シネマの天使のレビュー・感想・評価
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シネフク大黒座のレクイエム
2014年に閉館した広島県福山市に実際にあった映画館「シネフク大黒座」、閉館を前に面影を後世に残したいと願った劇場関係者の熱意に押されて広島出身の時川英之さんが脚本・監督を引き受け映画化、ドキュメンタリーとフィクションが融合したメモリアル作品、消えゆく映画館の映画です。
昔はどこの街にもあった映画館、消えてゆくのは時代の趨勢と分かっていても淋しいものですね、特に映画が娯楽の中心だった頃に青春期をおくった世代の人達には感慨無量でしょう。
ただ、映画の作りとしてフィクション部分は今一つの感。
若者世代を意識したのか主人公は劇場に働く少女と幼馴染で映画作家を夢見る青年に据えました。劇場に住むと言うシネマの天使がミッキーさん扮する髭の老人、一見ファンタジー調ですが天使は無理でしょう、落ちでは実在したホームレス?、でも屋上の「仙人のプール」お悩み相談は意味不明、名物アナウンサーや地元出身の女優さんなど地元色を出したかっただけなのか、支援を申し出るのがやくざの親分というのも広島らしい。
まあ、この辺は作家性なのでセンスが合うか好みの問題かもしれません。
終幕あたりの小部屋のシーン、壁一面に映画パンフレットが張られており圧巻でした。
エンドロールで新宿ミラノ座、日比谷映画をはじめ全国の24館の閉じた映画館のスナップが映されます、通った館もあり、束の間、当時が蘇り感慨に浸ってしまいました・・・。
天使の正体が、、、(非常に長文です。)
良い映画だったと思うし、泣けもした。
舞台となる映画館で上映された具体的な作品名が出てこないのは残念だが、映画は映画館で観るもので、色々な人と時間と場所を共有してスクリーンを飛び越えて観ている人たちの人生を変えていく。映画館はとても特別で神聖な場所なんだというような台詞にはとても共感できたし、主役のふたりの演技もなかなか良かった。
エンドロールで出てくる閉館した数々の映画館の写真の中に、自分の知っている映画館が出てきた時にはすごくノスタルジックな気持ちになったし、他にも自分の行っていた映画館が幾つも閉館していったのを思い出しすごく名残惜しい気持ちが込み上げてきた。
しかし、色々と腑に落ちない点も多い。
建物の老朽化、フィルムからデジタルへの移行やそれに伴う資金難、最新設備や快適環境を有するシネコンの台頭、娯楽の多様化や映画ソフトの家庭視聴の充実による映画館その物の集客の減少、及び、それによるソフト化ペースがさらに早まる悪循環。
などなど、理由や原因は様々なものがあるが、この15年くらいの間で、本作に登場する大黒座のような昔ながらの映画館は次々と閉館し、シネコンとミニシアターの二極化がハッキリ進んだ。
本作の中で「ネットでタダで観られる時代にわざわざ映画館に見に来る奴はいない」とか「みんな映画館で映画を見る価値を忘れちまった」みたいなセリフが出てくるが、
確かに、閉館していった劇場が全盛期の頃と比べれば映画館の集客数は落ちているかも知れないが、
少なくとも自分の行っている土日祝日のシネコンや、シルバー世代を中心としたミニシアターの賑わいぶりを見ると到底そうは思えない。
前述した通り、例外も勿論あるが、ここ十数年で閉館し続けていっているのは老舗の劇場がほとんどで、シネコンはむしろ増え続けているし、玄人好みの良作を扱うミニシアターはファンを獲得し続けている。
とかく、このような映画館の閉館の話になるとシネコンが悪役にされがちだが、例えば全国のシネコンを中心に昔の名画を上映する企画「午前十時の映画祭」が見事に成功している例もあり、
残念ながら厳しい言い方をすると、閉館していった劇場は勿論経営努力はしたのだろうが、それが失敗に終わり淘汰されていったと思わざるをえない。
「町から映画館がなくなることの意味」や「ここで映画館を続けていくことがビジネスとしてもう無理なの」というようなセリフも出てくるが、結局映画を観るなら必ずこの劇場で観たいという客がいない、いたとしても極めて少ないからそのようなことになる訳で、多くの人がどうせ観るならキレイなシネコンでとか、ミニシアターでかかっている作品の方が面白そうだからと別の映画館に行ってしまっているのだ。
閉館した原因は決して、みんなが映画館で映画を観る価値を忘れてしまったからでは無いだろう。
(※再度書いておくが、勿論例外もある。非常に魅力的で人気だったミニシアターが閉館したのも知っている。)
長々と書いてしまったが、自分が本作において本当に腑に落ちなかった点は上記のそれではなくさらに別にある。それがなければ、評価はもっと高かったと思う。
それは、題名にも記した通りの天使の正体についてで、
完全にネタバレになるが、
映画館に出没する謎の老人の正体は、
なんと、近くの映画好きの浮浪者で、昔に取り押さえた際なぜこんなことをするのか問いただすと悪びれた様子もなく「映画が好きなんです」と答え、先代の支配人が気に入り施設の合鍵の鍵束を渡していた(!)とのこと。
ずっと昔の写真にもこの男だと思われる人物が写っている理由が、結局わからない点については、とりあえず触れないでいくが、
なぜ浮浪者になったのかなど背景は一切語られないが、この男、映画が確かに好きなのだろうが、本当の意味で映画や映画館を愛しているのならこんなことは出来ないはずだ。まるで美談のように語られるが、結局お金を払わずに映画を観ているのである。
自分も映画館と映画が好きで、年に100本も200本も映画館で映画を観る。割引や貯めたポイントを使っての無料鑑賞などもあるが、それでもパンフレット代やら交通費やら含めると年に数十万円を使って映画鑑賞を楽しんでいる。
自分は、一時期会社の倒産により無職になった時も貯金を使って映画を見続け、貯金が底を尽きかけた頃にもなんとか一本でも多く映画を観ようと、やりくりをして、観る映画を厳選に厳選を重ねるなどして映画館での映画鑑賞を続けた人間だ。
今はなんとか再就職して仕事をしながら映画を見続けている。仕事に対してやりがいや情熱も持ってはいるが、極論を言えば映画を観るための給料をもらうために頑張って働いていると言っても過言ではない。
そんな自分からすると、ハッキリ言ってこの男に対して不快感を強く持った。ふざけるなと思った。
しかも、さらに終盤、映画館の敷地内にある開かずの間と呼ばれる部屋が、実はこの浮浪者が出入りしていた部屋で、部屋中にこの映画館で上映されていた作品のチラシが貼られていたことがわかる。
これを見て、今まで仕事をする中で大きな感動を味わったことがなく、先輩社員から「これだからさとり世代は」などと言われていた主人公の女の子が「私、今、うわぁーーーっ
(※大きく感動した気持ちの高鳴り、先輩社員が使った表現)
ってなりました」などと言いだす始末。
いや、ここは感動するところでは無いだろうと思った。それだけこの映画館や映画を愛しているとでも言いたいのかも知れないが、この男を天使と言うなら(※あくまで本人が「私は天使だ」と言っているだけだが)、ちゃんとお金を払って何度も映画館に来てくれる常連客の方がよほど映画館にとっての天使だろう。
中盤、初めて主人公がこの浮浪者と出会った際に言われる「昔はどの映画館にも天使がいた」というセリフがそういう意味なのかと思うと寒気がした。
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