闇のあとの光のレビュー・感想・評価
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不安の場としての静謐
動物と共に野山を駆け回る少女。それを捉えるカメラはなぜか四隅のあたりが歪んでいる。何だこれはと思案を巡らせているうちにカットが切り替わり、今度は真っ暗な廊下。音もなく扉が開き、人知を超越した赤い発光体が侵入してくる。発光体は廊下や部屋を歩き回るだけなのだが、下手なホラー映画のバケモノ以上に本能的恐怖心を煽られる。この突然の闖入者により、映画全体が緊張のトーンに包まれることとなる。
その後は「ラグビーの試合」「自己開示セラピー」「材木の伐採」「庭先でチェス」「葦をかきわけるボート」「家族旅行」といった断片的な生活映像が無秩序に展開されていくが、そこにホームビデオのようなキュートさは皆無だ。何が映されようが先の赤い発光体の影が、つまり不安のイメージがまとわりついて離れない。
静謐を媒介とした現実と非現実の交錯といえばアピチャッポン・ウィーラセータクンの映画が真っ先に思い浮かぶが、本作はそれらとは似て非なる、というかまったく正反対のものだ。
アピチャッポン映画において静謐は安息をもたらす。そこにそっと身を横たえることで、我々は不可思議で神秘的な自然世界とシンクロを果たすことができる。彼の映画に「眠くなる」という感想が多いのは、観客が自然世界とシンクロできていたことの証左に他ならない。
一方本作を包み込む静謐は、底の見えない井戸穴のような不安の印象を我々に与える。少しでも気を抜けば吸い込まれてしまうのではないかという不安。それをさらに掻き立てるように現実を非現実が侵犯する。赤い発光体の登場はその最たる例だ。他にも、アポカリプティックな色彩に染め上げられた夕空、引き波が異様に強い浜辺、あるいは明るい部屋の窓から覗き込む夜闇なども非現実の表象といえる。「静謐」と「非現実の侵犯」。受け手はその二重の不安に苛まれることとなる。こいつはもう古典的なホラー映画だ。罷り間違っても途中で寝落ちとかできないッスよ…怖すぎて…
本作はアピチャッポン作品と同様に生々しい自然を背景としているものの、その物語的照準はあくまで人間に向けられている。先に述べたように、本作における自然は、人々の生に絡みつく不安のメタファーとしての側面が強い。この世の終わりみたいな空も、波の強い浜辺も、窓から覗き込む暗闇も、真っ赤な発光体も、すべてはほんの些細な日常の不和の誇張表現だ。
本作を敢えて形容するならば、ハーモニー・コリン『ガンモ』をマジックリアリズムと古典的ホラーの文脈に移植したような映画、といったところだろうか。他のカルロス・レイガダス監督作品にも興味が湧いた。どこで見られるんだろう?
余白を想像する映画
万人向けの作品でないことは確かだが、だからといって、“分からない”と拒むことは出来ない何とも言えない引力がある。
禍々しく赤く発光する身体を持った悪魔はあの道具箱の中に何を入れ、(それを、あるいはそれを使って)、どんな悪の種を蒔いたのか?どんなことを眠れる人の耳に囁いたのか?
アルコールやドラッグへの依存、暴力、強欲、肉欲、無邪気な子供の嘘。
人間が犯す罪は、映像の断片ではあるがゆえに、描かれなかった物語を観客に想像させる。
豊かな自然。閃めく稲光。
四角くエフェクトをかけられ中央にピントがあった画面は、観客に四角い箱に空けられた穴から人の営みを覗き見ているような恰も神になったかのような錯覚を起こさせる。
テスト
昨日見ました。
これはアートなんでしょうか。
ハポンの方が映画を感じました。
最初の雷のシーンと謎の赤い悪魔を見るだけで満足出来ました。
この監督は動物虐待にこだわりがあるのでしょうか。
修正無しの男性器描写があります。
昔見た確かアピチャッポン〜監督の映画ではクロースアップによる男性器が勃起する描写を見た記憶があるのですが、それはそれです。
前のザイドル監督のパラダイス3部作にも共通するものがあります。
こちらの方が登場人物はあっけなく死んでしまいますし、
これを見せられてどうすればいいの? という感じは強くありました。
映写室の外に掲示されているレビューにはブニュエル監督の映画はもっとエンターテイメント性があると書かれていました。
エイゼンシュテイン監督のメキシコの作品を私は見たのかあまり覚えていない。
一作目ハポンはいわゆる説話的な意味での一貫性があって見やすいし
納得性のある作りで
私などにはとうていわからないけれど
名作の一つに数えられかねないものがあると感じた。
しかしこの作品は全体的にはあまり面白くなかったです。
この監督の次回作が楽しみで仕方がないとは言えませんが公開されるなら一応見たいです。
哲学的なものを積極的に感じて行きたい人お薦め
メキシコで暮らす4人家族を中心に、ドキュメンタリタッチで英語やフランス語も飛び交う未来&現在のシーンを織り交ぜ交差させ、幻想的に表現されていました。
目が点になるようなサウナシーンや、森のポッキリシーンなどを含め、たぶん人間の原罪に始まる生について触れているのかなとも思えますが、様々な解釈を許容する懐の広さがある作品なのかもしれません。
哲学的うんちくに拘る人には、さらに魅力的作品なのではないでしょうか。
日常のバランス
画面のアスペクト比と多重エフェクト?が、美しい景色が映し出されていても不安を誘う。
喜びにも悲しみにもどちらにも振れさせない。それがこの世界の秩序であり、また人の生きる事なのだと言っているよう。
描かれるのは全てではなく一部分をフレーミングした世界と捉える。
カットアップされた時間と場所の再構築は部分ではなく総体を印象付ける。
バランスの上に成り立つ人、世界。
ふとした瞬間にバランスは崩れる。
また、人にはバランスを打ち壊したい衝動が潜んでいるし、平穏を望んでもいる。
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