アリスのままでのレビュー・感想・評価
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現実味があり考えさせられる映画
若年性アルツハイマーで記憶力を失う言語学者と家族の
生活を描写する映画は、ちょっと暗い話しで、どうかと
思いましたが、みたら、配役がよく、登場人物達や生活風景が
めぐまれた家族のもので、眼にやさしく予想外に良い映画でした。
「セッション」よりよかったと思います。余韻が残ります。
いわゆる典型的なハリウッド映画でなく、アクションや悪者との
相克がでなく、痴呆症さえ発病しなかったら、恵まれた
女性として最高の人生をおくってコロンビア大学教授女性の
変貌と家族とのやりとりを、きれいな海やNew Yorkの
町並みの景色を背景にうつしています。
学者としての地位、やさしくイケメンで優秀な医者の夫、
3人のすばらしい子供達、広い住居と別荘と、女性として
すべてを手にいれたアリス。彼女が、勝ち取った知識と語彙の
豊富さを記憶の消失とともに失い、尊厳を失っていく話は、
誰にでも、老いたら起こりうる事として、自分や家族がそうなった
ら、どうしたらよいのか、考えさせられました。
私自身、両親が老いとともに体力と知力を段階的に失い、記憶も
弱くなってきて、このごろは、前の日のことも忘れるので、訪問する時に、用意してあげた食事の日付と内容のメモをつけて冷蔵庫にいれ、かつテーブルにメモをかいてあげるこの頃なので。人は無力の赤子から、自立した大人になり、老いとともに、体力と記憶力が退化して、赤子のように人の世話が必要になるのでしょうか。その時に献身的な家族がいたら、より幸せな老後だといえましょう。アリスの様に、メモを沢山用意したり、将来の自分へのメッセージを残すのを老前準備に入れるのもよいかも知れません。
「アリスのままで◯◯◯」の◯◯◯にどんな言葉を入れますか?
さすがのジュリアン・ムーアですねー。「迫真の演技!」とか「すごい役作り!」とかそういうとこで勝負してないカンジが良かったです。脚本や演出に依るところも大きいと思うんですけども、ただただ感じ良くて聡明なお母さんを体現していて、観客はアリスを好きになりますよね。
「観客がアリスを好きになる。」この映画のけっこう重要なポイントだと思いました。
この映画、若年性アルツハイマー病を“社会派”的に取り上げてる話じゃないです。また、いわゆる典型的な難病モノとして、死に別れの悲しさで泣かせる話でもないようです。そういう「大きな話」に意図的にしていなくて、これはたぶん、「アリスという人に、観客を寄り添わせる話」なんでしょうね。だから「観客がアリスを好きになる。」ってのが重要で、そうさせたら勝ちって映画だったんだと思います。
観てる途中はですね、どんどん記憶をなくしていくこれからの自分に対して、アリスが仕組んだある仕掛けがあるんですけども、その是非について考えさせる映画なのかなーと思ったんです。その仕掛けをする自由が、人にはあるのか?そんな話だったのかなぁってエンドロールの最中も考えていたんです。人間が人間であるために必要なものと、自分が自分であるために必要なものの違いについてとか。
そういう思考を保留にしながら映画館を出た時に、前より天気が少し良くなっていて、
ふと、「おし、今日からもっと精一杯生きよう。」という気持ちになったんです。
そしたらもう、テーマだのメッセージだのはどうでもよくなっていましたよ。あぁ、こういう映画の楽しみ方もあるんだなぁって思いましたね。そんな映画でした。
「アリスのままで」ってタイトルにどんな言葉を続けるか?
「アリスのままで、できるだけ生きる」
「アリスのままでいられるうちに死ぬ」
「アリスのままでいたいけど、もうムリ」
「アリスのままでという扱いで接し続ける」
いろいろ当てはめて考えていたんですけど、そもそも原題は「Still Alice」。
だったら「アリスのまま」って直訳ですよ。「で」が余分だったんです。
どうなろうと彼女は「アリスのまま」ってことですよ。
彼女自身に記憶が消えても、誰かが彼女の記憶をもって彼女のそばにいるならば、彼女は「Still Alice」ってことなんだなと思いました。やっぱりね、アリスという人に寄り添うことで感じる映画なんですね。
何の話だかわからなくなってきましたね、たぶんこれは愛の話です。
スティルアリス
病気を深く掘り下げていくというよりは、割かし淡々とアリスとその家族を描いている。
映画自体は、一番の問題児だと思われていた次女が強がりを言いながらも演劇の夢を実質上諦めて母と暮らす決断をし、“愛について”の戯曲の読み聞かせで終わる。
他の家族も決してアリスの事を思っていないわけではないが、自分の仕事や家庭の事もありアリスの介護を優先するに至っていおらず、(フィクションだが)映画で描かれている部分のその後が本人にとっても周りにとっても「地獄」なんだろうなと少し不安な気持ちでエンドクレジットを見ていた。
現実的には、ビデオメッセージの睡眠薬自殺が成功していた方が全員にとってハッピーエンドだったのかもしれない。
ジュリアン・ムーアは流石のオスカー演技で、彼女の感情の起伏にこちらの感情も大きく揺さぶられてしまったし、現実のアレック・ボールドウィンなら我慢できずにキレてそうだが、夫のおおらかな姿にも心を打たれた。
1つだけ文句と言うか、これは日本語字幕に対して言いたいことだが、エンドクレジットの際に、ずっとぼやけていた「STILL ALICE」という文字がクッキリと浮かび上がる演出がある。
これは劇中でもアリスの思考を表現するのに用いられていた技法で、とても効果的なタイトルコールだった。
そこに字幕でも同時に「アリスのままで」と出てきてかなりの興醒めだった。
この映画を見る層でそれを必要とする人間はいないだろ。
遺伝子検査や尊厳死の問題も
言語学者として大学で教え、家族にも恵まれ、幸せを絵に描いたような人生を送ってきた50歳のアリスが、若年性アルツハイマーにより記憶と知性を失っていく過程を描いた、アルジャーノン的な話。
シンプルなストーリーながら、社会の様々な問題が複層的に現れる。メインの話は知性をアイデンティティにしてきたアリスがそれを失っていく悲しみ、それを支える家族の愛、などだが、他にも重要なテーマがいくつも出てくる。
もしかしたら原作ではそれらの一つ一つがもっと掘り下げられているのかな?と思った。
言葉によって自分で規定してきた人間がそれを失ってしまったら、という告白はとても共感できる。
自分の中から言葉、思考、概念、といったものをうばってしまったら……。知性に頼って自分を守ってきた人間が一番恐怖することではないだろうか。
「アリスのままで」というタイトルも深い。知性や記憶を失ってしまったら、それはアリスではないのだろうか。
社会的な地位や金銭で成功している夫や長女は、それをもうアリスと認めることはできなくなってしまった。
しかし、家族のはみ出しっ子である末娘は、知性を失う前も、後も、アリスに対するまなざしに変わるところはない。
彼女だけは、知性がアリスの条件であるとは考えていなかったのだろう。最後、全てを失ったように見えたアリスが、末娘の問いかけに答えるシーンは泣ける。
してみると、アリスがアリスでいられるのは、アリス自身の問題ではなく、周りの人間が彼女をアリスとみなすのかどうか、ということになると思う。
家族や周りの人間の病気や苦しみへの無理解が、患者にとってもっとも苦痛になる、ということも実感する。
メインテーマと別の問題提起に、「遺伝子検査」がある。
アリスは遺伝性の若年性アルツハイマーで、原因遺伝子をもっていると100%発症するという。そして、子供に遺伝する確率は50%だ。
アリスの子供は三人で、三人が別々の運命をたどる。長女は陽性、長男は陰性、末娘は検査を拒否する。
そして長女は体外受精による不妊治療を受けていて、「子供に原因遺伝子が遺伝しない」治療を受け、男女の双子を産む。
この辺は映画の中でさらりと出てくるだけだが、この辺のドラマだけでもう一本映画を作れるだけのものだと思う。
三人の子供の設定はおそらく遺伝子検査の問題提起のためではないかと思う。
長女がした生殖医療は、おそらく着床前遺伝子検査というもので、複数の受精卵の中から、原因遺伝子のない受精卵のみを選ぶ、というものだ。また、「望み通り」男女の子供を授かった、という言葉の裏には、男女の性別も受精卵を選ぶときに決めた、という意味が含まれている。
こうした受精卵の選別は倫理的な問題がある、と考える人もいる。こうした治療を、末娘ではなく、長女が行った、ということも、意図的な設定だと思う。
家族の遺伝子検査によって、自分自身の運命を知ってしまう、ということはこれまではなかった新しい問題であり、検査により知っても、検査を拒否して知らなくても、大きな葛藤が残されることになる、難しい問題だ。
別のテーマで、「尊厳死」という問題もある。
アリスは自分の最期を、自殺という形でしめくくりたかった。しかし、それはアクシデントによりかなわず、アリスはそれが不可能になってしまったことを嘆くことすらもできなくなってしまった。
このアクシデントを幸運なことと考えるか、不幸なことだと考えるかは、かなり見方が分かれそうに思う。
これも、神様が死ぬ時期を決める、という素朴な考えだった昔にはなかった問題であり、遺伝検査と本質的に同じ問題を含んでいるように思う。
こんなきれいごとじゃないぜーい!
主演したジュリアン モアは、この映画で、若年性アルツハイマー病患者を演じて、ゴールデングローブ賞と、アカデミー主演女優賞を受賞した。脚本と監督をしたリチャード グラリアは、この朗報を待たずにアカデミー賞授賞式の2日前に、肺炎で他界した。奇しくも同じアカデミー主演男優賞を獲得した「博士と彼女のセオリー」の主役と同じ、ALS:筋委縮性側索硬化症だった。
ALSは、難病の一つで原因も治療法も確立されていない。ステイーブン ホーキンス博士の場合、発病後余命2年と診断されたが、奇跡的に進行が止まり、障害を持ちながらも存命しているが、一般的にこの疾病は、進行性で発病後徐々にすべての筋肉の機能が失われていって、最終的には呼吸筋が硬化して死に至る。
一方、アルツハイマー病は、ある程度遺伝性が認められるが、神経細胞の変性と消失について明確な原因と治療方法が確立しておらず、いったん発病すると脳の委縮が始まり、運動機能が失われ、認知能力も記憶力も失われていく。多くの患者は、大脳の委縮によって、自分の家に帰れなくなる、家人を他人と見分けられない、自分が他人からないがしろにされ、ひどい扱いを受けている、など、被害妄想に苛まれ、幻覚に苦しみ、日常生活に支障が起きる。治癒のための治療法はないが、患者が事故にあわず安全に生活するための援助をすることによって、延命させることができる。
ストーリーは
アリスは言語学者で、コロンビア大学で教鞭をとっている。夫は立派な実業家、すでに独立して家を出ていった二人の娘と息子がいる。長女は双子を妊娠していて、末っ子の次女は役者になる夢を追っている。。長男はパートナーとうまくいっていないようだが、仕事はまじめにやっている。まずまず幸せで、順調な家庭生活だった。
ところがアリスは50歳になり、物忘れが激しくなってきた。講義をしていて、適切な言葉が出てこない、ジョギングをしていて帰り道がわからなくなる、など気になることが起こるようになって脳神経外科医を訪問して、そこで若年性アルツハイマー病であると診断される。アリスの父親はアルツハイマー病で亡くなっていた。3人の子供たちが遺伝子検査を受けるために、病院に送られることになった。そこでわかったことは、双子を妊娠している長女がアリスと同じ遺伝子を持っていることだった。急きょ妊娠している双子に遺伝子を取り除くプラズマ治療が行われた。アリスは娘に謝ることしかできない。
失業したアリスは、自宅のコンピューターに、いくつものファイルを作り、自分が自分であることを忘れても、日常生活に支障をきたさずに済むような対策を練る。ひとつのファイルには、押し入れの奥に隠した薬を一挙に全部飲み、ベッドに横たわるように、それを誰にも言わずに一人でするように、というものだった。
アリスの初孫が無事に生まれ、夫は仕事で忙しく、恋人と別居していた長男は仲直りして同居するようになり、役者になりたいと望んでいた次女は、徐々に望みを実現していこうとしている。ある日、コンピューターに、見知らぬファイルをみつけたアリスは、ファイルの中の自分が言うように、寝室に行って押入れの奥から薬ビンを見つけ出す。しかし飲み込もうとしたときに、家政婦がやってきてビンを落として薬は床に飛び散ってしまう。それがどんな意味を持つものだったのか、アリスにも家族にも誰にもわからない。一見平和で静かな家庭生活は何事もなかったように過ぎていく。
というお話。
誰も映画の中で、泣いたりわめいたり、怒ったり、争ったり、ぶん殴ったり、刺したり、誘拐されたり、殺したり、逃亡したり、麻薬を打ったり、カーチェイスの末、車ごとひっくり返ったり、銃撃戦の末生き残ったりしない。知的で3人の良い子をもった中産階級の中年女性が記憶をなくす病気になったという日々を淡々と描写した映画だ。
しかしアルツハイマー病は、現代社会のなかでは治癒することのない進行性の病気で、一体誰に発病するかわからない。自分かもしれないし、家族の大切な一員に明日降ってわいたように降りかかってくる疾病かも知れない。老人人口が増大するに連れ、患者は増える一方で減ることはあり得ない。明日は自分の話か、そういった潜在的な恐怖感が、この原作をベストセラーにして、映画に注目が集まる結果になったのではないだろうか。
しかし、この映画はとてもきれいに作られている。きれいすぎて嘘くさい。
映画のなかでは、ニューヨークに住む中産階級のナイスな家、海辺の別荘、一人としてグレない立派な3人の子供たち。長女はアルツハイマーの遺伝子は持っているが妊娠中の赤ちゃんには遺伝子を排除できる高額の医療費を楽々出せて、夫はアリスのために家政婦を雇っても家計が破綻する様子もない。50歳代の働きざかりのアリスが無収入になっても、ローン地獄が待っているわけでもない。イケメンのアリスは、トイレが見つからなくて、失禁したりもするけど24時間おむつのお世話になっている様子はないし、やさしい父親の理想像のようなアレック ボールドウィンと同じベッドで、夜中不安になればいつでも抱きしめてもらえる。イケメンの長女、長男、次女みんな経済的に困っている様子は全くないし、末娘のクリステイン スチュワートなど、思わず見入ってしまうほど画面にでてくるたびに美しくて、役者になりたがってる女の子というより世界的に名の売れたモデルで売れっ子ハリウッド女優そのままだ。吸血鬼を愛してしまう「トワイライト」シリーズで、去年は映画界で最高金額を稼ぎ出した女優だそうだが、すばらしいスタイル。彼女はいま一番輝いている美貌女優だ。
それにしても、そんな中産階級の贅沢ばかり見せられた後で、いったい、そんでもってアリスが可哀そうですか?
パリ大学のトマ ピケテイ教授に言われるまでもなく、資本主義社会では原則的に富裕層と貧困層との格差は拡大する一方だ。ごく一般の共稼ぎ家庭で、働き盛りの一方が病気で働けなくなったら、以前と同じ生活レベルを維持していくことはできない。アルツハイマー病の治療薬はないが、進行を遅くしたり、抗精神病薬や、抗鬱病や抗てんかんなどの薬を併用するので医療費もかかる。症状が進めば失禁でおむつも要るし、施設にも入れなければならず医療費はかかる。経済的だけでなく、家族を認知できなくなった家人を世話しなければならなくなった家族の精神的な負担は語り切れない。アカデミー賞受賞で、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望むと、ジュリアン モアは、言っていたが、実際のアルツハイマー病の患者がこの映画をみたら、「こんな映画みたいにきれいごとじゃないぜい。」と言い捨てるだろう。
モーガン・フリーマン並みに作品を選ばないっぽいジュリアン・ムーアが...
モーガン・フリーマン並みに作品を選ばないっぽいジュリアン・ムーアが若年性アルツハイマーにジワジワ蝕まれていく様を淡々と見つめる作品。
自分が自分であるのは今まで生きてきた記憶ゆえであり、それをひとつひとつ失っていくということは少しずつ自分が自分でなくなるということに他ならず、その過程に果たして耐えられるのか?という問いに対する答えは明快で、そんな恐怖すら私は忘れてしまうだろうということ。であれば私の人生とは凪から生まれたささやかなさざ波に過ぎず、それは家族や知人の記憶に残像を残しはするがそれらも全てやがて無に帰する。ならば己の人生に一体何の意味があるのか?そんな虚無感に立ち向かう行動をアリスは試みるがその結果も途方もなく残酷でした。
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