家族ゲームのレビュー・感想・評価
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どれにも似ない新味。
再々…見。 宮川一朗太、気持ち悪くも愛くるしい男子、実はこれに尽きるかも。 これを森田芳光演出のもと絶妙の間で盛り立てる松田優作、伊丹十三、加藤善博ら。 前後のどれにも似ない新味は令和にこそ必見。
なんでテーブルひっくり返すの?
櫻井翔くんが主演でのドラマはちょっとだけ観たことあるくらいの知識で今作を観ました。 初めての松田優作でしたがイメージと違くて最初分かりませんでした。 コメディと言う割には笑うところが少ないように感じますが、シュール寄りなのですかね?
まともに向き合わない家族に一石を投じた家庭教師
仮病を使って休もうとする問題児中三生、宮川一朗太扮する沼田茂之の家庭教師として松田優作扮する7年生の吉本勝がやって来た。吉本は茂之にお前は可愛いけど馬鹿だなと言った。茂之は、ひたすら夕暮れと書き続けたので吉本はふざけるなと怒って殴ったから鼻血が出た。世話焼き母親役に由紀さおり。確かこれで3回目だが、吉本のお陰で茂之の成績が上がったのは良いが、変わった父親だし、いじめもあったし、クラス担任も変だし、食卓くちゃくちゃだし、何回観ても分かった様な分からない様な不思議な映画だ。飄々とした吉本が熱っぽくて、家族の愛が足らなかったと言う事なのかな。
夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ…。
高校受験を控える中学3年生の沼田茂之の元に、家庭教師の吉本がやってくる。吉本の登場により露わになる沼田家の歪みを、ユーモラスかつシュールに描いたブラック・コメディ。
家庭教師の吉本勝を演じるのは『人間の証明』『野獣死すべし』の名優、松田優作。
茂之の父、孝助を演じるのは『黒い十人の女』『細雪』の伊丹十三。
「夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ夕暮れ…」
「誰がそんなもん書けって言ったんだよ( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」
という映画、それが『家族ゲーム』。
「こんな映画のなにが面白いの?櫻井翔くんのドラマの方が100倍面白かった!」
という意見もあるでしょう。実際自分もこの映画の何が面白いのかよくわからない…。
でも大好きなんです、『家族ゲーム』。今まで観た邦画の中ではベスト3には入ると思う。
10代の頃に初めて観て、こんな映画が存在して良いのか!?という衝撃を受けた。
冒頭からクライマックスまで徹底して理不尽でシュールな展開が続く。なんと言って良いのやら。
一般的な中流階級の核家族と学歴信仰。
それらが内包する、普段は目を背けがちなグロテスクな問題点を、吉本の一歩引いた目線から描き出す戯曲的なコメディ。
家庭内の不和やいじめ、受験戦争などの身近な問題をリアリスティックかつシリアスに描く映画は数あれど、それらを残酷に突き放し笑いに変える作品が一体どれだけあるのだろう。
松本人志のお笑いや、松本大洋の漫画と同じ匂いがする(もちろん松本人志や松本大洋の方が後の時代の人物なんだけど)。
この映画の面白さを極限まで引き出しているのは、やはり吉本を演じた松田優作!
日本映画界永遠のアイコン!男が惚れる男!日本が世界に誇る最高の俳優!キング・オブ・クール!
本作の優作の演技、最&高!
常に学研の植物図鑑を持ち歩く無表情な男。言葉は少なく声は小さい。酒だろうとジュースだろうと飲み物を一気に飲み干す癖があり、とにかくよく食べる。冗談なのか本気なのか、ホモセクシャルな態度を茂之にも孝助にもみせる。暴力的でやる気があるんだかないんだかわからない、何を考えているのかもさっぱりわからない。こんなのが家庭教師としてやってきたら怖すぎる。
こんなわけわからないキャラクターを、完璧に演じ切る松田優作凄すぎる。古今東西見廻しても松田優作以外に吉本を演じきれる役者が存在するのか!?
吉本が茂之にコブラツイストを仕掛けるのは明らかに『ルパン三世 カリオストロの城』のオマージュ。優作は『カリオストロ』をリアルタイムで観て、非常に気に入ったという話を何処かで聞いたことがある。
『探偵物語』の工藤ちゃんはルパンを手本にキャラクターを膨らませていったらしい。そのため、『探偵物語』の1話目で工藤は少年に『ルパン三世のおじちゃん』と言われている…。以上、どうでも良い豆知識でした。
クライマックスの食卓はまるで「最後の晩餐」のよう。
キリストの位置に座している吉本が、愚かな使徒たちを打ち斃し、食卓をひっくり返して去ってゆく。
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」とはマタイ伝に記されたキリストの言葉だが、本作における救世主はそんな甘っちょろいことはしない。右の頬を打たれたら容赦なく右の頬を打ち返す。
現代人の愚かさには、救世主ですら匙を投げるというアイロニカルなメッセージは令和の世でも強烈な鋭さを保ち続けている。
「家の中がビリビリ鳴っていてすごくうるさいんだ」という茂之のモノローグから始まる物語は、ヘリコプターの騒音が鳴り響く食卓で幕を下ろす。
音から始まり音で終わるという円環構造は美しく、また物語の始まりと終わりで問題は一切改善していないことを表している。
凄くうるさい騒音の中、それを気にすることなくうたた寝をする一家の姿とともにエンドクレジットが流れる。
家族はもちろんのこと、冒頭の段階では「うるさい音」を意識していた茂之ですら、最終的には騒音について無意識になってしまっている、という皮肉かつ悲壮感漂うラストには一抹の寂しさを感ぜざるを得ない。
過剰なギャグを用いることなく、映画全体をコメディに仕立て上げる森田芳光の手腕には感服するしかない。これこそコメディ映画のあるべき姿だよ!
わかったか、今の日本映画界ででかいツラしている〇〇とか〇〇!
まさに「僕が観たい日本映画」の完成形。「ATG」のような攻めの姿勢の映画会社がまた出て来てくれればなぁ。
万人にオススメする映画では決してないし、つまらないという意見も理解できる。…が、こういう作品が観たくて俺は映画を観続けているんだよ!!
シュールさの中にあるリアル
横並びのテーブルに、おかしな家庭教師が出てくるぶっ飛んだストーリーなのに、端々に登場する高校受験や兄弟関係、親子関係や男女関係の要素が異様に生々しくリアルだった。 前々から思っていたが、森田監督の映画は、沈黙や雑音なども含めたモザイク画のような作りになっている。ストーリーでは語られきれないニュアンスが胸に残るので、感想を文字化するのが難しいのでもう諦める。
森田監督のセンスに脱帽
森田監督に憧れてこんな風に映画を撮ったら凄い駄作しかできないだろうなあ・・もうこの作品は脚本、カメラワーク、俳優、編集・・全て森田監督の緻密な設計図によって成り立っている。食事シーンはまるで素晴らしいクラッシックの音楽を目で聴いているかのよう。 登場人物の不安定さが心をゆる〜く揺さぶり続けて、笑いも起こるのだがそれがより一層深いところへひっぱられていく。 この年になるまでこの映画を観なかった後悔。でもあんまり若い時に観たらよくわからなかったかも。
松田優作主演の異色作
ハードボイルド以外のジャンルで松田優作が主演した異色作。皆が真面目に演じている中での笑いが、とても心地良い。この映画独特の一直線に並んで食べる食事シーンが、強く印象に残る。映画史に残る名作、必見の作品。
家族という役を演じるロールプレイング・ゲーム
みんな人として向かい合わない家族の姿 もちろんそれをあのテーブルが映像で表現している 半熟の目玉焼きを吸う父親、それは未だに母乳を吸う代償行為をする幼児性の表現だ これも冒頭で見せる しかも吸えなければそれを妻に非難するのだ バット殺人事件を恐れ息子の反抗という通過儀礼から逃げ、それを正面から受け止める父親の役割を家庭教師を雇い金で解決を得ようとする その家庭教師を自分の代わりに学校に行かせる母親 彼女は子供にも近隣の主婦にも優しいようで実は自分のことだけが大事なのだ 車の中でもっと遅く産めば良かったと、二人だけの新婚生活を楽しみかったといい子供のことは実は邪魔だと思っているのだ この母親は戸川純が演じる同じ団地の精神不安定な主婦から、もっと人に共感できる心を持つべきだとなじられる そして椅子を動かして向かい合わせで座りこの家のテーブルの異常さを暴露する この夫婦は、夫婦の会話を家庭ではしない 外の車の中で済まそうとするのだ 団地の家が狭いからだけではない ラストシーンに映る二人の寝室を持つにもかかわらずそうする 家庭を拒否しているのだ 父親と母親では有るが、まだその自覚がないのだ 子供が実は邪魔なのだ それでも仕方なく家族を演じるロールプレイング・ゲームをしているのだ それがタイトルの意味だ それでも母親の愛情を取り合う子供達 兄はレコードのやり取りで愛情を確かめようとするが弟が帰宅するとそれを共有しようとせずに席を立つ 弟は成績が良くなると気分を悪くするやつがいるというが、それは実はクラスメートではなく兄のことだ 兄は弟が両親の関心を集めればやる気を失う 親を心配させて関心を集めたいのだ 冒頭で弟がやる気を出せないのは同じ理由だ 兄弟で助け合うとか励ますとかの発想がそもそも欠落している 兄弟もまた両親と同じく兄弟というロールプレイング・ゲームを演じているのだ 弟は母が来客中であっても、そこに急に電話が鳴り出しても、自分の話を聞いてくれと駄々をこねる その上、来客の前で着替えて裸になって追い返そうとする幼児性をみせる 鉄球のジェットコースターのおもちゃもその幼児性を表現している これで中学三年なのだ 舞台はまだ工場や倉庫あとは空き地だらけの頃の晴海の埋め立て地 この土地は生活実態を感じさせない そこに家庭教師は水上バスで竹芝桟橋から通う つまり普通の家庭が住むところとは別世界だという映像表現だ 家庭教師の住む部屋には花もあり、恋人がいて彼とイチャつく安らぎがある 背景には水槽の泡の水音がしており無言であっても潤いのある生活があることを示す これも沼田家との対比をなすものなのだ 松田優作が演じる家庭教師 彼は結局父親と母親の両方の役割を果たす 弟は成長し成績は上がり、クラスメートから告白され、土屋にはケンカで勝ち、ついには志望校合格という奇跡を起こす 彼はこのゲームを演じている家族を救いに降臨したキリストということなのだ だから頬を打たれるシーンが有るわけだ そうして合格祝勝会は最後の晩餐を模すわけだ 最後の晩餐の席でキリストはこの場に裏切り者がいると言う それは誰か? 本作では家族全員なのだ それで神である彼は家族を罰し、その象徴であるテーブルをひっくり返すのだ 彼が去ったあとに残された偽りの家族は初めてバケツを中心に片付けを協同して行うのだ ではラストシーンのヘリコプターは何か 救世主は去り戻らない 天空に舞うのは雷鳴でも神の子の降臨を伝える天使でもない 救世主に去られたこの家族は結局家族の意味がないことを知ってしまったのだ 眠っているのも死んでいるのも変わりはしないのだ 父の姿はない はじめからいないのと同じなのだ この家族は私達の写し鏡だ 戦後の核家族は大なり小なり似たようなものだ 本当に家族一人一人に向き合っているのだろうか それを問うているのだ 自分は本当に親であったのだろうか? 汗がでる思いだ この兄弟は団塊ジュニアの走りになる 21世紀の今日、この兄弟は本作の両親の年代よりも年配になっている 今では単身赴任も当たり前の世の中になっている 彼らは、私達は、あなたは、本作のような家族ゲームをまた再演してはいないだろうか? というよりこの家族の異常性すら、どこが異常なのか感じとれもしなくなってはいないだろうか 遂にはさらにバラバラになって個となり、結婚すらせずに家族をもたないものも、この世代になると多いのだ いやひょっとすると、いまだにあの子供部屋にいるのかも知れない エンドレスで家族ゲームを演じ続けている人すらいるかもしれないのだ 本作は戦後の核家族の実相を描いただけでなく、予言にまでなっているのかも知れない この森田芳光監督の見事な演出 松田優作の怪演 数々の映画賞を総なめにするはずだ 奇しくも同じ1983年初夏に公開された映画に、市川崑監督の細雪がある その作品は反発しあいながらも互いに気遣う本当の家族の物語だ 戦前と戦後の二つの家族の姿 偶然にしても見事な対称をなしている 映画の神の見えざる手による必然なのだろうか
松田優作がすべて
城南大学なんだから・・・最後はそこに落ち着くのか。とにかく最後の晩餐のシーンは凄かった。松田優作ってのはこういった長回しのパートが得意なんだろうなぁ。 教育問題的には校内暴力が目立っていた頃で、バット殺人など家族の絆が取り沙汰されるバブル前夜の時期だ。スパルタ教育も戸塚ヨットスクールのニュースが毎日流れていたように記憶している。家庭教師の松田優作は、植物図鑑をいつも携えていて、勉強なんて教えない。なにしろ「奥の細道」さえロクに読めない大学生で、ビンタをかまし、恐怖で生徒を押さえつけるタイプなのだ。 ストーリーよりも、淡々とした家族生活をシュールに描き、いつ何が起こってもおかしくない家族。ATGだということもあり、低予算を逆手にとったイメージ。最近の森田監督映画はひどいもんだけど、初心に帰って良作を作ってもらいたいものです。
当時としては・・・。
当時の日本映画としては珍しく、映画として見せる映画でした。 かなり音に重きを置いているのがいいですね、アーティスティックで。 シニカルな雰囲気とラストシーンが衝撃的な映画でした!!
30年ぶりに観た。カメラワークとか間の取り方なんかそれまでにない新...
30年ぶりに観た。カメラワークとか間の取り方なんかそれまでにない新感覚の映画だったし、その年の日本アカデミー賞を総ナメにしたのが懐かしい。松田優作としても新境地だったんじゃないかなぁ。 それにしても舞台になったのは東京都中央区ですよ。こんな殺伐とした東京の景色を見るのも楽しめる。 今度近くに行ってみよう。
不気味な映画
謎な表現が多くて、よくわからないシーンが多いけど
なぜか惹きつけられ最後まで真剣に見てしまいました
見終わった後あれはなんだったのかなどを
考え、調べたりするんですが
明確な答えがあまり出てこないのがいいのか悪いのか…
監督がいろいろ計算して話を作ってるならすごいなー!と思うのですがどうなんだろう
原作を読んだら理解できるんでしょうか…
調べたら原作通りではないみたいですが
ラストの
息子2人と母親がヘリの爆音の中でうたたね?
するシーンがあるせいで余計わかりにくくなった
食事シーンで終わっていたらまだ皮肉なコメディーよりだったのに
あのラストシーンのおかげ?でより難解さ、そして不安感が増す感じがした
お兄ちゃんが占いや星より空手に興味を持ちだしたり、
家庭教師もいなくなったし
なんか暗い未来しか見えない…
なんじゃこりゃー 何をどう見ればいいのか、何がいいたいのか、さっぱ...
なんじゃこりゃー 何をどう見ればいいのか、何がいいたいのか、さっぱり分からない。ラストも全く分からない。斬新過ぎます(笑) 何と言っても家族が一列に並んだ食事風景。この異様さが妙な期待感へと繋がっていく。 そして衝撃の合格祝いの食卓。今なら、「食べ物を粗末にするとは」とか、綺麗事ばかり唱える御仁たちの大批判を浴びかねない、このシーン。 笑いました。大笑いしました。無表情のまま事をなしとげてしまう。これが似合うのは松田優作しかいない。改めて感じました。松田優作という俳優の存在感を。 今からもう一度このシーンだけ見て笑います。
やっと見つけた。ここまで大好きだと思える映画。
やっと見つけた。ここまで大好きだと思える映画。 場外ホームラン級に好きです。 ブラックジョークが散りばめられていて、 くすりくすりと笑ってしまう。 最後のカオスな食卓のシーンとか、笑いっぱなし。がははって笑いではないけど。 みんな少しずつズレてる沼田家。そこに、これまた少しズレてる家庭教師がやって来る。 みんなとても自然な演技で、学校の先生なんてセリフかんでたけど、そこがまたリアルで大変良い。 最近の映画は意味のないシーンを雰囲気つくりのために挿入したりしているけど、この映画にはそういった無駄なシーンが一切ない。早送りするタイミングが全くない。退屈することのない、ちょうどいいスピード具合もまた良い。 2011/1/19 @メディラボ
なんだこの異様感…
昭和の邦画を初めて見た気がする この独特の世界観、普通じゃない。というか普通なら敬遠してるくらいの気持ちわるさが描かれている。静と動の差の付け方も、食べ物のアップも視聴者をそういう世界に引き込んでいる。
ラストは父権の不在
バブル時代の家族の危機を予見するかのような、薄ら寒さを感じさせる。誰かのレビューにあった、川島雄三の「しとやかな獣」を想起させる点が確かにある。しかし、あるとすれば物語の舞台が団地ということ以上に、森田芳光と川島に共通するシニカルな現代社会への視線ではなかろうか。
現代社会(川島は言うに及ばず、森田の生きた時代もすでに我々にとっての「現代」というには過ぎ去ったものであるが)を皮肉を込めて描いているが、その中にかすかな希望を見出し、冷めきった人間関係の中にほのかな温かみを感じさせる映画。これが両者に共通するものではなかろうか。
この作品を観たものが必ず感じるラストの不可解さについては、一言述べずにはいられない。
ヘリコプターの音が聞こえる昼下がり。二人の息子は自室で眠り、母親もヘリの音を気にしつつも、趣味の革細工の手を止めてまどろんでいくという幕切れ。
重要なことは、このラストで初めて映し出されるのが夫婦の寝室だということなのだ。それまで映画に出てくるのは、居間兼食堂と子供たちの部屋だけである。そして、映画の最後になってこの問題多き夫婦の居室が初めて出てくるのである。
しかもこの部屋には何もない。ベッドも置かれていない殺風景なこの部屋で、伊丹十三と由紀さおりの夫婦の営みがあるようには見えない。これは単なる観客の推測ではなく、その営みがこの部屋では行われていないことは予め映画では言及されているのだ。
伊丹が「大きな声で話ができるところへ行こう」と由紀を誘い、自家用車の中で親の本音を口にするシークエンスは、夫婦がもはや自宅の中に、一組の男女に戻れる場所を持っていないことを示している。色めき立つ由紀に伊丹が「まさか、いまから化粧をするんじゃないだろうな」というのは、まさにそういう意味であろう。
もはや団地という家屋には核家族の中核である夫婦の居場所がないということ。その夫婦は自分たちの人生を犠牲にして子供を育てる。しかも、ここでの「育てる」ということの意味はより学力の高い学校へ進学をさせるということに他ならない。
伊丹が演じるこの父親は悪びれずに言う。「自分が直接子供に言ったのでは金属バット殺人が起きてしまう。だから、母親や家庭教師に代わりに言わせているのだ。」と。
父親殺しのテーマなど現代社会や受験戦争が生み出したものでも何でもない。ギリシャ神話でも扱われるこのテーマに対して、この父親(他の多くの父親もそうであろう)のとった戦略は、息子と直接向き合わないことで、息子の不満や憎悪の対象となることを免れようとするものだった。
実にこの戦略は成功したかに見えた。ちょっと風変わりだが熱心な家庭教師のおかげで、変わり者の次男は親の希望する学校に合格する。しかし、父親はもはや家族を経済的に支える機能しか果たさず、子供に対してリスクを負う存在ではなくなってしまった。
もしかしたら殺されるかもしれないというリスクを回避する代わりに家族の中の居場所を失う。父権不在の家族の出現。言うなれば新しい「家族ゲーム」の始まりである。
ヘリコプターの音に導かれてベランダへ出る由紀さおりが、自分たち夫婦の寝室を通る。夫婦の寝室を映画のラストで唐突に映し出すには、その部屋に誰かが入る契機が必要だったのだ。
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