劇場公開日 2014年11月8日

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「どんな人生も「一生懸命」」トワイライト ささらさや R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0どんな人生も「一生懸命」

2024年8月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2014年の作品 小説が原作
自分自身のことを一番わかっていないのは、自分かもしれない。
人のことはよく見えても、自分のことはわからない。
どうしても納得できないことや許せないことをいつまでも持ち続けながら苦しんでいる。
ユーレイとなって他人の気持ちを代弁できるようになっても、自分自身の気持ちはいつまでも蓋をしている。
時に蓋をしていることに気づきもしないでいる。
人の悩みのほとんどが人間関係
家族であれば、必要以上の葛藤もある。
「わからない」と言う裏返しが、わかろうとしている事実。
父に対する恨みと拒絶感
自分の中では完全に他人としてしまった父
父のすべての記憶を抹消し続けてきた。
だから寄席を訪れた父を見なかったことにした。
記憶から消し続けた。
「俺も天涯孤独だ」
さて、
最後にユウタロウは、寄席の客席に座り自分の人生を見せられる。
そこには記憶から消し去った何もかもが登場し、勝手に記憶を編集していたこともわかる。
まさに人は見たくないことに蓋をして、見たいものだけしか見ない。
思いもよらずに死んでしまえば、勝手に編集してきた記憶の訂正もできない。
だから死ぬ瞬間、またはその後しばらくの間に自分自身の真の人生を見る機会があるのだろう。
これが作者が考える世界観なのだろう。
ユウタロウはあまりにもサヤを心配するあまりユーレイとなったが、彼が言うようにそれはサヤのためではなく自分自身のためだった。
ユウタロウは、ユーレイとして他人に憑依したことで他人の人間関係の確執を解消したように見えたが、実はそうしなくてもうまくいっていたと考えたのは、おそらくその通りなのだろう。
それはこの作品が端折っている部分によく表れているように思う。
4コマ漫画的にしか描かれないユウタロウとサヤの関係
大雑把すぎるユウタロウと父の関係
他の登場人物たちの人間関係と確執
すべて心配しなくてもうまくいくのだ。
原作のタイトルは「ささやさや」
場所と名前
「トワイライト」は「誰そ彼時」 見えないものが見えるとき
そして、
おそらく、どんな人生も「一生懸命」でしかないのだろう。
ネガティブを抱えていても「なぜ、どうして」が頭の中を駆け巡るのは、一生懸命だからだ。
みな必死で生きている。
しかし、
ユーレイというかつて「ホラー」に分類されていたものも、1990年アメリカ映画の「ゴースト」以来、組み合わせによって大きく味付けが変わることを知った。
もはやユーレイはホラーとして描いてもつまらなくなった。
その後たくさんのアレンジものが登場し、2024年現在では新しい組み合わせもなくなってきた。
今後はこのユーレイというものの形が変化していくのだろうか?
是非そのような作品を見てみたい。

R41