「stillの意味」アリスのままで だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
stillの意味
原題は「Still Alice」です。邦題は「アリスのままで」です。ここでの「Still」は「未だ、今までどおり」という意味を採用しているのかなあと推測しますが、映画を見て思ったのは、「それでも(やはり)、なお」という意味での「Still」ではないかなあと思いました。記憶を失っても、これまでの彼女でなくなってもそれでもやはりアリスだった、というほうが、私の鑑賞後に抱いた感想に近いように感じました。
ジュリアンムーアは「めぐりあう時間たち」「エデンより彼方へ」辺りからお気に入りで、その後のアクション、サスペンス以外の出演作は大体見ています。この作品での演技はオスカー受賞にふさわしいものだったと思います。
優秀な研究者で、コロンビア大学の教員で、家庭を立派に切り盛りする主婦で、3人の子の母で、夫とも冷めていない、スーパーウーマンだったアリスが、若年性アルツハイマーに侵され、記憶を失っていく過程と、それを目の当たりにする家族の物語なのですが、スーパーウーマンからだんだん遠ざかってゆく過程が見事に演じられており、引き込まれます。
大学構内で迷子になるシーン、トイレが見つけられなくて失禁してしまうシーン、発病後のスピーチのシーン、自殺用の睡眠薬がなかなか見つけられないシーンなどが印象的でした。
過去の望みどおり、一線を越えたら自殺するという望みさえ叶えられないほど症状が進んだアリスでしたが、外側から見ている分には、なにも覚えていられなくなってからの彼女がそんなに悲壮ではなく思え、次女に本を読んでもらって受け答えをするシーンをみて、記憶や経験をそぎ落としても、アリスはアリスのままじゃないか、と思いました。ひと時限りであっても彼女を彼女足らしめる感受性のようなものは確かに残っていると思ったからです。
家族の対応も、興味深いものがありました。医者(研究寄りっぽい)の夫は精一杯アリスに寄り添っているつもりだけど、変化を直視できず、仕事に逃げる。
弁護士の長女はアリスのアルツハイマー病遺伝子を受け継いでおり、そのことでの絶望(?)と、自身が母になったこともあり、母への対応は優先順位が低くなった様子。
多分医学生の長男は学業優先で特に何もせず。
結局は、発病前のアリスにはその選択が認められなかった、大学に進学せず西海岸で役者をしている次女だけが、発病したアリスの気持ちを慮り、寄り添い、最終的にはニューヨークに戻って母の介護をするようになりました。
夫、長女、長男が愛していたのは、スーパーウーマンの妻・母であり、そうでなくなった彼女を受入れられない様子を感じました。次女だけが、そうではなかった。皮肉だなあと思いました。でも、そんなものかも知れません。次女が人格者だっただけで、普通の人は夫や長女と同じ様な対応になるのでしょうね。明らかにお荷物扱いしていましたものね。
そして物語に引きずられるように、次女を演じたクリステンステュワートがとてもいい俳優に思えてきました。先週「アクトレス」でも見ていて、重要な役を続けてみたせいでしょうけれども。絶対見ることはないと思っていた「トワイライト」シリーズを、、、、、、み、観てみようかしらとまで思い始める始末。
夫役のアレックボールドウィンもよかったですけどね。長女役の人は高慢ちきな感じがして(演技ですけどね)すごくいやな感じがしました。エリートでない妹を非常にさげすんでいる感じとか、いやでした。
とてもいい映画だと思いました。