「“家族と思えば我慢できる”…残りの人生を一人で過ごす身としては関わる人々をそう思えば付き合って行けるのだろうか…実質的なヴィスコンティの「スワン・ソング」…やはり傑作だった!」家族の肖像(1974) もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
“家族と思えば我慢できる”…残りの人生を一人で過ごす身としては関わる人々をそう思えば付き合って行けるのだろうか…実質的なヴィスコンティの「スワン・ソング」…やはり傑作だった!
①2022.10.06 3回目の鑑賞(映画館では2回目の鑑賞)。更に理解が深まった。故淀川長治先生の言われた通りよい📽️とは格闘しなければならない、何回も(理解を深める為に、或いは理解出来るまで何度も観ると言うこと)だなと再認識させられた、[以下、2回目と3回目の鑑賞を併せての感想。] ②私はヴィスコンティの📽️が大好きである。(一番好きなのは『地獄に堕ちた勇者たち』と『ルードウィッヒ~神々の黄昏』) 本作も日本公開当時は私の映画の師匠(と勝手に思ってます)である淀川長治先生、双葉十三郎先生をはじめ殆どの評論家が絶賛した。でも私は観れなかった(公開当時シンガポール駐在中だったので)
③で、数年前に配信が始まったので“よし!”と思って観たらも一つピンと来なかった。“これがヴィスコンティの傑作?ヴィスコンティとしては中クラスではないかい?”と失望していた。
③で、今回「午前12時からの映画祭」で“やはりヴィスコンティは観なくちゃ”と大スクリーンで鑑賞。すると我ながら呆れるが私の中の評価がごろっとひっくり返ってしまった。
④大スクリーンに映される映像から途端に風格が漂ってくる。主人公の老教授の書斎の絵のように豊潤な美術。“ああ、ヴィスコンティの📽️だ!”と早速魅力される。。やはり大スクリーンで観ないと駄目なのかな。
⑤沢山の「Conversation Piece」(英語の題名にもなっている)に囲まれた書斎のある家で使用人を別にすれば一人で暮らしている老教授。経済的にも教養的にも遥かに差はあるけれども今後の自分の身に置き換えて共感してしまう。
さて、静かな独り暮しを送っている老教授の家に突然闖入してくる如何にもブルジョワなオバサンとその娘とその婚約者。教授の強い反対にも関わらず使っていない階を厚かましくも勝手に改造しようとして教授の書斎は酷い迷惑を被る。まるで教授の心の中に土足で踏み込んできたような。
⑥すったもんだの末分かったのはブルジョワおばさんが階をかりたかったのは自分の若いツバメの宿とするため。すっかり相手のペースに乗せられた教授の迷惑も顧みず若いツバメとブルジョワおばさんの娘+その婚約者の享楽的で自堕落な生活(当時の若者風俗の風刺か?)に呆れる教授。
⑦ところが、ふとしたことでゴクツブシと思っていたツバメ=青年が絵と音楽とに理解と豊かな教養を持っていることがわかり、青年が怪我をした時にその介抱をしたこともあり、教授と青年とは次第に心が通いはじめる。
⑧青年が元学生運動活動家であり今は左翼の活動家らしいこと、ブルジョワおばさんの夫は右翼(それもファシストのよう)だということ、当時のヨーロッパにおける左翼と右翼との対立や抗争、それらも点描或いは会話の中に暗喩されるし、深読みすると青年(コンラッド)がブルジョワおばさん(ビアンカ)の愛人になつたのも(前にも同じようなことをしていたらしいし)左翼のスパイとして右翼の旦那の情報を取る為だったのかもしれない。(劇中ではっきりとビアンカの旦那が共産党の幹部の暗殺を企てていたことを警察に報告した、と言っていたし)
⑨しかし、そういう脇筋よりも、やはり心を揺すぶられるのは主筋である老教授と青年との関り合いだろう。何故か教授は彼のことが気になり、まるで息子のように接する、或いはそれ以上の感情を持って...
⑩📽️の中でビアンカは言う“あなたも彼の色気の虜になったのかしら?”。教授は言下に否定するが、教授はヴィスコンティの自画像とも言われている(ヴィスコンティはゲイだった)から、教授はゲイかバイだったのかもしれない。それと、初めてコンラッドと会った(というより見た、という方が正鵠か)時の一瞬の教授の表情!
⑪ともかく、本作でコンラッドを演じるヘルムート・ベルガーは『地獄に堕ちた勇者だも』や『ルードウィッヒ~神々の黄昏』とは違う、確かに女も男も魅了するような魅力を醸し出している。やはりヘルムート・ベルガーの魅力を一番引き出したのはヴィスコンティなのだろう。
⑫一人で世間と没交渉で生きてきて一人で死んでいくと思っていた教授は、一時感じた孤独感から他人と関わろうとしたわけだが、、関わったのが教授とは全く違う価値観を持つ若者たちであり複雑な人間関係にある人達(コンラッドも含め)であつたことから、教授はかなり面倒なゴタゴタに巻き込まれてしまう。死の前にそういう経験体験を味わった教授は果たして幸せだったのか、やはり最後は一人で逝くことになったわけだが、やり後悔しただろうか(コンラッドを養子にする事に人生最後の希望を託していたのだろうか?しかし、そのコンラッドは恐らく密告の報復として爆死させられた。教授の家で・・・)
⑬3回目の鑑賞で、ただの若い男を囲う有閑夫人だと思っていた(確かにそうではあるのだが)ビアンカにも彼女なりの心の闇があるのを感じることが出来た。さすがにシルヴァーナ・マンガーノでありヴィスコンティの演出だ。
ところで、ヴィスコンティは最初この役をオードリー・ヘップバーンにオファーしたとのこと。しかし、オードリーは断り、ヴィスコンティは「彼女はいつまでもプリンセスの殻の中から出てこうとしない」と批判したと言う。確かにこんな退廃的な役を演じたらイメージが崩れかねないし、結局オードリー・ヘプバーンという一つのイメージで生涯を全うした生き方も尊いとは思う。ただ、こういう役を演じるオードリーも観てみたかった気もするけれども。
⑭ドミニク・サンダも久方ぶりの再会である。やっぱり北村匠海によく似ている...って逆か...北村匠海がドミニク・サンダに似ているんだ...初めて彼を見たとき“誰かに似てるな?...そうだ。ドミニク・サンダだ!”と思ったもの。
⑮次作で遺作となった『イノセント』も好きな作品だが演出力の衰えは隠せなかった(殆ど寝たきりで...撮影現場にベッドを持ち込んで演出したと聞いている)。それでも水準を上回る作品となるのは流石ヴィスコンティですが。次作にはヘルムート・ベルガーとシャーロット・ランプリング主演でトーマス・マンの「魔の山」の映画化を企画していたという。演出力は更に衰えていたかも知れないけれど観たかったなぁ・・・