「多くの方は前編観て謎解きミステリーだと“まんまと思い込まされた”」ソロモンの偽証 後篇・裁判 アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)
多くの方は前編観て謎解きミステリーだと“まんまと思い込まされた”
そのモードで後編を期待したなら、自ずと低評価になるだろうと。
確かに、原作小説は長尺なミステリー(法廷もの)作品ではあるものの、映像作品とする場合に於いて、通常作品よりも伏線とするには、あまりにも多い登場人物とその個々の背景にかなり時間を割いていることで、上映時間も長尺になっている事、それが意味(意図)する事は?
前編の終盤までの段階でそれに気付けば、これがミステリー〜法廷劇を背景にして、思春期の不安定な子供達ゆえに織りなされるアンバランスで不条理な世界と、それに翻弄される大人たちの世界(社会)、或いはその逆に大人たちによってもたらされる子供達の逃げ場のない現実、それによって引き起こされる悲劇と子供社会の混乱。
そうした「行き場の無い内なる叫び」をさらけ出す舞台設定として、謎解きミステリー+法廷劇+学園ドラマの形をとっていたという事だったのではという事など、元々このドラマが目指していたものが何であったのか思い込みで固執すると、オチの部分を主眼にして期待値高めたりはガッカリに繋がる事でしょう。
映像作品として成立させる場合、原作をベースにしつつも原作とはまた違った監督の意図するところや、そうしたバランスの匙加減が問われるところかと。
別に自慢で言うわけじゃありませんが、私自身は後編の開始間もなくで「犯人(引き金となった人物)」が誰なのかは理解できました。
あとは、その確認的に観ていくだけみたいになるのなら、特別に面白くは無いでしょうが、逆に「意図するところはそこだけでは無い」(犯人探し)映画では無いと理解して、最後まで興味深く鑑賞しました。
まあ、前編よりも人物描写がややくどい感も無きにしもあらずも、全体を通して相当良い出来の作品だったと思いましたけどね。
尚、映画と違い原作版では弁護助手を務めた野田健一が教師となって城東第三中学校に帰り、学校内裁判は伝説・歴史となっていた。
メインの主人公二人の関係性、距離感やミステリアスさはちょっと『時をかける少女』(1983年映画版)も彷彿させたかなと。
映画の中ではあからさまに描かれることは無いものの、そうしたイメージは20年後を描く原作の続編の方では藤野涼子は弁護士になっており、弁護士担当であった神原和彦と結婚したこという後日談として明らかにされているようです。