おやすみなさいを言いたくてのレビュー・感想・評価
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10月7日から2ヶ月間観れずに放置したDVD
内容的には違うが、現在殺戮がリアルに報道されているため、精神的に映画鑑賞する余裕が無かった。鑑賞後もリアルが圧倒して、世界の構造も報道も使命感も既に共感できないところまで来ていた。虚しさだけが残る。家族を壊してまでそこに真実はあるのか?それは正義か?
【戦場写真家の命を顧みない尊崇な姿に頭を垂れる作品。と共にその家族との複雑な関係性の構築と再生を描く作品である。】
■長女ステフと次女リサを夫のマーカスに託し、紛争地帯や危険地域の現実にカメラを向けている報道写真家のレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)
遠く離れていても家族の絆は固いと思っていたが、レベッカがドバイでの自爆テロに同行し、巻き込まれたことから、夫や娘たちの本心が明らかになっていく。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・冒頭のドバイでの女性の埋葬シーンからこの作品はキツイぞ、と思いつつ鑑賞続行。
ー 埋葬された女性が目を開き、身体に爆弾を纏うシーン。-
・そして、彼女に同行するレベッカ。
ー ”爆発!”と言いながら、自らも大怪我をするショッキングなシーン。
■戦場写真家を映画化した作品と言えばメリー・コルヴィンの生き様を描いた「プライベート・ウォー」が記憶に新しいが、彼女は「バハールの涙」でもモデルとして描かれている。
◆日本で言えば、亡き鴨志田氏を思い出すが、奧さんであった西原さんが描いた「毎日かあさん」で描かれる、戦争のフラッシュバックによりアルコール依存症になって行く過程とその最後は今でも思い出す。
けれども私は、戦場写真家の存在を否定する積りは全くない。
今作でも、レベッカが言うように、愚かしきゴシップ情報が世に流れる中、世界の見捨てられた地域で行われている恐ろしき真実を伝えようとする姿には尊崇の念を抱く。
<今作はそんな環境下の中、自らの信念を貫いた女性写真家の姿を通じ、強烈な反戦思想を伝えた映画である。>
レベッカの怒りと悲しみは監督の思いそのもの
気がつけば『プライベート・ウォー』に描かれていた、女性カメラマンのメリー・コルヴィンと対比させながら見ていました。彼女は、実在したジャーナリスト。家庭を持つことのなく、最期を戦場で迎えました。
それに対して、この『おやすみ~』のレベッカは架空の人物。家庭をもち、個人の幸せと社会正義のはざまでゆれ動く心の機微を、少ない台詞で描くエリック・ポッペ監督の手腕に感服です。もちろん、ジュリエット・ビノシュの演技は冴えわたっていました。
そして、紛争の残虐性、その中で苦しむ女性たち。その説得力に圧倒されました。
そんな作品に仕上がったのは、ポッペ監督の経験に裏打ちされていたからこそ、のことなのでしょう。
ポッペ監督の言葉を引用します。
「私は映画制作を行っていないときは、コンゴやパキスタン、ソマリアといった紛争地域に足を運び、映像を記録しています。紛争地域では、いつ何が起きるか分からないので、カメラを回し始めたらオンとオフを切り替えている余裕がありません。記録の最中に反乱軍がやってきて難民たちと一緒に逃げたこともあります。そんなパニックに落ちている状況の最中もカメラはそのまま捉えている。」
レベッカの夫マーカスは生物学者で、海洋生物の放射線による突然変異の研究をしているという設定です。舞台アイルランドの対岸はイギリス。いくつもの原発があり、排水に含まれる放射性物質は、国境を越えてやってきます。セラフィールドの原子炉火災事故もありました。これら問題をさりげなく映画に盛り込んでいる所に、ポッペのジャーナリスト魂がのぞきます。
ちなみに、原題『A Thousand Times Good Night』は、ロミオとジュリエットのバルコニーシーンで、別れを惜しむ台詞だそうです。娘たちを普通に愛することができないレベッカの、それでも愛しく思う心と、悲しさや寂しさが、そこにはにじみ出ている気がします。
紛争の実情を見てしまったカメラマン
自爆テロをせざるを得ない側から紛争地を見てしまった女性報道カメラマンを、夫や娘をさしおいて戦場へ行かせる「抑え切れない何か」とは。
『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー助演女優賞のジュリエット・ビノシュが盛り上げる。
仕事にかける情熱・・
すべての女性に、仕事にかける情熱と家族への愛情が両立出来るかの問題を提起している・・アフガンで危険な目にあった主人公。報道写真家を辞めてしまい、家族と一緒に暮らすことにした。そんなある日、娘とケニアの難民キャンプを旅行する。そして・・結局、彼女は危険な紛争地での報道写真家に戻っていた。自ら危険なゾーンに飛び込んで行く人が存在するが、男女を問わず尊敬の念しかない・・2014年の映画(涙)
ジャーナリストの実情
深い感動作、紛争地で危険を顧みずに活動するジャーナリストらの実情を描いた作品。自爆に難民キャンプ襲撃と危険な出来事ばかり起こる戦地に自ら出向く女性写真家 その情熱と勇気に敬服する。
本当ならこいう映画はない方がいい。 世界の取り残された地を撮るのに...
本当ならこいう映画はない方がいい。
世界の取り残された地を撮るのに、人の死を写さなくてはいけない現実。
主人公が撮る写真は評価されている。
この映画も評価されている。
ダメだ。まだ整理がつかない自分がいる。。。
ただ多くの人にこの映画を観て、悩んで欲しい。悪くとらえないでもらえれば、苦しんで欲しい。この作品に対する答えを探して欲しい。
タイトルが印象うすくて忘れてしまう
現場で起こっている真実を伝える使命感をもつ彼女。それを世界に発信することが責務ならば、目の前で起ころうとしているに介入してはいけない。(だから、爆弾破裂を叫んだりしてはいけない)
その仕事のリスクを理解してるなら、家族を持ってはいけない。(なので、この設定に不満ですが)
目の前で起きてることをひたすら伝える発信者に徹しなければならない。(だからこそ取材が許される場合もある)
誰かがなにかを犠牲にしているからこそ、世界中で起きていることを、僕らはメディアから知ることができる。
だけど、その行為を「傲慢」だと思えてしまう僕の感覚は、おかしいのだろうか?
レベッカが最後、おそらく自殺テロを決行しようとする少女と自分の娘が被ったがために泣き崩れる。
それさえも、おい今さらかよ、って彼女の「傲慢」に失笑してしまった。
失笑する僕自身も「傲慢」なのだろう。
Canonは戦場でも頑張っている
邦題の印象から観るのを避けていたのですが、ひょんな事から観ることになって良かった。
夫婦の愛の葛藤も胸にチリチリきましたが、娘2人の演技が素晴らしい。特にティーンエイジャーな長女の震える眼差は正視するのもためらうほど。きっと素敵な女優さんになるかと。
ラストに溜め息出ました…。
争いの日々にお休みなさいを言おう
おそらく、今年2014年、ぼくの心の奥底まで最も深く到達した作品。ジュリエット・ビノシュという女優は、映画の持つ雰囲気をあまりにもケレン味なく、自然に伝えることができる。その映画作品のもつ雰囲気を体全体で受け止め、観客に伝えることのできる「霊媒師、シャーマン」のような気がしてならない。それほどまでに彼女は、いい意味で「演技していない」。演技なぞしなくても、本作の主人公の女性戦場写真家、レベッカ、その人物の魂がジュリエット・ビノシュに憑依するのだ。
映画は衝撃的なシーンから始まる。戦場カメラマン、レベッカが写真を撮っている。場所はアフガニスタンのカブール。紛争地である。ある女性の葬儀が行われている。墓穴の底に横たわる女性。集まった人々はみな、なにやらつぶやいている。きっと、お悔やみを述べているのだろう。しかし、死んだはずの女性は、墓穴の中からおもむろに起き上がった。人々は当たり前のように彼女を墓穴から取り上げる。彼女はまだ生きているのだ。観客である僕たちは当然、なんだ、これは?と思う。しかし、これから間もなく、この女性は本当の死を受け入れるのだ。次に彼女は、参列者の祈りがささげられる中、体全体に爆薬を取り付けられる。もうすぐ、運命の時を迎えるであろう、彼女の最期の姿を撮り続けるレベッカ。カシャ、パシャ、カシャ…… シャッターを切る音だけが無機質に響く。爆薬を取り付けられた女性は、車に乗せられる。一緒に市街地まで同行するレベッカ。
やがて「聖なる戦い」のために、女性は神に祝福される瞬間がやってくる。葬儀は先ほど済ませた。もう自分はすでに死んでいるのだ。何も恐れることなどない、後はスイッチを押すだけ……
シャッターを切り続けていたレベッカは超現実的な、いままでの一連の時空間から、人いきれのする市街地での現実世界に、ふっと自己の意識を取り戻す。自分は何を見ているのだろう? 自分は何をすべきだろう? 彼女は我を取り戻し叫ぶ。
「爆弾よ!逃げて!!、みんな逃げ……」
その瞬間、轟音と真っ赤な炎、爆風、誰のか分からない血液が辺り一面を染める。レベッカも吹き飛ばされ、彼女のカメラは血にまみれて地面を転がる。
こんな危険な仕事を続けるレベッカにも夫とふたりの子供がいる。あの自爆行為(自爆テロという言葉は、僕は簡単に使いたくない)の現場から、運良く自宅のあるアイルランドに帰国した彼女。
彼女の帰りを待つ夫はもちろん不機嫌だ。
「いつまで、こんなのやってるんだ、もう、耐えられない! 僕と子供達は、母親の死亡通知がいつ来るか、待ってるんだぞ」
夫の怒りは当然だ。しばらくの間、仕事を休もう。静かな生活を家族と送ろうと、レベッカは思う。
しかし、一時の安息をしている彼女に、出版社から新たなオファーがかかる。比較的安全、とされているケニアの難民キャンプ取材の仕事だ。レベッカは悩んだ挙句、この仕事を請けることにした。娘も連れて行こう。というのも、ママは、なんのためにこんな危険な取材を行い続けるのか? それを長女ステフ(ローリン・キャニー)が強く知りたがっていたからだ。しかし、長女と共に、現地入りしてみると、この安全とされた難民キャンプにも機関銃を持った男たちが襲いかかってくる。この瞬間、彼女は戦場カメラマンの「スイッチ」が入ってしまうのである。
「危険すぎる、戻れ!!」彼女はガイドの男性の制止を振り切る。
「大丈夫よ、必ず戻るわ。娘を安全な場所へ、おねがい!」
彼女は泣き叫ぶ長女をガイドの車に預け、自分は難民キャンプ襲撃の様子をカメラに収めようと集落に向かうのだった。
本作は一人の女性戦場カメラマンと、その家族を、主人公レベッカの目線から描く。そこには国と国との争いごと、政治的な問題。それらに関しては「あえて」視線を向けていない。本作で描こうとしたのは戦場カメラマンと、その家族、そしてレベッカが写し取る、ひとり、ひとりの「個人」という被写体である。
戦争の大義について問題提起しようとする姿勢は本作にはない。そんなことよりも、もっと大事なことがある。戦争、紛争になれば、最も弱い「個人」が、最も大きな犠牲と悲しみを背負う、ということである。
ただ、こんな感じで理屈っぽく鑑賞するだけではもったいない。本作は映画作品としても大変魅力的だ。
印象に残るシーンがいくつもある。
レベッカの心象風景なのだろう、水の渦の中に舞い踊るような身体。すべての緊張と制約、日常のしがらみを解き放つ、無重力を思わせる水の中の世界。時折映し出される海辺の光景。それにロウソクをつけた紙の気球を、家族みんなで飛ばす風景はよかったなぁ~。ふわぁ~っと空に舞い上がって、あとは気流の流れに任せて空を漂ってゆく、なんともはかない「紙の気球」
それにどんな比喩や暗喩があるのか? それは観客が自由に感じればいい。本作には、映画監督のメッセージを観客に無理やり押し付けようとする、ありがちな表現手法は取られていない。スクリーンに提示されるイメージをどう受け止めるかは観客の自由だ。
ワンシーン、ワンカットごとに、ぎゅっと濃縮されたような時間と、映画への想いが詰まった濃密な本作。ジュリエット・ビノシュの淡々とした演技の作法が印象的だ。緊迫したシーンと、その緊張を解きほぐす柔らかな映像とのバランスも素晴らしい。少なくとも、僕にとっては今年お気に入りの一本となった。
勇気ある家族愛
アフガンの自爆テロを取材する主人公の姿を追うカメラ。生と死が隣り合わせの現実を切り取っている、と言うにはあまりにも他人ごとのような表現に、苛立ちを超えて怒りすら感じる。取材中に大怪我をしても、外国人はドバイの立派な病院で治療を受け、それが済んだらヨーロッパの自分の家に帰って、家族とハグ。テロや貧困の問題をなめてるのかと思った。
しかし、長女のステファニーを伴ってケニアの難民キャンプへ行くところから、映画は我々の日常生活が抜き差しならぬ問題と直接触れあっていることを語り始める。それは、夫が放射性物質による海洋汚染について調べていることに言及することでも触れられている。
この作品の物語の焦点はそうした世界の問題ではなく、そのような問題と無関係ではいられない家族というものに当てられている。
安全が確保されているはずのケニアの難民キャンプで予期せず部族間抗争に巻き込まれたとき、もう紛争地には戻らないと家族に約束したはずの母親は、娘を先に逃して自分だけ殺戮現場に残って取材をする。このことで娘は母親への不信が増大するとともに、この母親のこの仕事への執着について考えるようになる。母親への憎しみと尊敬の間で揺れる、このステファニーの苦悩の表情。「こんな母親をいつの日か許して欲しい。」と懇願する母親に、「死んだら許してあげることになると思う。」と答えるシーンは胸がつまる。
この女性報道写真家が、心配をする家族のために仕事を辞めるのか、それとも仕事を続けるのかというところがこの話の結末となるのだが、それはどちらでもよいと思える内容だった。
なぜなら、仕事への情熱なしでは生きられない母親を一人の人間として理解した娘にとって、母親がどちらの道を選択しようとも家族として支えていくことには変わりがないからだ。
親子の信頼関係を築く物語に、イスラム過激派の自爆テロの話まで出してくることに少々大げさな違和感を感じる。しかし、複雑化するこの世界とかかわる中で、それでも家族を信じる勇気に心が熱くなった。
冬にぴったりの感動作
試写でみました。大作というのではないけれど、意外なオープニングから、なんとも切なく余韻あるラストシーンまであたたかく丁寧な描写と独特の透明感がすばらしかった。世界を相手に強い使命感をもつ母親と、もっと近い存在のはずなのに心のすれ違う娘。しばしば映し出される波打ち際のように寄せては返す感情の移ろいが深く深く心を打ちます。試練を超える話って感動的なものだけど、ひとの心、特に家族でも恋人でも身近なひとを理解し、理解されるのってほんとうに共感できる。ジュリエット・ビノシュは、若い頃よりもいい女優になったなと思う。ちょっとした表情がセリフより多くを語る。娘役もとても印象的。今年観た中でもいちばんの収穫かな。きれいな涙を流せるホンモノの映画を観たいひとにはおすすめ。見終わったとき、愛するひとをぎゅっと抱きしめたくなるでしょう。
ひたすら泣けた
ジュリエット・ビノシュの演技がとにかくハマリ役でした。ビノシュが出る作品は軒並み好きな作品(汚れた血、存在の耐えられない軽さ、ダメージ、ポンヌフの恋人・・とか古いですが)ばかりだったので、期待してみましたが、期待以上でした!たぶんこの映画は、女性と男性の感想は真逆になるかもしれませんね。だいぶ、主人公のレベッカに感情移入してしまいました。私も二人の子供を持つ母として働いていて、目まぐるしいなんて生ぬるい言葉では言い尽くせないほど、怒涛の日々を生きています。そんな中で、子育てをしながらも、自分が好きな仕事をするということの困難さ、苦労、葛藤、子供たちへの申し訳なさ、でも仕事を手離したくない、という様々な気持ちがないまぜになりながら生きています。だから、レベッカの気持ちが痛いほどわかり、ただただ泣けてきました。たぶん泣きたかったのかもしれない。人生で一番大切なものは絶対に家族です。それを改めて感じさせられ、日々の時間の使い方を見直そうと思いました!
戦争と日常の交叉点
評価0か評価5かで迷いましたが
この作品は考えてみるという意味でやはり
見る価値があると感じます。
裕福で平和を謳歌する白人が自分たちのエゴイズムで作り出した中東の係争を善人づらで報道する。その写真活動がただしいジャーナリズムの王道のような思想への問い(第一の考えてみる点)
人生の価値に迷い報道写真(命がけ)に答えを見出す姿は俳優・ミュージシャン・芸術家などが成功に満たされず薬物の世界などに足を踏み入れて行くのに酷似している。
迷っていて見つけられない人生の意味を自分を極限に立たせてごまかしている。
人生の使い道を悪に加担する形で実現していることにさえ気づかない西洋思想の限界(第二の考えてみる点)
この手の作品は頻繁に審査員特別賞などを得て、聴衆のスタンディングオベーションで喝采を受ける。西洋の偽善(第三の考えてみる点)
見る価値があるのか?
無いのか?
ありがちなストーリーなので
ないと言えばない。
長女役の俳優の演技は内部感情や不安定な母への愛などを絶妙に表現していて見るにあたいする。
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