリカチュア」なんて書くような、したり顔の観客に対しても、同時に怒っているように思った。わかったような顔をしているお前らも、ほんとは当事者なんだからなと。
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追記1:
この映画と全くテイストは異なるが、アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』と同じ感じを受けた。どちらも激動の20世紀を凝縮した話であり、それを傍観者ではなく当事者として撮った映画だと思う。
追記2:
散々、真面目に書いておいて何だが、糞まみれの星の様子が面白すぎて、諸星大二郎と漫☆画太郎のマンガの実写版のような映画だったなあとも思う。