「のびのび演じる「俳優」ウディ・アレン」ジゴロ・イン・ニューヨーク ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
のびのび演じる「俳優」ウディ・アレン
ウディ・アレンが監督もせず、脚本も書かず、純粋に俳優として出演する?! 一体どんな心境で出演をOKしたのか? そこに興味があって本作を鑑賞した。
映画の作りは、ウディ・アレンへの敬意が感じられる、洗練されたタッチ。絵の作り込みはキレイだし、音楽もオシャレ。センスがよく、気が利いているのだ。ワンカットの長さも適切だと思うし、若手監督にありがちな自己満足、演出過剰といったショットは、ひとつとしてない。監督、脚本、俳優、三役をこなしたジョン・タトゥーロの力量は素晴らしいものがある。
マレー(ウディ・アレン)は祖父の代から続く、古ぼけた本屋の主人である。だけど、経営難で店をたたむ事に。ふとしたきっかけから、マレーは、友人の花屋で、配管工事もやってのける、フィオラベンテ(ジョン・タトゥーロ)を、ホストに仕立て上げる事を思いつく。マレーの提案に、渋い顔のフィオラベンテ。
「俺はイケメンじゃないぜ」
マレーはなんとか彼を説き伏せようとする。
「ミック・ジャガーがイケメンか?! 大口開けて怒鳴ってるだけだ! 君は女を喜ばせる術をよ~く、知ってるだろ?」
半ば押し切る形で、マレーは「ジゴロ」いわゆる「ポン引き」を開業。
始めてみると「ビジネス」はなかなか好調。だが、あるご婦人が客になったとき、彼らはトラブルに巻き込まれる。
婦人が属するコミュニティーはユダヤ教徒。聖職者「ラビ」がユダヤ教徒としての生き方を厳格に指導していたのだった……。
この作品を理解するためには、ちょっとばかり予備知識を入れておいた方がいいと思う。
自身がユダヤ系である、ウディ・アレンの出自と、ユダヤ教徒としての守るべきモラル、それに生活習慣などだ。
本作を観る限りでは、まるで「元老院」とでもいうような「聖職者・ラビ」の存在と、その影響力が丁寧に描かれている。
本作がちょっとセクシーなコメディ映画、だけでは語れない部分はそこなのだ。
ウディ・アレンは、最近色々とスキャンダラスな話題にさらされているけれど、紛れもなくアメリカ映画界の巨匠の一人。
監督、脚本といった、映画を作る人、フィルムメーカーとして、確固たる地位を築いている。そのウディ・アレンが、なぜ今「ひとりの俳優」として出演をOKしたのか?
それは巨匠の単なる気まぐれだろうか?
いいや、そんな事はないのである。
本作を観て感じるのは、実に楽しそうに演じているウディ・アレンの姿だ。「ユーモアとウィット」と言う言葉がこんなに似合う「俳優」も珍しい。
そんな「巨匠」をのびのび演じさせてしまう、監督、脚本、俳優のジョン・タトゥーロに、ウディ・アレン”先生”は相当な信頼を寄せているように見える。
なお本作は、決してスケール感のある大仕掛けの大作ではなく、都会の片隅を定点観測し、スケッチするように描いた、小粋な「小品」であることが印象的だ。
僕はそのことに、ちょっぴり残念な気持ちと共に、ウディ・アレンという特異な巨匠のホームグラウンドには
「やっぱり、それが似合ってるんだよな」と思ってしまうのである。