「表現と結末について」ハーモニー しふぉんぬさんの映画レビュー(感想・評価)
表現と結末について
結論を先に言えば、中盤までが一番面白い。
そこまでは首を傾げる部分もあれど、原作準拠で進んでいた。それに演出なども結構良かったと思う。
具体的に言えば、
・キアンの自殺するシーン
血が吹き出すぎだと思うことを除けば相当気合の入った作画で見応えがあった。
・拡張現実の表現
日本に入った途端に始まる拡張現実は煩わしい程の情報(人物評価、店のメニューなど)が出現する、本人の健康状態を事細かに表現しているなど、世界観をうまく表現できていると思う。
また、生体認証の時の描写には気合入ってるなぁと感心した。
・螺旋監査官のオンライン会議
拡張現実を利用した会議は、これまで見てきた表現とは違っていて面白かった。ここのために映画を見てもいいかもと思える個人的な好きなシーン。
上記に挙げた他にも、ヴァシロフが銃で撃たれた後の台詞の表現の良さなど色々ある。
ただし、オスカーが「世界は貴女の肩にかかっているのかもしれない」と言い、トァンが回線を切った後のオスカーの表情から違和感を感じ始めた。
あの時のオスカーはどこか諦めを持っていたのではないのかと思うのだけど、あのシーンは違うのではないか、と。
そして見事に裏切られる最後のシーン。
「私の好きなままでのあなたでいて」
それだけで片付けちゃダメでしょ…、と衝撃を受ける。
トァンは自分を臆病者、敗残者と呼ぶのは、
ミァハがいなければ世界に反抗できないから。
ミァハが世界から飛び立てたのに、自分は世界に残りながらも逃げ続けていたから。
そして何より自らが憎んでいた価値観を、キアンと父の死により認めなければならいからではなかったのかと(ここは原作からは読めない、個人的な考えかもしれないが)。
だから、トァンは敬愛・崇拝・憎悪したミァハを自らの意思で殺した。調和された世界を見せないという復讐のため。
原作はそれを引き金を引き、ミァハの意識がなくなった後まで含めたシーンでそれを表現していたのに。
中盤まで良かったために、なんと惜しいことか。
これを伊藤計劃の作品かと問われたら、違うと返してしまうと思う。
最後に、アートブックは作品内容と関係なくよいものなので、迷ったら買った方がいいと思います笑