あの日の声を探してのレビュー・感想・評価
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なぜ歴史は繰り返す?
1999年チェチェン。今ウクライナ。
モスクワに住んでいる人々にこそ、見てもらいたい一本。自分たちの同胞・友がどんなことになっているのか。
☆ ☆ ☆
私の評価は低いが、
テーマとしては、一度は観て考えるべき映画だと思う。
宣伝や予告は頭から消して鑑賞されることをお勧めする。
ハジとEU職員の心の交流を期待すると中途半端で不満が残る。NGO職員の言動がせめてもの救い。
監督は『山河遥かなり』にインスピレーションを受け、そのような映画を撮りたいと機会をうかがっていたそうな。『アーティスト』で受賞して(お金が集まりやすくなったので)、やっと撮れたそうだ(インタビュー記事から)。この映画の舞台になっているチェチェン紛争を描きたかったわけではないらしい。”紛争”の中での人々を描きたかったのだそうだ。
『プライベート・ライアン』との共通点を指摘される方もいる。
その二つに、EU職員・NGO職員を絡ませて、世界の動向も映し出す。
第二次世界大戦を生きたユダヤ人の孫である監督ご自身が、いろいろな方面に、文献・調査報告を読んだり、過去の映像作品を見たり、インタビューしたりと、リサーチして作り上げた作品。
原題『The Search 』。直訳すれば、『探索』。ハジが離れ離れになってしまった家族を”探索”しているようにも見えるが…。それだけが含意されているとは思えない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
街角で補導されて否応なく兵士にされた普通の青年コーリャの物語と、
両親を殺された少年ハジとEU職員との絡みを中心とした被災者側の物語のニ本立てで話が進んでいき、最後に繋がる。
その展開は見事だった。そういう構成にして下さったことで、この軍事戦略が何の為、誰の為に行われているのか、やりきれなさ・虚しさ・怒りが際立ったと思う。
本当にやりきれない、救いがない。全体的に曇り空と噴煙=グレー、セピアの色調とともに、心に重しがのしかかる。
コーリャに降りかかった災難。初めは戸惑い、拒否しながらも、結局その場で生き伸びる為にはその場に同化するしかない。誰が望んだことだ?
ハジに降りかかった災難。それでも彼は自分の生きる場所を少年なりの知恵で開拓していく。この少年の表情に息を飲み、涙し、心を揺さぶられる。
EU職員キャロルは職員なりに、頑張っている。頑張っているんだけど…。
ハジがEU職員との交流で”声”を取り戻していく物語と観ると、展開が早すぎる。頭で考えた上っ面だけをなぞった物語。
そして、EU職員キャロルの無神経さにも腹が立つ。ハジが自国の音楽を聴いている時は「辛気臭い」と否定して、自分の好きなヨーロッパの文化・価値観をハジに押し付けて、その文化をハジが受け入れて”笑っている”事で、ハジの心の傷が癒えたとでも言いたそうな展開。私には、ハジが自分の生きる場所を確保するための迎合にしか見えない。EU職員の、本質のわかっていなささを皮肉ったのか?
勿論、過酷な状況下であっても、子どもは音楽を聴くし、踊るし、笑う。ハジが自分でセレクトした音楽で踊っているのだったら、どんなに感動的だったことか。
かって、アメリカに移民してきたアングロサクソン人が、ネイティブ・アメリカンに課した同化政策、日本人がアイヌの人々に課した同化政策、それと同じレベルの発想。だのに自分だけは人権を意識して動いていると思っているエゴイスト。
そして、絵の場面。ここも”感動”場面として描いているのだろうが、PTSDのことをわかっていない。へたしたら、悪化させる方法を取るなんて!
と、幾つも指摘したくなるがネタばれになるので割愛。
まず、相手の気持ち・状態や文化、大切にしているもの(文化等)を尊重する気持ちがなければ、紛争はいつまでもなくならない。だのに、ハジの価値観を尊重するのではなく、キャロル=監督の価値観を押し付けてくる。
そういう紛争を止めようとしている(つもりの)人々のその無神経さまで赤裸々に描いた作品としてなら、(かって誰も描かなかった?)佳作であろう。けど…。
『プライベート・ライアン』や『ディア・ハンター』なども引き合いに出す。さすが『アーティスト』の監督。昔の作品へのオマージュも抜かりない。音楽・芸術の力も信じていらっしゃるというのがとても伝わってくる。けど、その監督の想いが入りすぎて、作為的になってしまって、かえってキャロルの物語はしらけてしまう。他はドキュメンタリー調で、この紛争の状況、さもありなん、なんだけど。
『プライベート・ライアン』『ディア・ハンター』『山河遥かなり』は未見なので、比較はできない。が、『ホテル・ルワンダ』『パラダイス・ナウ』には及ばない。
谷川さん他御大の方々が絶賛している作品を批評するなんておこがましいけれど、ハジの心に関してはもっと大切に扱って(描いて)欲しかった。ヨーロッパ・アメリカ人にとって望ましいストーリーにするんじゃなく。
唯一の希望は、NGO職員ヘレンが、子どもの喧嘩をNGO職員に止めさせるのではなく、チェチェンの年上の女性に止めさせたこと。しかも命令するのではなく、彼女が動くのをじっと見守ったこと。そういう、ヨーロッパ・USAから助けてあげなければならない被害者認定されている彼らの力を信じる人がいるってこと。勿論、”見守り”と”無視”・”放置”は違うことが前提ではあるが。
と、キャロルにはツッコミどころ満載。理想がから回って上滑りして、無力感が募る。
だが、ヘレンの、現実を見据えた上での希望に一縷の光を見る。
そして、ハジや姉の表情・言動に、涙したり、ハラハラしたり…。とても気持ちを揺さぶられる。
かつ、コーリャの変化に、心かきむしられ、憤りを感じる。
戦争は暴力なのだと改めて認識させられる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今「サスティナブル」が世界的なキーワード。
このサスティナブルは、地球環境、ひいては人類存続のために「サスティナブル」なことが推奨されているはずなのだが。
なぜ、いつまでも、武力だけが、”持続可能”で、何度も何度も繰り返すのだろう。
軍事政権を破ったと思われたミャンマーでまた軍部の支配。
ロシアの暴行も、チェチェンの次にウクライナ。今回は石油や小麦等我々にも影響があるからか、チェチェンの時のように世界は静観しておらず、それなりの対策をとっているが、プーチンの暴挙は止まらない。
中国も、台湾絡みで軍事をほのめかしている。
北朝鮮の愚行もエスカレートしている。
イスラム過激派組織の首謀者を暗殺したとUSAが発表したが、次から次に首謀者が現れて、けっして組織はなくならない。
他にも、他にも…。現代だけでも数えきれない愚行の数々。歴史を遡ればとてつもない。
ヒットラーの時もそうだが、力で他者を威圧し支配しようとする者、”排除(駆逐)”する力を見せつけることで他者より優位にたったことをアピールする者。そんな馬鹿な考えを持つ者を支える組織があり、国があり、団体がある。その取り巻きは何を考えているのだろうか。洗脳されてしまった人々。なんでそういう人が生まれるのかを考えないと、本当の”サスティナブル”は生まれないのではなかろうか。
こういう映画を見る度に、「何ができるか」と口々に叫ぶ人がいる。
とりあえず、コーリャのような青年を生み出さない仕組みを作り出そうかと思った。
戦争のおぞましさ
冒頭から観るのが辛い、ここでもう観るの止めようと、何度も思いつつ、最後まで。こんな悪しき感情を伴うエンディングもそうはない。救いはハジを取り巻く人たちの優しさ、取り戻していく笑顔、彼にまつわるエンディング。加害国側にしても青年兵士の人間性を壊していくような戦争のあり方に強烈な嫌悪を感じる。
チェチェン紛争が舞台・・
久しぶりに戦争映画を観た。やはり厳しい環境に生きる人間はいるのだ。平和ボケはいけない・・ロシア軍が力による併合チェチェン紛争を起こしていた。両親を兵士に殺されたショックで声を無くした9歳の男の子。赤ん坊の弟を置いて逃げて、生き別れに・・EU職員のキャロルは本部にチェチェンの現状を論文にして報告していた。また男の子と一緒に暮らして情が湧いていた。ダンスをひとり踊る男の子にホッと。最後に男の子は・・(涙)ネタバレになるので明かさない。2014年の仏グルジア合作映画。
声を探すことはできるのか
監督ミシェル・アザナビシウスにとって「声」は世界そのものだ。第84回アカデミー賞受賞作の「アーティスト」では、あえて無声ですべてを描き、今回この作品では、一人ひとりが生きる世界の「声」を探した。
失われてしまった声は、それぞれ人によって違う。
家族を奪われ失ったものもいれば、
隙間を満たすためにその声を求めようとするものもいた。
自らの声を見失い、周りもまた自分もそkない始めるものもいた。
彷徨う犬。声を失われた者たちは、自分の失われたその声を求める。
オフィスでは多くの言葉が混じり合う。
それが多声と無声のコントラストを強調する。
知ること。
最初の出だしから、ドキュメンタリーなのか、作られた映像なのか、わからなくなりました。そのため、かなり痛々しいシーンでは目をそむけたくなるくらいでした。事実をもとにつくられた戦争映画は苦手なため、見終わった後かなりグロッキーになりました。うぅ。
戦争に参加したことも、させられたこともなく、戦火を逃れ命からがら逃げた経験もなく、自分の時間を犠牲にして誰かを助けようとした経験もなく、、
こんな平和ボケした自分が、いったい自分に何ができるのだろう?と考えさせられる作品です。
国内のことだけでなく、同じ世界で同時代に生きている彼らの命の在り方を知る、そのことだけでも私達には必要なのだと思います。
なかなか映画の感想をまとめられなかったのですが、今現実に多くの難民が国を離れ、仕事と食料とあたりまえの生活を求め、命をかけ国境を越えています。
この映画によって、その現実を少しでも知るきっかけになるとおもうので、うぅ、、とへたってないで、DVDでもう一度きちんと見て自分に何ができるのか?考えてみたいです。
戦場や戦争の暴力性を描いた普遍性のある作品
最初は本物の戦場を撮影したのかな、と思った位、リアルに抑制された狂気や暴力が全編に描かれていた。
映画は1999年に始まる第二次チェチェン戦争を巡る話だが、戦争とは何かをリアルに体験できる。戦争とはごく普通の青年をシステムに戦闘マシーンにし、いつの世も子どもと女性から犠牲になる。
あれやこれやと、したり顏で、この映画の作品性について論評したり、ロシアがー、中国がー、日米安保がー、とか言う前に、もう少し素直に、謙虚に、戦争の持つ暴力性や平和のもたらす恩恵について、考えてみたらよい。
汚ならしい
最後はストンとうまく落とした感じ。
なるほどね。
そこはいいのだが、そこに至るまでが陰鬱で冗長だった。
一般市民が冷酷で残忍な戦闘員になっていく過程は、
翻訳した字幕にも問題があるのかもしれないが、
唾棄すべきシーンの連続だった。
反戦!を強く打ち出したい思いはわかるが、気が滅入った。
わざわざこんな気分になるために、映画を観る必要性を感じない。
ヒロインと少年の触れ合いは、上記に対して表面的で、
心に染みるようなものはなかった。
むしろ、施設の女所長の理性的な対応が光った。
木で鼻を括ったような理想論に苦言を呈し、
対症療法しかできないもどかしさが滲み出ていた。
チェチェンについては恐らく一方的にロシアが非難されるべきで、
中国も同様な体質であることは容易に想像できる。
平和呆けの日本では、9条を盾にこういう状況には関知したくないのが大勢だ。
だが、それも経済力と日米安保があってこそ。
金より命!電気より命!としたり顔で言う文化人なる連中にはヘドが出るし、
こういう状況を回避するためにも、金は大事!と改めて感じた。
淡々と進む、人生哀歌。
リアル、ゆえに救いが無い…そんな一本。
観終えて悲しみばかりが胸に残る。
映画の嘘か真か、は置いておいて。
本来安い感動や共感を、今の日本では許さ無いような作品だと思うのだが現実は…
何のきっかけも描写も無く、主人公が喋る。
映画的な嘘も演出も無い。
そう…リアル、も嘘。
人は生来汚いな…と思うばかりの作品。
監督の想いがつまった作品
映画ののっけ、文字での解説部分から、監督の言いたいことがずしんずしんくる。一気だから、うっかり流して読んでしまいがちだが、ここから噛みしめたい。チェチェン戦争のなんたるかが見えてくる。
原作にはない役柄が登場しているのが、なんといっても重要なところ。ロシア人青年コーリャの存在が、戦争の怖さを物語る。ロシアすべてを一方的に非難しているのではない。戦争という仕組みの酷さをリアルに描いている。なお、実際のチェチェン紛争でも、戦地にいった子どもたちがどこに配属されているのか、いつ帰ってくるのか分からず、チェチェンまで探しにいったロシア人の母たちは多数いるという。ちゃんとした取材に基づいているのが分かる。
とはいえ、ただ悲惨な訳ではない。さすが、アカデミー賞監督。映画らしいエンターティメントも用意されている。チェチェン人は、踊りの達人ですから。
胸潰れる想いをさせられながらも、人の暖かさにホッとさせられる作品になっていると思う。
ただし、邦題の付け方と予告は、ちょっと疑問。映画をミスリードしていないか?
まなざし
破壊した家。火が上がっている村。負傷した人達。素人が戦場をビデオカメラで撮影している様なオープニング。
チェチェン紛争で両親を兵士に殺され言葉を放棄した少年と兵士になっていく青年、ふたりの物語を通して、戦争の不条理を描いています。彼らはもしかしたら立場が逆転することもあり得る。誰もが殺され殺すこと、それが戦争だと言われているようでした。
精神的にも肉体的にも青年から兵士へと作りあげられている様は、戦車や戦機の音、上官の罵声と相まって、背筋が凍ります。
また、言葉を発しない少年のまなざしが悲しみに溢れていて、何とも言えない辛い気持ちになりました。
チェチェン紛争というあまり取り上げられることのない題材は良かったのですが、ラストまでの伏線が見えてしまったため、点数は少なめです。
空虚な安保議論を冷笑する戦争の現実
チェチェンは、まずテロとの戦いが大義だった。それは、ロシア侵略の口実に過ぎなかったことが、やがて明らかにされたけれど、国際社会は見て見ぬ振りをした。
民族が大国に惨殺されてゆくプロセスを、EU人権委員会の女性を主役に、戦禍に翻弄される準主役の子供を配して、巧みに浮かび上がらせる。
戦争の狂気が次々と刺さるように展開して、目を背けたくなる。
現代の戦争であるこんな局面を、日本そして日本人は想像しただろうか。知ろうともしていなかったと、無知を恥じるほどだ。
ロシアに媚び、ロシアに遠慮してきた日本を静かに告発しているようにも見えた。
子役の帽子に入ったNYの文字が静観し続けるアメリカへの皮肉とも見えた。
役者の演技も素晴らしい。
全編に緊張感あふれる佳作だった。
大きな感動があったと思う、とても真に迫るいい映画です。手持ちカメラ...
大きな感動があったと思う、とても真に迫るいい映画です。手持ちカメラでの撮影が真実をしっかりと伝えてくれる。
ボロボロ泣くような演出がある訳じゃないしそういった意味で感動するとは全然違う感動がしっかりと詰まってる。
再会シーンや少年の心が開けてく過程は心温まるものでした。少年の傷は癒えるのだろうか。癒えて欲しいと願います。
そんな中、強制入隊させられる若者の変化が暴力の恐ろしさや人間の愚かさを刻々と伝えてる。おぞましいです。平凡な若者がドンドン人の死に鈍感になって、しまいにはなんでも無くなってって軍に戦争に染まっていくのは衝撃。でも武器を持って戦場に繰り出す上では正常な精神なのか、屈強と言えば屈強だが、どうしても人外としか思えない行動に鳥肌が立つし顔も歪む。
今も何処かで似た行為が行われてる訳だからゾッとする。どう考えたらいいか、何もできないしちっぽけなもんですよ。みんなこの映画を観て、他人事に可哀想と思うだけだろうし、僕も変わらないんだけども。
結局みんな正月には笑って家族や恋人と過ごすんですよ。当たり前なんだけど、それが当たり前じゃない人達がいるのに。それを責めれないですしね当たり前なんですけど。そういった事も描かれた内容です。
やはり平和が大切です。宗教やら利潤やらで奪っていいものじゃないですよ。なんか悲しくなります。
映画として、オープンニングとエンディングのつながり、最後にして全ての時系列が整う辺り、おうって思う。なるほど感がある。
1999年の第2次チェチェン紛争で両親をロシア軍に殺されて赤ちゃん...
1999年の第2次チェチェン紛争で両親をロシア軍に殺されて赤ちゃんの弟を抱いて一人で逃げる9才の男の子と、彼を探す姉、EUの職員の女性、それとは全く別の、ロシア軍に強制入隊させられたロシア人の若者の話。
男の子、素人らしいけど、名優の域!
チェチェンってよくニュースで耳にしてたけど何にも気にしてなかった…。この映画を単純に見たら、ロシアが悪者、で終わってしまうけど、この時、日本政府はロシアに資金援助していたそうな。
暗い内容だけどわかりやすいストーリーで見やすいので、多くの人に見て欲しいなぁ。もう上映終わっちゃうけどね。
よかった
9歳の子供を引き取って育てる映画だと思ったらそのような場面は非常にドライで、静かな感動を呼ぶのではあるものの、もっと激しく泣けると思っていたので肩透かしだった。映画が全体的にリアリズムでストイックな分、とてもテンポがゆるやかで退屈で眠くなる。字幕を3つくらい見落とす感じでコックリきた。いい映画だとは思うけどとにかく眠い。
少年が赤ちゃんを抱いて道を歩いていく場面は悲しかった。1歳半くらいの赤ちゃんなんて大人が抱いても相当重いのに、あんな小さい子が抱いていてさぞ重かっただろう。
少年がお姉ちゃんと再会する場面の実にリアルな軽い感じが面白かった。実際泣くよりびっくりしたり嬉しかったりする方が先行してあんな感じなのではないだろうか。よかった。
そして戦争は誰もが傷つく。すごく悲しくてよくないものだと身に染みた。
繰り返される愚行
力強いメッセージ性を持った秀作です。レビューでの酷評が散見されたため、観賞をためらっていたのですが、何故にこの映画を酷評するのか、理解できません。感じ方、感覚というのは人それぞれである訳だから、評価も様々。これを酷評する人とは映画の感覚が合わないのかな。そういった面でも、これからはレビューを反面教師的にも捉えていかねばならないと思った次第─。
とはいえ、こういった社会性の強い作品はその人の立場によって見方ががらりと変わってしまうと思うので、評価が割れてしまうのは当然のことなのかもしれない。
平和に暮らしている人が見て、平和を隅々までに浸透させてほしい。戯言なのかもしれないけれど、諦めとか無関心では愚行は繰り返されるだけだ、とこの映画を後にしながら強く思っています。
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