「切なすぎ。胸が苦しくなるほどの傲慢な愛。」キル・ユア・ダーリン とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
切なすぎ。胸が苦しくなるほどの傲慢な愛。
「史上最も美しく危うい殺人事件」というキャッチコピーなら、ルシアンを主人公にすれば、もっと耽美的でコアなファンがつく作品になったのに。
エンディングを観れば、殺人事件を描きたかったのではなく、アレンが牽引していたとされるビ―ト派の主要な4人組の大学時代を描きたかったのだろうと思うのだけれど、アレンが、母親の呪縛から解放されて、気の合う仲間と知り合って、ちょっとはじけすぎたその毎日を延々と見せつけられた気がする。
「見せつけられた」と書いたけど、アレンの図書館でのヌードや半ケツの場面は必要だったのだろうか?余計な不愉快な場面を見せつけられた感じで嫌悪感。
ラスト近くのベッドシーンや、ルシアンとのキスは、物語上とても意味があって、ドキドキしながら魅せていただきましたが…。
人との関係性も、ルシアンを軸にしていろいろ交差するんだけど、関係に深まりが感じられない。アレンのトリップした幻想の世界が多かったからか、何度も繰り返してしまうが、アレンがはじけているその周りを他の人物が右往左往しているように見える。
それでも、
人を惹きつけておかずにはいられない人たらしの癖に、一人の人と関係を深められない、深めたら去って行かれそうで怖くて安定したニ者関係を築けずに、常に三者関係を作ってしまうルシアン、その苦しみ・孤独をあれだけの場面で表現しきるデハーン氏が凄い。
やっていることはストーカーにしか見えないディビット。でもホール氏の演技を観ていると、ああやって嫌われる前にどれほどの蜜月的な時間があったか、ルシアンを支配しているようでいて、心が奴隷化しているのはディビットであると言うのが切ないほど伝わってくる。
「ああやっと君の気持がわかった」ディビットが言う。「いつの気持ち?」ルシアンが尋ねる。それに対するディビットの答えが、殺人を誘発してしまう。
ルシアンは、ディビットの何からこんなに逃げたかったのか、葬り去りたかったのか。そこは映画の中では語られていない。
何故それほどまでにと狂気ともいえるほどに、ディビットから逃れようとするルシアン。でもアレンは理解していない。「別れる」と言えば別れられると思っている。アレンはルシアンの何をわかった気でいるのか。アレンは最後までルシアンを理解していない。理解しないまま、己の正義をつきつける。それがどれほどの悲劇を生んだか気がつかないままに。アレンはルシアンに著作を捧げたが、ルシアンに拒否されたとラストで流れる。そりゃそうだろう。
そんな青年期の傲慢さ、無神経さ、自己中心さをラドクリフ氏は実直に表現していたと思う。
創作の為なら、(心の中で)大切な人を殺せ。-講義に出てくるのだそうだ。
変革、革新、産みの苦しみ…。
アレンの芸術、ルシアンの生き様…。
ルシアンを愛で、アレンやディビットに会いに、見直したくなる。
(映画館でのDVD鑑賞)