オーバー・ザ・ブルースカイのレビュー・感想・評価
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どんなときも、音楽はそこにある
お目当ての映画のあとに上映されていた本作。なんだろう?と思った瞬間、ひらめきがあった。忘れた頃にごくたまにやってくる、こんな素敵な出会い。だから、映画はやめられない。
冒頭いきなり燃え上がる、全身タトゥーのヒロインと、ヒゲもじゃ男の恋模様。…と、場面は小児病棟へと一変し、彼らは難病を抱えた子の親となっている。少女はとても愛らしく、はかない。ああ、そうか、これは子どもの闘病の話なのか。…と、涙を誘うシーンもなく、彼女はあっけなく死んでしまう。当然、彼らに亀裂が生じる。ならば、これは子の死を乗り越える男女の再生の物語か。…と、そんな予想もあっさりと裏切られ、物語は決定的な破局を迎える。
文字すると、つくづく救いがない。けれども本作には、不可思議な幸福感が、空気のように漂っている。壊れていく彼らの過程に、希望に満ちあふれたかつての彼らのパーツが織り込まれる。対局であるはずの過去と現在が、なぜかごく自然に絡み合い、ふくよかな物語を紡ぎ出すのだ。
それにはやはり、音楽の力が強い。ブルーグラスバンドを率いる男は、カントリーミュージックをこよなく愛し、誰しもが夢を実現できる国、アメリカに憧れを持つ。彼と出会った彼女も、彼らとともに演奏し、美しい歌声を披露するようになる。どんなときも、音楽はそこにある。救うわけでも、彩るわけでもない。だだそこに確実にあり、響き合い、すべてのものに染み入っていくのだ。
また、ヒロインのタトゥーも、鮮烈な印象を残す。相応に歳を重ねていけば、人は相応に無難に振る舞い、その場を取り繕う技を身につける。しかし、全身のタトゥーはごまかせない。いや、彼女はタトゥーを隠さないし、誇示もしない。タトゥーはかつての自分の証であり、過去の積み重ねの上に自分がいる、と人一倍知っている。後悔なんて、しない。全てを受け入れ前に進んでいこうとする姿勢に、力強さを感じながらも、胸が締め付けられた。
そんな彼女の死に際しても、音楽は奏でられる。しかし、歌声はもうそこにない。歌い手を失ったメロディは、ひときわ美しく、やさしく、力強い。
男が夢見たアメリカという国は、娘を病魔から救おうとはしなかった。しかし、そこで産まれた音楽は、彼をどこまでも支えていく。それは皮肉か、必然か。国は崩れ去っても、音楽は、文化は、そこかしこに根を下ろしていくのだ。
ここに、音楽映画の新たな傑作が誕生した。…そして、タトゥー(刺青)映画(そんなジャンルがあるかはさておき。)としても。彼女が最後に彫ったタトゥーは、「ラブソング」でエリック•ツァン演じるヤクザがマギー•チャンのために彫った入れ墨に匹敵する、と断言したい。
夫婦って、名犬ジョリーの主題歌「ふたりで半分こ」みたいに分け合えないんですね。
全身タトゥーのエリーズ(ヴェルル・バーテンス)と、カントリー歌手でバンジョーを演奏するディディエ(ヨハン・ヘルデンベルグ)全く似てない二人が出会って、結婚、娘が生まれる。
しかしその娘は(恐らく)白血病で早くに亡くなるる。
抗がん剤の治療は、髪が抜けて、むくんで、面影がないくらいに変わりますよね。
夫婦のその悲しみは、名犬ジョリーの主題歌「ふたりで半分こ」みたいにならない。
夫婦はそれぞれの悲しみに押し潰され、自分の悲しの方が相手より勝ると証明、つまり相手を責め続ける。
ディディエは神を憎み、世の中を憎み、その怒りは、神に救いを求めるエリーズに向けられる。
出会った頃の幸せな二人、幸せな家族3人、病気で苦しむ幼い娘、口論しあう夫婦などが、カントリーミュージックが流れる中、交互に切り替わる構成。
こんなふうに、自分の悲しみだけでいっぱいいっぱいになれる人はいいな。
こうして、自暴自棄になれる人はいいな。
私はどんな時でも、自分の悲しみは脇に置かなくちゃいけなかった。どんな時でも、家族に責任があった。
エリーゼの「愛する者を持つべきではなかった。愛する者を持ったから、それを奪われてこんなに苦しい」って気持ちがよく分かる。
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