「【孤独なる”教授”の老いたが故に求めた疑似家族の仮初なる形成と崩壊を描く。”教授”が住む大邸宅の一階の豪奢な絵画、意匠と、疑似家族が住む二階の現代アートの如き意匠の対比も見事なる作品である。】」家族の肖像(1974) NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【孤独なる”教授”の老いたが故に求めた疑似家族の仮初なる形成と崩壊を描く。”教授”が住む大邸宅の一階の豪奢な絵画、意匠と、疑似家族が住む二階の現代アートの如き意匠の対比も見事なる作品である。】
<Caution!内容に触れています。>
■豪邸に住む”教授”(バート・ランカスター)は、「家族の肖像」と呼ばれる絵画のコレクションに囲まれて孤独に暮らしている。
ある時、フルモンティ婦人(シルヴァーナ・マンガーノ)が現れ、自分の娘リエッタや若き情夫たちコンラッド・ヒューベル(ヘルムート・バーガー)とステファーノと豪邸の2階に住みついてしまう。
新しく現れた”家族”により、教授の生活はかき乱されていくが、彼は美術に長けたコンラッドと友情を交わして、同居を認めるのだが。
◆感想
・物語は全て、”教授”の豪奢な邸宅のみで展開する。教授の住む一階の多数の絵画をを含めた意匠が豪奢であり、映画美術として見応えがあるし、それがこの作品の趣を醸し出している。
特に、書棚の奥に設置された隠し部屋の存在であろう。
・”教授”は最初は彼らが二階に住むことに嫌悪感を隠さない。音量の大きいポップスが流れて来るシーンは、静寂を好む”教授”の苛立ちを描いている。
・だが、”教授”は眉目秀麗なコンラッドが美術に長けている事を知り、彼に親近感を覚えコンラッドも又、”教授”を父のように思って行く。
■そんな中、”教授”は新しく現れた”家族”を、一階でのディナーに誘い疑似家族は夕餉を共にし、”教授”は穏やかな表情で新しく現れた”家族”達と卓を囲むのである。
このシーンは、孤独だった”教授”が”家族”の団欒を求めたように描かれる。
だが、その後、コンラッドは実は過激な左翼思想の活動家であり、ファシストで右翼のフルモンティ婦人の夫を殺そうと近づいていた事が明らかになる。
<そして、二階の新しく現れた”家族”は居なくなるが、逃走していたコンラッドだけは一人戻って来て、二階で爆死する。
その死体を抱いた教授は、一人一階のベッドに横たわり、医者が脈を図る中、静かに眼を閉じて動かなくなるのである。
今作は、ヴィスコンティ監督が、”家族”とは何か、”伝統と革新”とは何かという意味を問いかけた作品である。>