「遺伝子検査や尊厳死の問題も」アリスのままで SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
遺伝子検査や尊厳死の問題も
言語学者として大学で教え、家族にも恵まれ、幸せを絵に描いたような人生を送ってきた50歳のアリスが、若年性アルツハイマーにより記憶と知性を失っていく過程を描いた、アルジャーノン的な話。
シンプルなストーリーながら、社会の様々な問題が複層的に現れる。メインの話は知性をアイデンティティにしてきたアリスがそれを失っていく悲しみ、それを支える家族の愛、などだが、他にも重要なテーマがいくつも出てくる。
もしかしたら原作ではそれらの一つ一つがもっと掘り下げられているのかな?と思った。
言葉によって自分で規定してきた人間がそれを失ってしまったら、という告白はとても共感できる。
自分の中から言葉、思考、概念、といったものをうばってしまったら……。知性に頼って自分を守ってきた人間が一番恐怖することではないだろうか。
「アリスのままで」というタイトルも深い。知性や記憶を失ってしまったら、それはアリスではないのだろうか。
社会的な地位や金銭で成功している夫や長女は、それをもうアリスと認めることはできなくなってしまった。
しかし、家族のはみ出しっ子である末娘は、知性を失う前も、後も、アリスに対するまなざしに変わるところはない。
彼女だけは、知性がアリスの条件であるとは考えていなかったのだろう。最後、全てを失ったように見えたアリスが、末娘の問いかけに答えるシーンは泣ける。
してみると、アリスがアリスでいられるのは、アリス自身の問題ではなく、周りの人間が彼女をアリスとみなすのかどうか、ということになると思う。
家族や周りの人間の病気や苦しみへの無理解が、患者にとってもっとも苦痛になる、ということも実感する。
メインテーマと別の問題提起に、「遺伝子検査」がある。
アリスは遺伝性の若年性アルツハイマーで、原因遺伝子をもっていると100%発症するという。そして、子供に遺伝する確率は50%だ。
アリスの子供は三人で、三人が別々の運命をたどる。長女は陽性、長男は陰性、末娘は検査を拒否する。
そして長女は体外受精による不妊治療を受けていて、「子供に原因遺伝子が遺伝しない」治療を受け、男女の双子を産む。
この辺は映画の中でさらりと出てくるだけだが、この辺のドラマだけでもう一本映画を作れるだけのものだと思う。
三人の子供の設定はおそらく遺伝子検査の問題提起のためではないかと思う。
長女がした生殖医療は、おそらく着床前遺伝子検査というもので、複数の受精卵の中から、原因遺伝子のない受精卵のみを選ぶ、というものだ。また、「望み通り」男女の子供を授かった、という言葉の裏には、男女の性別も受精卵を選ぶときに決めた、という意味が含まれている。
こうした受精卵の選別は倫理的な問題がある、と考える人もいる。こうした治療を、末娘ではなく、長女が行った、ということも、意図的な設定だと思う。
家族の遺伝子検査によって、自分自身の運命を知ってしまう、ということはこれまではなかった新しい問題であり、検査により知っても、検査を拒否して知らなくても、大きな葛藤が残されることになる、難しい問題だ。
別のテーマで、「尊厳死」という問題もある。
アリスは自分の最期を、自殺という形でしめくくりたかった。しかし、それはアクシデントによりかなわず、アリスはそれが不可能になってしまったことを嘆くことすらもできなくなってしまった。
このアクシデントを幸運なことと考えるか、不幸なことだと考えるかは、かなり見方が分かれそうに思う。
これも、神様が死ぬ時期を決める、という素朴な考えだった昔にはなかった問題であり、遺伝検査と本質的に同じ問題を含んでいるように思う。