あの日の声を探してのレビュー・感想・評価
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なかなかのリアル感、丁寧な描写、良作
ハジ君が喋れなくなった理由、確かに両親が目の前で殺されたショックもあるのだろうが、なんか自分の身を守る為に、何も話さない決意の目にも感じた。
ハジ君が赤ちゃんを他人の家に置いていくシーンや、初めて話すシーン、そして、再開のシーンは、わかっていても、感極まる。
驚いたのが、もうひとつのストーリー、ロシア人の兵士。だんだん表情が別人に変わっていくあたり、妙なリアル感!まさか、冒頭のVTRに繋がるとは。出演者熱演にて、良作!!
この手の映画は好きではないのですが。
見終わった後に考えさせられる映画です。戦争はいつもこのように人を狂気にする。再確認させられます。
キャロルとハジの関わりあいが唯一の救いに見えるほど、現実は悲惨です。
チェチェン侵攻が対岸の火事的なことになっていた自分にとって、非常に衝撃的な映画でした。
このタイプの映画は好きではないのですが、深く自分に刺さる映画の一つになりました。
必見!
人間性を徐々に失い戦争での殺人に麻痺して行く若者。目の前で両親を殺され声をなくした少年が人間性を回復して行く姿。
その両者の関わりは?映画の始まり部分とエンディングの関わりは?
戦争を、人間性の視点から糾弾するシビアな内容ですが、目が離せません。
山田洋次監督、大林監督の絶賛を受けて
日本の巨匠であるお二人の絶賛を聞いてみかたが変わりました。これは描かれるべくして描かれた作品。大林監督のトークショーの回に見ましたが、映画を見るには教養がないと100パーセント楽しめない。まさに話を聞いてその通りだなと思いました。
実際この映画のミシェル監督はかなりのインテリ。山河遥かなりやそのほかにはも大量の作品をみて作られてるのは明らか。冒頭と終わりのシーンがつながるのもとても深い。監督自らが手持ちカメラで撮影したあの映像に監督のこの作品に対する姿勢が感じられ、甘い考えで戦争映画を撮っていないのがわかる。
記憶は忘れてしまう。だからフィクションの記録を撮って後世にこの事実を残す。お堅い事実だけのドキュメンタリーは残念ながら見られないから。
媒体は違いますが、50年前の新聞を読む人はほとんどいませんが50年前の映画は見られる。
映画の存在価値をずしりと思い知らされました。
今生きている私たちはそれを一人でも多くの人が見られるようにする努力が必要なのかもしれません。
期待しすぎました。
予告編を見て、とても見てみたいと思っていました。
戦争を民間人、軍人の目から捉えていて、どちらも色んな意味で悲惨で目を覆いたいくらいです。
が、…期待しすぎました。
明日への希望もなく、淡々と不気味さが続き、おわりのなさを感じました。
戦場に既視感、寄り添う強さ
民間人をテロリストと呼び、平然と銃を向ける兵士の姿は、ベトナム戦争のドキュメンタリーや映画と似ているなと思って見ていたら、兵士の養成も同じかもっと野蛮だった。
戦争前のこの地方の生活が、この映画では今ひとつ伝わってこない。姉がアメリカへの留学を目指して英語を学んでいたこと、9才の男の子のダンスはきっと父親仕込みのものだったであろうことくらいしか、私の貧しい知識と想像力では思い描けない。
それゆえに男の子の演技だけに焦点が当たる。
なぜ今チェチェンなのか、もっと描いてほしかった。
EU、赤十字が援助や調査に入っていること、民間人に対する攻撃に無力、焦燥を感じていることも伝わってきた。
立場の違いを超えて、寄り添うことが回復につながることが、この映画のメッセージでしょうか。
世界に対して無関心ではいけないと思います。
ニュースでしかわからない厳しい現実の世界。
チェチェン侵攻で両親を殺され孤児になった9歳の少年とEU女性職員との関わりと、徴兵される若者がみる戦争の現実、三者三様の視点で現実をかっちり見せてくれます。平和な日本でニュースだけ見ているとあまりに狂気な世界。誰が悪くて誰が間違っているのか。
ラストにふたたび巡り会えた展開は悲惨な現実に少しだけ希望を与えた展開で救われた。
少年の会話のない演技にグッときます。
突っ込み所が多い
3分の2を観たところで最後まで観る価値無しと思い、劇場を出たので星は付けないが、とにかくリアリティーが無い。
まず、ベジョが少年を助けるのが説得力がない。
孤児など見飽きているはずでは?
言葉が出ないなら病院くらい連れて行くだろう。
次に、少年は1人では赤ん坊を連れていけないから置いて行ったのだから、保護された後すぐ、赤ん坊の行方を探してくれ、と普通はベジョに伝えるのでは?
あと、軍隊の描写にリアリティーが無い。宿舎に実弾入りの銃など簡単には持ち込めない。
他にも休憩中に拳銃持ってイジメ、昼間の訓練場でビールなど、前線にいる訳ではないのに、いくらなんでも規律が無さすぎる。上官から丸見えでは?
キューブリックの「フルメタル・ジャケット」くらい見て欲しい。
オープニングもドキュメンタリーと思わせておいて、すぐにフィクションとばらしてしまうが、あの意図は?
予想していたが、全体的に「アーティスト」と同じくドラマ性が弱いと言うか、登場人物の行動が腑に落ちないので感情移入できない。
キャラクターを泣かせれば観客も泣くと思ったら大間違い。ベジョの演技は相変わらず良いだけに勿体ない。
旦那でもあるこの監督にベジョから言ってあげて欲しい、もう少し映画における描写を学んで、大雑把はダメよって。
あの日のダンス。
オンライン試写会にて鑑賞。
F・ジンネマンの「山河遥かなり」を基にM・アザナヴィシウスが
1999年ロシアに侵攻されたチェチェンを舞台に描いた意欲作。
大まかなプロットは同じだが主人公にもう一人、軍に強制入隊
させられたロシア人青年コーリャを儲けたことで現実味が増した。
冒頭から惨劇は始まる。両親を家の前で殺されたチェチェン人の
ハジはそのショックで声を失い、赤子の弟とその後家を脱出する。
一緒に殺されたかもしれない姉を心配しつつ、弟を燐家の玄関に
預けて自身は街中へと放浪、やがてEUの女性職員キャロルと
出逢い彼女の自宅に保護されるのだったが。。
ハジとキャロルの(言葉が通じない)歯がゆさと意識のすれ違いに
ハラハラするも、自分を匿い親切に面倒を見てくれるキャロルに
やがてハジも心を拓き、それをきっかけに声が出るようになる。
原版と同じく温かい心の通い合いと国間を超えた理解の大切さに
胸がジーンとなるのだが、対して街中で突然警察に捉えられた後
ロシア軍に強制入隊させられ非人道的な体罰訓練に苦しめられる
コーリャが哀れでならない。心根の優しい人道的価値観を持った
青年が追い詰められ、やがて残虐な兵士へと改変されていく過程。
この二つの物語は並行して描かれるも、決して交わることはない。
それがラスト、とある動作で冒頭の場面の意味が突然解明される。
あ!と思ったその瞬間、物語は突然幕を下ろす。そうだったのか…
其々の立場と意識を克明に炙り出し、正義非正義を問わず終わる
この物語は私達に「決して無関心になるなよ」と訴えているようだ。
(A・ベニングもさすがの演技。ダンスの告白シーンは泣けた泣けた)
極限状態下の環境で人間がどのように変わっていくのか?
『陽だまりハウスでマラソンを』と同じように題名と内容の違いに驚いた。邦題に「?」をつけたい。極限状態下の環境で人間がどのように変わっていくのか。息を呑むような場面に言葉が出なかった…。街の中で、青年が軍に強制入隊されてからの変貌ぶりは明らかであった。この映画は、チェチェン紛争に巻き込まれた者達が自分の生活を否応なく振り回されていく悲しずぎる残酷すぎる作品であると思った。最後の方で弟と姉が偶然再会する場面は、作品の中の一つの感動的な挿話にすぎない。でも、話の全体から見れば、それはそれで素晴らしくて良かった。
戦争をするということは、人間の精神・理性・常識が完全に吹っ飛んでしまうんだなということに気づかされた。
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