「本当に孤独だったのは教授でなく、彼らの方だったのかも知れません」家族の肖像(1974) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
本当に孤独だったのは教授でなく、彼らの方だったのかも知れません
家族の肖像
1974年公開 イタリア映画
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品
彼の作品の中では、比較的面白いし、分かりやすい作品です
教授の悠々自適の老後の生活にズカズカと踏み込んでくる図々しい他人達
しかし教授が家族の肖像の絵画を多く収集して自宅に飾り、気に入った作品は寝室にも飾るのは、やはり老後の独り暮らしは淋しいからでしょう
家族の肖像画は英語で
Conversation pieceというそうです
本作の英語題名もそれです
こうした絵を見ながら、家族や来客と色々話をするきっかけになるので、そのような絵のこと自体をConversation piece(話のきっかけ)と呼ぶようになったそうです
教授は気に入った家族の肖像の人物などの絵の中のちよっとした目に留まったことを、
誰もいない家で胸の中で自分で自分と会話して孤独を紛らわせていたのでしょう
ところで、伯爵夫人達は、なぜ、教授の家に執着するのでしょう?
教授にガミガミ文句を言われるのに、さっさと部屋を出て別の物件を当たれば良いのに彼女の財力なら、教授の言うようにいくらでも他に物件はあるはずです
教授の家が素敵だから?
なら、なんでリフォームしようとするのでしょう?
彼らはみんな教授を気に入っていたのです
父親のような、なんか安心できる存在だったのでしょう
だから、別段用事もないのに階下の教授の部屋に次々に現れて教授に絡もうとするのだと思いました
伯爵夫人はわがまま娘が父親に甘えているように見えます
教授から見れば、伯爵夫人は娘みたいなものです
リエッタはいうに及ばず、コンラッドもステファノは孫のように見えますし、彼らもそのように教授に甘えているようです
迷惑を沢山かけられて、教授は怒っていますが、忍耐強い父親のように受け止めています
それで、みんなもいよいよ図に乗ってやりたい放題です
これくらいやったら、さすがに怒られるかな?と試してみているかのようです
愚痴を聞いてもらってすっきりしたりしています
そんなこんなの日々の内に教授もそれが疑似家族のような気分になります
それが夕食会のシーンです
家族が久々に揃った夕食のようで、教授を中心に話が咲くのですが、兄弟喧嘩のようなものが起こりコンラッドが飛び出したかと思えば、爆発事故を起こし死んでしまいます
自殺かも知れません
内ゲバでの殺人事件だったのかも知れません
教授は息子を失ったかのようにショックを受けて寝込んでしまうのです
ラストシーンは教授の他界でした
教授の温厚で知的で紳士的な態度
決して偉ぶってはいないのだけども滲み出ている家長としての威厳と包容力
疑似家族達は若く、自分の思うがまま自由放題ですが、実は反面これで良いのか不安なのです
教授はそんな彼らに立ち入りはしなくても話を聞いてくれるのです
たったそれだけで彼らは安心できたのです
本当に孤独だったのは彼らの方だったのかも知れません
一家の家長は昼間寝てばかりいる雄ライオンのような存在でよいのでしょう
願わくば、自分の老後は自分の静かな時間を持てなくとも、本当の家族に囲まれて、賑やかに過ごしたいものです
子供や孫の中には問題を起こして腹立たしいものやハラハラさせられるものもでるでしょうが、それでも家族だから可愛いのです
大切な家族なのですから
いくら地位を得ても、財をなしてもそんなものは墓場まで持って行けはしません
枕元で大丈夫?おじいちゃんと家族みんなが集まってくれる幸せ以上のものはありません
いくら栄達しても、金を積んでも家族だけは買えはしないのですから
教授のように、少しはお洒落で、生活にゆとりがあって、温厚で、ガミガミも言わず、手も上げず長々とくだらない説教もしない、そんな老人になりたいと思いました