「精神分析的なアプローチが欲しかった」ヴィヴィアン・マイヤーを探して よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
精神分析的なアプローチが欲しかった
何万点という写真を残しながらも、一枚も公開することなく亡くなった女性の謎の人物像とその生涯を追うドキュメンタリー。
人付き合いが極度に少ない。新聞を捨てずに自室にとめどもなく積み上げる。子供に一風変わった接し方をする。肉親はほとんどいない。そうした証言を聞くにつけ、TVなどで取り上げられることのあるゴミ屋敷の住民など、何らかの精神的な問題を抱えたパーソナリティが浮かんでくる。
そしてこうしたパーソナリティ障害を抱えた人物が時として、非凡な才能を発揮することも、この映画で明らかにされるヴィヴィアン・マイヤーという女性の姿に合致するのだ。
写真というものは映画と同じく、撮影者の価値観や被写体への姿勢が反映される。
彼女の作品に映る多くの人物は、社会的な評価からは零れ落ちているような人々である。そして、想像するに、彼らは自ら被写体となることを望んではいない。なぜなら、写真には彼らの「醜態」が写ることが分かっているし、その「醜態」をさらすことで得られる利益などないことも分かっているからだ。
しかし、彼女はその被写体自身が望まない写真を大量に撮影している。このことから、映画中にもインタビューであったように、被写体に対する距離の取り型が非常に巧いことが想像できる。
なぜ彼女にはそれが可能だったのだろうか。たいていの人間が同じ被写体にレンズを向けても拒絶され、不興をかったであろうことが容易に想像できるのに。
このドキュメンタリーには、この疑問に対する具体的な答えは出てこない。インタビューを求めたのが、存命中の彼女を知る人々と写真家、評論家に限られたことが残念だ。精神医学や心理学の専門家にも意見を聞いてみて欲しかった。そうすれば、ヴィヴィアン・マイヤーという一人の女性の、残した写真だけでなく、その人物像にもっと観客は近づくことができたのではないだろうか。