「ミシェルの「まったく最低だ」は「愛してる」と同義に解釈できるように...」勝手にしやがれ imymayさんの映画レビュー(感想・評価)
ミシェルの「まったく最低だ」は「愛してる」と同義に解釈できるように...
ミシェルの「まったく最低だ」は「愛してる」と同義に解釈できるように思う。
「まったく最低だ」を最後に死んでしまうミシェル。フランス語がそこまで堪能じゃないアメリカ人のパトリシアにはうまく意味が飲み込めない。「なんて言ったの?」と刑事に問いかけるけれど、刑事は「あなたはまったく最低だと」と答える。
ミシェルとパトリシア、ふたりのあいだでのみ共有される可能性のあった言葉が、第三者を介して「正しい言葉」で「翻訳」された瞬間に、「愛してる」という意味を失う。
映画の最後は、パトリシアの「最低ってなんのこと?」という言葉とパトリシアによって再現されるミシェルの癖だった仕草。
パトリシアがミシェルの「最低」という言葉を理解できなかったのは、フランス語がわからなかったせいなのか、それとも、彼の感情も自分の感情もわからなかったせいなのか、また、それとも、別の何かなのか、
言葉による、ふたりの永遠のすれ違いが描かれる。しかし、死んだミシェルが、パトリシアによって、仕草として再現されることで、彼女の中に彼がまた現れる。失われると同時にまたなにかが生まれる、
ミシェルにとって、言葉や言葉の意味なんてどうでもよかったのかもしれないと思うことがある。美しいも醜いも、どちらも同じ。そこにあるのはパトリシアに向けた、君を抱きたい、愛してる、という真っ直ぐな感情だけ。もはや意味は、意味を、持たない。もちろん、まったく最低だ、も。
言葉メモ
「星占いって?」「未来のことさ」
「フランス人は5分を1秒と言うのね」
メモ
人殺しのミシェルと、ミシェルを密告して死に追いやるパトリシア。パトリシアのミシェルに対する複雑な感情はミシェルと同じ人殺しになる、という同一化願望のようなものもあるのかもしれない。ミシェルが死んだあと、パトリシアがミシェルの仕草を模倣するのも、同一化の象徴なのかもしれない。