「根無し草青年のミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)。 自動車泥棒...」勝手にしやがれ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
根無し草青年のミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)。 自動車泥棒...
根無し草青年のミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)。
自動車泥棒の常習で、女性から金をくすねての生活。
今日もマルセイユで盗んだ車でパリに向っていたところ、スピード違反で白バイの警官に追いかけられる羽目に。
が、いつもと違ったのは、車のダッシュボードに拳銃が入っていたこと。
ひょんなことで警官を射殺。
追われる立場になってしまう・・・
といったところからはじまる物語で、その後・・・
パリへ戻ったミシェルは女のもとを転々とし、貸した金の取り立てをするも渡されたのはヤミ小切手で、現金化するには別の男の下へ行かねばならなくなる。
途中、数週前に南仏で知り合ったキュートな米国娘パトリシア(ジーン・セバーグ)と再会。
ベタベタと付きまとうが、パトリシアは束縛されるのがイヤ。
ついには、警察にミシェルの居場所を密告し、ミシェルは射殺されてしまう・・・
と展開する物語はあらすじだけ抜き出すとバカみたいだ。
まぁ、チンピラを主人公にした犯罪映画のハナシなんて、バカみたいなものが多いんだけれど。
撃たれたミシェルはパリの街路をフラフラと逃げ歩いた挙句、「最低だ・・・」と呟き、自らの手で瞼をおろして死んでしまうが、「バカだな・・・」と読み替えてもいいでしょう。
で、この映画を物語を語っても仕方がない。
やはり、強烈な音楽と映像のスタイルで語るべき映画だろうし、また、そう語られてきた。
ビートとパンチの効いた音楽、ギクシャクとしたカッティングと編集。
特に映像については、製作された1959年の時点では、相当強烈な印象を残したはず。
鑑賞後、中条省平の新書『フランス映画史の誘惑』で確認したところ、ジャンプカットと呼ばれる、間を縮めた編集つなぎは、長回しで撮っていたがゆえに尺が長くなりすぎ、尺を縮めるための編集だったそうな。
そういわれれば、「ヘラルド・トリビューン紙」を売り歩くパトリシアと再会したミシェルが彼女と話しながらが歩くシーンや、ホテルの一室でミシェルと交わす男女の駆け引きのシーン、最後のフラフラ逃げるミシェルのシーンなど随所で長回しが登場する。
これらのシーンは、切るに切れなかったということだろう。
逆に、ヘラルド・トリビューン紙のパトリシアの上司が彼女に著名作家の取材に行けというシーン(取材後の話を聞くシーンだったけ?)は、あまりに冗漫なので、セリフの間まで詰めている。
自動車での移動シーンも長く撮ったが、繋げると冗漫だったので、短く繋げたのかもしれませんし、冒頭の警官殺しのシーンは、逆に、全然撮っておらず、ショットが足りない感じがします。
ということで、ヌーヴェルバーグ的カッティングと編集は、尺との闘いから生まれたのですね。
で、この映画以降、ヌーヴェルバーグ的手法が他の映画でも頻繁に用いられるようになるわけですが、それはまた別のハナシ。
この映画を観て、「なんだか、前にどこか別の映画で観たような感じが・・・」と感じたならば、それはこの映画の模倣ですから。