「良心倫理を振りかざす暴君の心変わりを描く映画」雪の轍 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
良心倫理を振りかざす暴君の心変わりを描く映画
初老男性のアイドゥンは、若い後妻ニハル、辛辣な自身の妹ネジラとともに、両親が残したホテルで暮らしている。
彼はかつて演劇の道を志し、それ相応の名声も得ていたが、いまは引退して地元紙にコラムなどを書いて、悠々自適の生活を送っている。
ある日、下男とともに、店子のイスマール家に滞納している賃貸料の催促に出かけた帰り、イスマールの幼い息子から自動車に投石され、窓を割られるという事件に出くわす・・・というところから映画は始まる。
これは終盤への布石で、映画は、アイドゥンと若い後妻ニハル、妹ネジラの確執を描いていくのだけれど、意外とつまらない。
映画中で他の二人から指摘されるように、アイドゥンはなにかと「良心、倫理、高潔、倫理」ということ言葉を持ち出すが、彼にとっては扁額の言葉にすぎず、他の人々のことなど判っちゃいない。
他人からみれば、彼は「暴君」に他ならない。
ただし、自分は正しいと思っている上に、傍若無人な振る舞いをするわけではないから始末が悪い。
まぁいわば,簡単にいうと、「無知の知」ならぬ「無知の無知」の男の心変わりを描いた映画というわけで、目新しいところはない。
それを、ヌリ・ビルゲ・ジェイランは、過剰なほどの台詞で物語を進めていく。
とにかく、うるさい。
過ぎたるはなんとか、で過剰な台詞の応酬により、しばしば数秒ほど意識不能に堕ちってしまった。
うーむ、こんなハナシをカッパドキアでみせられてもなぁ、というのが正直なところ。
その上、重要な人物である妹ネジラは途中から登場しないし、妻ニハルの物語が動き出すのは1時間40分を過ぎてから。
さらに、終盤で主人公アイドゥンが心変わりするのだけれど、そのキッカケはわかりづらい。
観客側は、それと同時に描かれる妻ニハルの弱者に対する余計なおせっかいが描かれており、ふたりは同じ穴の貉ということは理解できるが、劇中では、互いに互いの行動は知る由もない。
それを、突然のアイドゥンのモノローグで収斂しようとするのは無理がある。
ということで、台詞のところどころなど「寸鉄釘をさす」感はあるものの、全体としては冗長な感じは否めず、90分ぐらいで語るか、セリフを減らして映像で3時間魅せてくれないと、この手の映画は個人的には評価しない。