「フェアプレーで行こう」バンクーバーの朝日 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
フェアプレーで行こう
今更ながら皆さん、
あけましておめでとうございます。
2015年最初に鑑賞した映画が本作。
ちなみに去年話題をさらった監督の前作『舟を編む』は
未鑑賞。ここのところ脳ミソが疲れてるのか、アートな
匂いや淡々とした雰囲気の映画を避けつつある自分……。
とまあ着実に老化しつつある自分(三十路突入
イェイ)を嘆くのはここまでにしてレビューを。
与太ばかり言ってますが、今年もひとつヨロシクです。
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第二次世界大戦前のカナダ・バンクーバー。
移民という立場で、過酷な労働や差別に耐えながら
生きる日本人たちが結成した野球チーム、
“バンクーバー朝日”の物語。
地味だと否定的なレビューも多いようだが、個人的には秀作。
『メジャーリーグ』みたいな作りの野球映画を
最初から期待していなかったのが良かったのかも。
幸先良い映画新年を迎えられました。
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とはいえまずは、不満点から書き上げてしまおうと思う。
まずは、もっと『頭脳野球』を感じさせる描写が欲しかったこと。
バントや盗塁の多用だけではなく、相手選手を分析する
部分をもっと重点的に描写してほしかった。
バントと盗塁だけで勝てるほどに実際の勝負は甘く
なかっただろうし、亀梨和也演じる永西だけが守備面で
ひとり奮戦しているような印象も与えずに済んだはずだ。
そして、妻夫木聡演じる主人公の家族を巡る描写は心に迫るが、
その他の人物については描写不足が否めないこと。
永西の病床の母親は、息子に対しどんな思いを抱えていただろう?
窓辺で野球を眺める娼婦はどん底から這い上がる野球チームに何を見たのか?
上地雄輔演じる豆腐屋とユースケ・サンタマリア演じる成り金との因縁は?
いわくありげな人物が多いだけに描写不足な点が勿体ない。
そこまで盛り込むとかなりの長尺になってしまったかもだが。
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だがこの映画は、当時の日本移民の置かれた待遇や
その窮屈な空気感を丁寧に描いている。
繰り返される労働や食事の場面での、言葉少なで疲れ切った雰囲気。
そんな待遇に不満を募らせる移民の人々。特に日本での
記憶が鮮明な親の世代は、その屈辱的な空気に我慢がならない。
一方で、カナダの人々は日本人に仕事を奪われる事、
そして日本の世界進出に不安を覚えている。
映画の初め、両者の溝が埋まる気配は全く無い。
もちろん、溝を埋めようと努力する気配も。
そんな日本人たちを代表するのが次の2人だろう。
まず、これまでの姿勢を頑なに守ろうとする親世代の
代表が、佐藤浩市演じるプライドの高い親父さん。
身勝手さに呆れ果ててしまう場面も多いが、後半、
不器用ながらも家族を心配する姿はなんだか可愛らしい。
(「親父には出来んことをお前はやっとる」だなんて、
プライドの高い彼が言うのはよっぽどのことだったろう)
そしてカナダと日本との軋轢を如実に味わうのが
子世代である高畑充希演じるエミーだ。
カナダの人と親しく接し、また慕われてもいた彼女だが、
“日本人”というレッテルだけでむごい仕打ちを受ける。
それでも彼女はこう言う。
「私、この国を好きでいたい」
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彼女の立ち位置がこの物語の中で最も重要だと感じる。
国も人種も言葉も違えばそりゃ分かり合えない部分は
山ほどあるし、どうしても妥協できない事だってある。
だが、それだけの差異がある中でも共通項があるという
ことにこそ僕らは驚嘆すべきだ。
年老いた母親の面倒を親身に看てくれる女性を悪く思う人はいない。
自身の汚いプレーにも決して殴り返さなかった男には敬意を払う。
ハンデを乗り越えて熱い試合を見せてくれるチームには声援を送る。
何を大切に想うか、何に熱くなれるか、
偏見や文化を取っ払った根っこの部分では、
どの国の人もそうそう変わらないものじゃないのか。
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相手に敬意を払うこと。
相手が大切にするものにも敬意を払うこと。
相手のやり方が理不尽だからといって
自分をその次元に貶めないこと。
つまりは、フェアであり続けること。
そうすればいつかは相手も敬意を払ってくれるかも。
こんな殺伐とした空気を吸わなくて済むかも……お互いに。
やっぱ野球は楽しいよ、と語る主人公の微笑が心に残る。
アンフェアな出来事ばかりの時代でも、
マウンドの上で戦っている間は
世界がフェアな場所だと信じられた。
だから彼らは野球が好きだったんだろう。
.だから彼らは野球を心の支えに生きてきたんだろう。
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悲しいことに“バンクーバー朝日”の場合、
その姿勢も決して報われる事はなかった。
どれだけフェアプレーを貫いても、最後には
敵性外国人と見なされる不幸な時代にあった。
それでも後ろ向きな感想を抱かなかったのは、
彼らの試合に熱くなれたカナダの人々は、彼らが収容所に
送られても決して彼らを蔑まないという確信があるからだし、
60年もの時を隔てて彼らのプレーがカナダの人々に
賞賛されたという事実もこちらを勇気付けてくれる。
ずるずると底に落ちていくばかりの状況でも、
周囲の世界をより明るく照らす手段は、
あくまでフェアプレーで生きることだ。
この映画はそう語っているように僕には思えた。
<2015.01.10鑑賞>