「予定調和のストーリーには感動はない。」柘榴坂の仇討 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
予定調和のストーリーには感動はない。
世に言う「桜田門外の変」。事件のあと、移りゆく激動の時代の主人公を描いた物語はいくつもある。薩長しかり、幕府しかり。しかし、その変わり始めた時代の先端で、あえなく被害にあった彦根藩について書かれた小説はとんと聞かない。
はて、あのとき井伊大老を警護していた家来たちの生き残りはどうしたのだろうか。むざむざ主人を殺害されて黙って見過ごしたのではあるまいか。もしかしたら、脱藩して自らの手で下手人を探し当てて仇討を果たそうとした人物がいてもおかしくないんじゃないか。僕は、そう思ったことがあった。
その、もしかしたらこんな人物がいたかも知れないという、ストーリー。その着想がいい。
もちろん、井伊大老や年号や仇討禁止令やらは史実だが、ほかの人物らはフィクション。志村や佐橋は架空だ。
ふたりの事件での立場、その後の人生、関わった人々、そしてラスト、実際に品川にある柘榴坂を舞台にする妙案にいたるまで、まさしく浅田次郎らしい筋書き。
裏を返せば、はじめっからだいたい読めた。だから、椿を目にして志村が何かを悟った瞬間こそハッとしたが、僕の中では予定調和の時間が流れるだけで、あまり感動らしいものはなかった。もちろん、中井貴一と阿部寛の演技はすばらしかったのだけど。だが、女性陣のキャスティングにはどうも不満が残った。
ラストは、ドキリと驚きがあるでもなく、いまどきらしい、言い直せばもっとも浅田次郎らしいエンディングで終わり、僕にはどうも物足りなさを感じてしまった。それは、「家族を大事にしよう」という現代的なテーマがあるからだろう。
そのテーマが悪いのではなく、そのテーマは武士の世界にはなじまないと思うのだ。武士とは本来「常在戦場」なのである。たとえば、あの決闘の結末のあと、長屋に帰った志村が自決している妻を見つけるという筋書きはアリだろうか。たぶん、それこそ当時の感覚で言えば、「武士の妻の鏡」と言われたであろう。そしてそのときに志村はどう行動するのか。それこそ、食らいついて見入ってしまいそうな気がする。そんなストーリーでは興行的に非難されるであろうことは承知だけど。
この映画、いい映画ではあるが、のちのち記憶に残るほどの映画では、ない。