「「幕が上がる」はデートに使えない」幕が上がる yumenoukiyoさんの映画レビュー(感想・評価)
「幕が上がる」はデートに使えない
「幕が上がる」はデートには使えない。カップルで入ったら、キミの彼女を夢に持って行かれちゃうよ。
この映画は、一人で見る映画。たった一人で、自分の人生を見つめ直す映画。 そして、映画館を出たときには、一人だけれど、一人じゃないと涙を拭く映画。
生きているうちに何回かは、決断を迫られるときがある。右の道は平坦で先もよく見える。左の道は霧がかかって見えなくて、しかもひどい上り坂。僕の進むべき道はどっちなんだろう?
決断するのは自分。あきらめるか、目をそらすか、逃げ出すか?
それとも覚悟を決めて、跳ぶか?
でも、独りじゃない。父が、母が、おじいちゃんが、友が、私の背中を押してくれる。そして、師は、私の目の前で、跳んで見せてくれる。自分が飛び出していく姿を、覚悟を決めて、先の見えない断崖絶壁をジャンプして、私にその姿を見せてくれる。私は跳ぶ。お前はどうする?私の背中についてきたければ来い。
思い出が勇気に変わる。ひとりで決めた夢を握りしめて。決して辿り着けない遙か遠くへ、二十億光年のかなたへ。
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間違いなく、現代の映画界に一石を投じる、希に見る傑作です。こういうの、作り手にとって夢ですよね。たぶんこの映画の監督は、この映画、「幕が上がる」を撮るために今まで積み上げてきたんじゃないかと思う。監督本広克行といえば踊る大捜査線などの大ヒットメーカーとして知られていますが、商業映画として大ヒットを飛ばすためには様々な葛藤があるでしょう。不本意な選択も強いられるでしょう。でも、それもこれもみな、この作品を作り上げるための準備だった、そんなふうに思います。自分の思うままに作品を作るには、自分にそれだけの力が必要。ワガママ勝手を言えるだけの社会的信頼、彼が大丈夫というのだから大丈夫と、スポンサーやメディアや、様々なステークホルダーを納得させるだけの信頼、もしくは、彼がやりたいというのだから好きなようにやらせてあげたいという信用、そういうのがなければ、今のご時世にここまでの作品は作れなかったのではないかと。
この映画は、みればおそらくほぼ全員が心を揺さぶられ、感動に震え、涙を流す。でも、みる人は少ないでしょうね。恋愛はない、スリルもサスペンスもない、誰も死なない、どんでん返しも無い、女優も特にカワイイわけではない、最近の娯楽映画がヒットするために必要とされる要素がどこにもない。つまり、「映画はこうすればヒットする」という法則にことごとく当てはまらない、こんな映画、誰が観るの?
でも、それでいいと思います。本広克行が、生涯随一、渾身の作品として世に送り出した本作。観た人だけの特権でいいじゃないですか。商業主義に行き過ぎた日本の映画の転換点、歴史の目撃者はそんなに多くは必要ない。映画館の大スクリーンでみるあの美しい景色と、そこにいるちっぽけな人間達のモロモロ、貴重な時間を割いて、劇場に足を運んだ人達だけが、その感動にひたる権利がある。
その意味で、4.5点。映画は最高なんだけれど、でも、彼女を連れて行けないんだもの。こんなの観せちゃったら、彼女が夢に向かって走り出しちゃうじゃないの。泣いてぐちゃぐちゃな顔も見せたくないしね。