こっぱみじんのレビュー・感想・評価
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監督の至福
これは片田舎の自然な光に包まれた綺麗な映画である。照明を一切使わず、自然の光だけで撮られた暖かみの有る画に、デジタル特有の冷たさは感じられない。
個人的に好きな台湾映画のイメージカラーは黄色であるが、「こっぱみじん」はセピアがかった橙色といった雰囲気だ。
だからといって押し付けがましく特段その土地の風土は描いてはいない。どこにでもいる若者四人の日常を淡々と描いているのみだ。
劇中特にこの四人の若者に共感し、泣ける訳でもない。単なる或る時期の当たり前の時間を映し出しているだけで、今にして思えばそんな頃も有ったかな…くらいの青臭さだ。
ただ不思議と不快感は皆無だ。
楓が靴を履くシルエットだけの淫靡な雰囲気は素晴らしいショットだった。
幾度も出てくる川原と自転車。川原に入る事もなく、冒頭の伏線を回収する川原でのキャッチボールのシーン。そもそも川原でキャッチボールをするか? なんて事は映画の中で考える必要はない。何故なら映画にはリアリティーよりもマジックを求めているからだ。フィクションの中にリアルがそんなに必要かと自分は常々思っている。
否、この映画はリアルを追求していたのだった。だがリアルなんて千差万別だ。一人一人の人生にそれぞれのリアルが有り、その一人一人が主演であり助演であり脇役なのがリアリズムなのだ。そう言った意味ではこの映画を観た時点で、ほんの少しリアルなのかも知れない。
うるさい楓も、セクシャルマイノリティーの拓也も、浮気する有希も、そんな役回りの隆太も、フィクションの中のリアルだ。
ただ安易なリアルという言葉は嫌いだ。そんな中でもリアリティーを感じたのは紀子が拓也に言う台詞だ。
「誰に何と言われようと、好きなんです」「ダメですかね、こういうの」
その問いかけには敢えて何も答えない拓也。それが正しい判断だったんじゃないかな、と思った。この台詞はとてもつらいシーンだった。男には言えないし、書けない台詞だ。
楓と拓也。川沿いの道。二人乗りの自転車。
パンフレットの脚本には、楓と拓也、二人乗りの自転車が走っていく、とだけ書かれている。
だがこのシーンはとても面白い思惑が含まれているのではないかなと思った。カットごとに運転手と後部座席に座る二人が入れ替わるのである。映画を観ながら慌てて数を数えてみたので正確ではないかも知れないが、合計六回だったような気がする。
観ていると判ると思うのだが、劇中に起きたそれぞれの出来事も六回だった。監督は自転車を使い、皆がそれぞれの方向へと進み始めた事を示唆したのではないか、と思うのは穿ち過ぎだが、そう考えると映画は面白いものなんだと改めて思えるのだ。
観賞後は捨てキャラだったなと思った健介。彼はその後ミキとどうなっていくのか。楓はどんな顔で二人を見つめるのか。そんな風に考えてみると、観客の観たい蛇足を敢えて残してくれたンだと良いようにとらえる事が出来る。
パンフレットに載っていたがテーマは無償の愛だそうだが、この物語は無償の愛の中に有る有傷の愛を描いているように感じた。
人は傷つき成長する。言い替えるならば成長する為には傷が必要なのだ。それを監督と脚本家が創作し、まだまだ成長過程にある俳優達(一人も知らなかった)が、自由に余白の中を汲み取ろうと懸命に演技をしている。
だがこれで良いのだろう。この映画は監督の物である。演者でも観客でもなく、監督の物だ。観ていて監督が得た、おかしみや、かなしみを思うと自然と笑みがこぼれた。
監督にとって至福の時間。
その至福の時間をスクリーンを通して共有させて頂く。このご時世にインディーズ映画だ。監督には喝采を送りたい。
まだまだ書き足りないが、一観客の感想はこの辺で終わりにしておきます。
主演の女の子が素敵
楓役を演じた我妻三輪子。今回は「恋に至る病」の時のようなぶっとんだ役でなくて、本気の恋にいつのまにか落ちていく女の子を演じている。最初、愛くるしい表情だった彼女が、拓ちゃんが兄を好きだと知ってから、どんどん切ない表情が多くなり、最後は泣き笑いの告白。
そんな彼女が愛おしくなる映画。
ラストの終わり方には驚いたが、帰りの電車の中で、ふいにラストが蘇ってきて泣きそうになった。こんな終わりかたもあるんだ。
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