劇場公開日 2014年4月26日

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「日本人的身終いの形」神宮希林 わたしの神様 星のナターシャnovaさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0日本人的身終いの形

2021年5月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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萌える

《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
以前の投稿の削除や取り消しもできないので、

これからは「星のナターシャnova」として

以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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近年は海外からの観光客で伊勢神宮も
ひと人ヒトで何時行っても祭みたいですが、
十年くらい前までは平日なら人も少なくて神秘的な場所だったんです。

その神秘的な部分を少しでも伝えようと
この映画、撮影時間やエピソードなどを
かなり厳選して作られたんだと思います。

そして樹木希林さんと言う人のどこか飄々とした魅力が
画面を重くせず、軽やかな笑いを添えてくれている。

樹木希林と言う人の言葉、
人の思いの宿る「モノ」は疎かに出来ない。
もう人生の終点がほの見えて来ている自分には荷が重い。
だから頑なまでに「モノ」を受けとらない。
「お気持ちだけ頂戴します」と答える。

式年遷宮においても建物は残さない。
古い建物は跡形もなく解体され、
使える部分は日本中の神社に払い下げられるそうだが
神宮の中には何も残さず、ここにあったと言う石の印だけが残る。
「モノ」は残さないが20年に一度の式年遷宮で
その精神と技術だけは確実に次世代に伝わって行く。
とても日本的な身終いの形だと思う。

カメラは東北の、津波で何もかもさらわれた小さな神社へと飛ぶ。
伊勢神宮の式年遷宮で使うために集めらた木材のお裾分けで
小さな新しい社が作られていた。
「モノ」は何も無くなっても、
そこに神社があったと言う思いや精神があれば新しい社は形になる。

伊勢神宮で手を合わせる。
神宮は目の前にある。
ただ、目の前に有るだけ。
心をこめて祈っても何も応えてはくれない。

でも、今、神宮の前に自分が生きて祈っている事そのものが
神宮の応えだと私は思う。

ところで希林さんは神宮の前で信心する心は芽生えただろうか?
そこは名優!
上手くはぐらかされたかな??(笑)

星のナターシャnova