「実写化の成功例です」アイアムアヒーロー アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
実写化の成功例です
コミックが原作のゾンビ映画である。映画の中ではゾンビという言葉は使われず,ZQN(ゾキュン)という名称になっている。この語源は,2ちゃんのスラングで頭のおかしな奴のことを DQN(ドキュン)と呼ぶことに由来しているのではないかと推察するのだが,確かなことは分からない。原作はまだ読んだことがないが,書店に積んである単行本の表紙を見る限り,主人公役は大泉洋しかいないだろうというのは歴然である。むしろ,作者が映画化されたときのことを想定して最初から当て書きしたのではないかとさえ思えるほどで,主役の人選には困らなかっただろうと推察がつく。
映像は,気持ちがいいくらいに容赦なくグロい。こうでなくてはゾンビ映画とは言えないと思う。ゾンビ映画の巨匠として名高いジョージ・A・ロメロ監督の手腕に匹敵するほどの本格的なスプラッター映画である。日本人がここまでグロい映画を撮れるということに心底から感心した。このため,この映画を本当に楽しめるかどうかは,偏にグロ耐性がどれだけあるかにかかっていると言っても過言ではないだろう。むしろ,グロ描写を楽しむくらいの心の余裕がないとキツいのではないかと思う。
物語は至って標準的なゾンビもので,ある日突然日常が破壊され,原因不明のゾンビの感染が始まり,あっという間にパンデミックを起こす。伝染する方法も伝統的なもので,ゾンビに噛まれると感染するのだが,噛まれてから発症するまでの潜伏期間の長さはかなりまちまちである。ショッピングモールが主な舞台になるところも伝統に沿っている。何だか,何から何までスタンダードなゾンビ映画を作ろうとしているようにしか思えない展開で,これはパクリというより,これまでの全てのゾンビ映画に対する敬意なのかもしれないという気がした。コミックは未だに連載が継続中なので,映画化されたのは始めの方の部分だけらしい。
役者は,主演の大泉洋の他にも実力者が揃っていた。何しろ,ゾンビ化すれば元の面影を持ちながら醜い顔や肢体を晒すことになるのであるから,この映画に出ることは役者にとってはイメージを崩しかねず,かなりのリスクが伴うはずであるのに,特にゾンビ化する女優陣はいずれも思い切りの良い見事な演技で,よくぞやってくれたものだと非常に感心させられた。やや残念だったのは長澤まさみである。あの役どころでは,もっと逞しく,したたかさを感じさせなければならないはずなのに,線が細すぎるような気がした。
音楽は素晴らしい仕事をしていたが,劇中で使われた既存の有名曲の選曲にも非常にセンスの良さを感じさせた。演出は本当に素晴らしいと思った。日本人でこれほどの演出が出来るのかと非常に感心した。秩序や価値観が崩壊した世界では,モールにある高級店のロレックスなど,もはや高級品としての価値は失われ,欲しいだけ持てる訳だが,あんな使い方があったのかと目から鱗であった。噛まれなければ感染しないというのであれば,ZQN の下顎だけ破壊してしまえば噛めなくなるのではと思うのだが,豪快に頭を吹っ飛ばしてくれたのには感服させられた。ただ,散弾銃では一度に2体以上の頭を吹き飛ばすことは無理ではないかと少し気になった。
ああいう世界になってしまったら,自ら進んで ZQN になってしまえばいっそ楽なのではないかというのが私の持論なのだが,やはりそんな考えは完全に排除されているようだった。また,感染によって怪力などの特殊能力を手に入れた女性を主人公が守る必要はないのではないかとかいう考えも浮かんだが,それではヒロイズムが成立しないから,きっと面白い映画にはならないだろうということは自分でも分かっているつもりである。:-D
(映像5+脚本3+役者5+音楽4+演出5)×4= 88 点。