あの日のように抱きしめてのレビュー・感想・評価
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治療とはいえドイツに戻る辛さは描かないのだな
ユダヤ人の妻とドイツ人の夫の愛の行方を軸にホロコーストを生き残った人々の顛末に迫るサスペンスドラマ。
顔が変わってしまったせいで夫に気付いてもらえないにもかかわらず、偽ネリーとして夫の傍に留まろうとするネリーに、女ってバカだなぁ、さっさと本当の事を言うか立ち去るかしかないだろうに、なぜ一番駄目な真ん中を選ぶのかと笑い。
偽ネリーが筆跡を完璧にコピーしたにもかかわらず本物のネリーだと気付かないあたり、男ってバカだなあと笑った。
しかし最後まで観るとこの見立ては間違いだったと気付く。
レネにさんざん、夫は裏切り者だと言われていたネリーは、もし気付かれたのならそれで良かったのだろうし、気付かれなかったために自分への愛を確認しようとしていた。
夫を愛していたから、彼は自分を愛していて裏切ってなどいないと信じたかったから。
夫のジョニーは結局、裏切っていた。妻の居場所と引き換えに釈放されていたのだ。ラストに登場する仲間たちも同様だ。
ネリーは大物で財産も多かったため、彼女を売ることで難を逃れた人たちなのだ。
つまりジョニーは、ネリーは死んだと思い込んでいる。いや厳密にはネリーは生きていないと信じたいのだ。
レネが親しい人々を失い自殺してしまったのと同じであり対比でもあるんだけど、自分が裏切った相手が生きていることが耐えられないのだ。だから頑なに本物のネリーだと信じない。
ここが凄く面白い部分なんだけど、対になっているレネの掘り下げがほとんどなかったからエンディングでの衝撃も深みもちょっと足りないんだよね。
レネの苦しみを手紙だけではなく描写してくれてたら星5でもよかったかなと思う。
一方で、ジョニーとの愛の確認のほうも面白い。
おそらくジョニーの愛は本物だったろう。しかし裏切っていた。
偽ネリーを作り上げたいが、本物のネリーに近付きすぎると罪悪感がこみ上がるので、似てないと突っぱねる。
そこからくる曖昧さがネリーには愛されていたように思えただろうし、そう信じたかった。
レネの最後の友人であったネリーが自分の元を離れてしまったために彼女は自殺した。
もう自分をこの世に留めておくための繋がりの一切がなくなってしまったから。
レネの自殺により目を覚ましたネリーは現実を直視する。
そして自分の歌声を使って最後の確認をする。
ラストシーンのネリーの歌は、久々だったろうから出だしこそ悪かったが、調子を取り戻し始めた時に、ジョニーのピアノが止まった。
ピアノが止まった後にまた一段と歌声が良くなる演出は秀逸だ。
偽ネリーだと信じて疑わない面々は、歌えないネリーに違和感を感じない。
しっかり歌えている瞬間がきて本物のネリーだと気付き愕然とするわけだ。生きていて欲しくない、死んでいて欲しいと、死んでいると信じたい人が生きていたのだから。
愕然とする面々を見て自分が裏切られていた事を知ったネリーの歌声は一段と響く。
ホロコーストによって戦後であっても翻弄された人々の物語。
一切の繋がりを失ってしまったネリーがレネと同じ道を歩まないことを祈る。
再起する人間の美しさ
ラストの「Speak Low」をジョニーが伴奏して、ネリーが歌うシーンは、スリリングで痺れる。調べてみると1943年の楽曲で、連行される前にネリーが歌ったされる。時間的に合わない気もするが、それは言うまい。伴奏中、収容所で付けられた番号をジョニーは見つけ、エスターがネリーだとやっと気がつく。とにかく、愛について切々と歌うネリーの歌いっぷりが素晴らしい。夫との間にあった愛が、消えていくようにも見えるこのシーンは、それだけで観る価値がある。歌い終わり、屋外の庭に一人出て行くネリー、戦争という悲劇の長いトンネル抜けた後ろ姿が、眩しいばかりに光り輝いていた。そこには、人間の再起する美しさを感じさせる。
悲しみの極致
終始、妻の視点から描かれるこの作品は、男性目線からでも
妻に対する同情が禁じ得ない。
夫は保身と金の事しか考えていない。
それでも妻は、そんな夫が愛しくて堪らない。必死で尽くそうとする。
利用されていることが分かっているのに、好みや嗜好などを覚えてくれてい
た、それだけで絆されてしまう心の弱さ。
余りに切ない。コンパクトな尺の中で次第に物語が展開していく。
様々な手引きをしてくれた友人の自殺、明らかになる密告者の正体。
疑心暗鬼は次第に確信に変わる。それでも、夫を妻は愛していた。
そして、夫婦の想い出の曲「speak low」において揺るがぬ妻である証明と決別を告げる。
It's too late. その歌詞は妻の心中を悲しくも代弁している。
自分を演じるということ。
前半部分なんかは、複数に割れた鏡に映る人物や、壁に映る影など、オーソン・ウェルズへのオマージュと取れる箇所があった。
まるでフィルムノワールのように不穏だ。
そして後半はひたすらヒッチコックの「めまい」だ。
自分で自分を演じ続けること。
「めまい」は、それをほぼ男目線から描いているが、本作は女目線で描いている。
そのため、演じる側の葛藤というものが嫌というほど伝わってくる。
最後の最後で夫が真実を知る瞬間がある。
ここを視覚だけで示しているのがたまらない。
決して「私はあなたの妻よ」などと、台詞で語ったりはしない。
囚人番号という視覚的なワンクッションを置くことにより、「言葉にする事もできない」ほどに夫が受けた衝撃と、妻の「言葉にする事もできない」ほどの怒りや悲しみがより際立つのである。
また、「歌声」も同じ事が言える。
この歌声を聴いて、真実に気付かなければいけないからこそ、夫はピアニストであり、妻は歌手なのである。
歌声で判断しなければいけないからこそ、音楽に精通している必要がある訳だ。
映画では語られないが、恐らく出会ってから何度もセッションをしたのだろう。
その2人が共有するセッションという思い出が、残酷に衝突する瞬間。
全てはこのラストのために作られている。
真実が明らかになってから、映画が終わるまで、台詞は一切無い。
打ちのめされた夫と、去っていく妻だけだ。
だが、台詞などなくとも、心理は痛いほど伝わる。
台詞がないからこそ、エモーションになる。
良い映画とはそういうものだ。
ラストがいい
1945年、ベルリン。ネリーは強制収容所から奇跡的に生き残ったものの顔に大きな傷を負い、再生手術を受ける。過去を取り戻すために夫ジョニーを探し出そうと奔走するネリーは、ついにジョニーと再会を果たす。しかし、ジョニーは顔の変わった彼女が自分の妻ネリーであることに気づかないばかりか、収容所で亡くなった妻になりすまして遺産をせしめようと彼女に持ちかける。夫は本当に自分を愛していたのか、それともナチスに寝返り自分を裏切ったのかを知るため、ネリーは彼の提案を受け入れることにする。ラストには歌を歌って夫のジョニーは腕の囚人番号を見てすべてを悟りネリーは出ていく。
本作は"カンマ"の物語なんです。 語っては、駄目。
「あの日のように抱きしめて(2014)」
原題:Phoenix
現在上映中なので、頑張ってふわっと書きます!
でも書きすぎたら、ごめんなさい!
1)Speak Low
2)I'm A Fool To Want You
3)Black Coffee
4)Round Midnight
あ、全く関係ないですけど、私の鼻歌ランキングです。
大好きな"Speak low"が印象的に使われてるという噂と、クリスティアン・ペツォールト監督の"東ベルリンから来た女(2012)"が面白かったので観てまいりました。
※主演が ニーナ・ホスと ロナルト・ツェアフェルトで、全く同じなんです。
本作のお話に行く前に、ちょっと“Speak low”の歌詞について語らせてください!
この曲が凄く好きなのは、その歌詞の秀逸さなんです。
こう始まります。
“Speak low
When you speak, love
Our summer day withers away
Too soon, too soon”
だいたいこんな訳がついています。
“愛を語るときは、そっと囁いて”
“speak, love”
愛を語る。でもこのspeakとloveの間に“,(カンマ)”がありますよね?
そう!このカンマが存在する理由を考えて頂きたいのです。
このカンマがあることで、Loveは“愛”だけではなく、“愛しい人”=ダーリン的な意味にもなるんです。
何故カンマが?
だって、Speak lowですもの。(誰にも聞かれないように)そっと囁かなくちゃいけないんです。「愛」は口に出せないんです。出した途端に、壊れるかもしれないから。
“愛は一瞬の花火。直ぐに闇が訪れる”愛は儚く脆い。失ってしまう不安と恐れも唄っています。
私は子供の頃から、ジョー・スタッフォードのSpeak lowを聴いていました。
本作では、作曲のクルト・ヴァイル本人が唄っています(初めて聴きました)。
クルト・ヴァイルはユダヤ迫害を逃れ、アメリカに移住。シェイクスピアの「から騒ぎ」の一節にインスパイアされて、作曲しました。ほら仮面舞踏会で、一目惚れした親友の代わりに、マスクをつけたドン・ペドロが親友になりすまして"Speak low When you speak, love"って囁くじゃないですか!
すみません!
前置きが長くなってしまいました!
えっと、本作はこのspeakと loveの間の"カンマ"の物語なんです。
さて。
ナチス収容所から奇跡的に生還するも、顔に酷い怪我を負ったネリー(ニーナ・ホス)。整形手術を受けるも、前とは違った顔になってしまいます。
やっと夫ジョニーと再会するも、ネリーだと気付きません。それどころか、妻のネリーは死んだ。自分には遺産を相続する権利がないから、ネリーの振りをしてくれ。財産を受け取ったら、山分けにしようと持ちかけます。
ネリーは現在の自分を殺して、以前の自分自身を演じます。
「お互いのことを知っていく、恋の始まりが楽しい。彼といると、元の自分に戻れる」
恋の始まりの高揚感に興奮している。
その興奮で忘れたいのは、収容所でのつらい経験でしょうか。
何故ネリーは、現在の自分をジョーに愛されたいと思わないのか。
女性は常に、現在の自分を愛して欲しい筈です。違うかな?
これ、一種の自傷行為のように思いました。
変わったのは、顔だけでないのが分かる。
ネリーの友人は亡くなったユダヤ人への責任、理不尽な歴史への怒りに押しつぶされます。
そしてネリーは、自らを傷つけ続ける。
ネリーの体型や所作や声は変わっていない。けれどジョニーは気付かない。
知人達が容易にネリーと認識するも、ジョニーは気付かない。気付かないふり?気付きたくない?知りたくない?語りたくない?
罪悪感が、そうでないことを祈っている?
というか、ジョニー役のロナルト・ツェアフェルトが、またのほほーんとした顔つきの役者さんなんです。
ラッセル・クロウを水でふやかした感じなんです(笑)!
なんか心が読めない顔立ちなの!
さて、思い出してください。
先ほど妻が死んだのに、「相続する権利がない」とジョニーが言ったと書きました。
妻が死んだら遺産の相続第一順位は、配偶者ですね。夫のジョニーの筈です。
おかしいですよね?これ、ネタバレに繋がりますね。
最初っからネタバレしてるこのストーリーが、サスペンス映画である筈はないと思います。
そこじゃないです。
ネリーは、それを聞いてスルー。
いや、気付いたでしょう。
でも女はそれが真実だから信じるんじゃない。
信じたいから信じるんです!
"Speak low
When you speak, love"
また、声楽家だったネリーの声を、ピアニストのジョニーの耳が分からない筈はないと思います。
本作は"カンマ"の物語なんです。
語っては、駄目なんです。
※邦題・キャッチ共に酷いです。
「ただ知りたい」って。
そんな単純な心理状態ではないと思う。
夫の内面がわからないまま
ネリーがジョニーに再会する事を支えに収容所生活をしていた事は想像できる。
だから、ネリーの諦めの悪さ(もとの顔への再建手術したのに夫に妻だと認識されなかったのに諦められないところなど)に、憤りを感じながらもわからなくもない。
レナがそんなネリーを許せないのもわかる。レナの自殺要因がそのせいなのかははっきりわからないけれど、そう思えなくもない書き方だった。
で、ジョニーですよ。結局妻をナチスに密告し、さっさと離婚しておきながら、その離婚をない事にして収容所からもどった偽妻をつかって元妻の資産を得ようとするわけです。それも普通の顔してやるから、何考えてんだ?的な。
結局ラストでジョニーは目の前で歌っている女がかつての妻であると気づいたようで、その緊迫したシーンは見応えがありました。
スピークロウが切なくしみるエンディングでございました。
レナが早く良くなったらパレスチナ(ってゆってたような。イスラエルは言ってなかったような)へ移住しましょうと言っていて、シオニズムだ!と、世界史の授業で覚えた単語を連想して喜んでしまいました。
もう少し。。。
旦那役がぼんくらで底が浅いのは演技なのか、その程度の演技力なのか…。
なんでそんな男を許すんだ、と主人公にイライラしてしまったけれど、彼女は収容所での過酷な日々を、夫のことを思って生き抜いたんだろう。でも夫は端っから彼女を裏切っていた。
ここで夫役の役者がもっとうまかったら、多少は良心の呵責があったのか、それとも全く悪いと思ってなかったのか、彼女を愛していなかったのか、そういう感情が表情から伝わっただろうに。
もし演技力の問題ではなくあえてそういう演技をさせたのだとしたら、演出の問題だな…。
主人公は鬼気迫る演技が素晴らしかった。特に最後のSpeak lowを歌うシーンが最高
ドイツ版『めまい』を期待しましたが・・・
おぉぉ、これはヒッチコックの『めまい』のヴァリエーションではありますまいか!
なんともソソラレるハナシだ。
自動車で夜の国境を超えようとするネリーとレネのオープニングシーンから雰囲気があってゾクゾクする。
しかし・・・
うーむ、途中からどうもハナシがうまくない。
こちらが『めまい』の変型だと思っているからかもしれないが、再会してからのふたりの関係性があまり変化しないのだ。
実は生きていたことをジョニーにわからせたいネリー。
そして、裏切り者でなかったことを信じたいネリー。
それに対して、ジョニーがほとんとボンクラにしか見えないのが致命的。
筆跡や立ち居振る舞いが「死んだはずのネリー」に似ているにも関わらず、一向に訝しくも思わないし、かといって「死んだはずのネリー」に近づけようとする努力も描写がおざなり。
まぁ、『めまい』のように、「死んだはずのネリー」に似た女にどんどん憑りつかれていくような官能性は、この映画では不要なのかもしれないが。
なので、切ない衝撃的なラストが活きてこない。
せっかくの甘美な曲「スウィート・ロウ」も、その魅力が半減。
致命的なのは、「死んだはずのネリー」に似せて美しく着飾っていくネリーが、全然美しくないこと。
これは、個人的な好みかもしれませんが・・・
ということで、少々期待外れ。
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