アクト・オブ・キリングのレビュー・感想・評価
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怖かった
もっとエキサイティングなものを予想していたらけっこう地味で退屈だった。町山智浩さんの解説の方が面白かった。
おじいさんが50年前の自分の罪に気づいて、吐き気を催す場面が本当に苦しそうで迫力があった。
インドネシアの民兵組織の制服がオレンジと黒の迷彩柄という毒々しいもので、特撮ヒーローものだったら絶対に悪の軍団だ。彼らが虐殺の再現をする場面は本当に悪そうだった。
太った男が女装させられたり、完全におもちゃにされていた。彼が調子に乗って選挙に出て落選したのは面白かった。
軍が政権を握るといろいろと良くない感じがした。インドネシアは近年『ザ・レイド』やシラットが注目されているのだが、深い闇を感じた。
ドキュメンタリーでピカイチ
ドキュメンタリーとはいえ、奇抜。後進国のチェック実情をまざまざと見せつけられた。唖然な場面と酷な場面とが、良い案配な気がした。
衝撃
腹に砂袋を詰めさせられたような。 日頃から多くの人が感じるであろう、人間が持つ善悪の二面性。 その人間たちが作る社会の矛盾性、欺瞞性が見事にあぶり出され、ほんと怒ればいのか笑えばいいのか、泣けばいいのか恐怖に震えればいいのか、ひたすら困惑。 しかも、ドキュメンタリーなんですよね、これ。困った事に、現実の出来事。 あと何気に、"演じるとは?"の考察のいいケースにもなっていますね。 あぁ、しばらくモヤモヤしたモノに付きまとわれそう…… 。
どこまでが演技でどこからが本音なのかが曖昧、という体裁はユニークではあるが個人的には微妙。
時折挿入されるスタイリッシュで鮮やかな服装の出演者たち。それらはどれも耽美的で過剰なほどに虐殺を行った者たちを美化しているようでもある。彼ら(体制側)の文脈ではあのような世界で生きているのかもしれないが、外から見れば滑稽である。(マツコ似というかそのものにみえるあのオッサンの破壊力はおいといて)
モキュメンタリーのようですらある本作は、語られている歴史的事実が深刻であることさえもあやふやにしている。それは彼らの時に嬉々とした語り口や、ふと自らの残虐性に気づいた際の過剰に見える仕草や振る舞いなどで助長されているのだ。また華僑の義父を惨殺された息子が撮影に立ち会って当時の話を笑いながら(怖れからともとれるが)こと細かく語るシーンなども「これって何なの?」と思わずにはいられない。そしてつまるところそうした違和感や実験的なオリジナリティが本作の魅力なのだろう。
ただ、個人的にはそのアプローチはさほど響かなかったかな。
嫌悪の原因
この話のことは何にも知りませんでした。 今の自分がここに出てくるような人間になるとは想像も出来ませんが、状況が整ってしまうとそうなってしまうのでしょうか。 アンワル一味やパンチャシラ青年団だけでなく、ヘルマンの選挙のときに市民たちが公然と賄賂を求めていることにも驚きました。 質が悪いですね。 人間は、デフォルトでは悪魔というか所詮は獣(けだもの)なのかも知れませんね。
大量虐殺の加害者は“怪物”ではなく“ヒト”、特別過ぎない卑近な人間でした。
頭グチャグチャになる作品でした。 本作は当時1,000人を手にかけたアンワル・コンゴを中心に話が進みます。 元はダフ屋だったアンワルは当時の時勢に乗り共産主義者と“思しき”人物達を鏖に。 画面に映る現在のアンワルは白髪の一見好々爺という出で立ち。 孫を可愛がる姿は普通の老人という雰囲気。 そのような人物が嬉々として過去の虐殺を語りだし仲間と共に自主映画を作り出す。 後世の人々に自分達の功績を残すため。 『人を殺してはいけない。ましてや殺したことを自慢げに話すなんて』という自身の常識。 一方、アウトロー側の人間とはいえ、姿形や家族を慈しむ感情は同じ存在であること。 その違和感や非現実感に頭グチャグチャになります。 普段目にする映画等での虐殺者は、異形の“怪物”。 見た目からして自らとは異なる存在として捉えることが出来て心理的な距離感があります。 しかし本作を通して見えてくるのは虐殺をする側もされる側も同じ人間であること。 今は周りの見解や雰囲気含めて、その行為を否定することが出来ますが。 時勢等の舞台が揃ってしまえば自分自身もあの立場になってしまうのでは。 彼等が特別過ぎない卑近な存在であるが故に自身の考えや立ち位置の脆さに恐怖を覚えます。 また彼等が作成する自主映画の雑さやチープさに思わず笑ってしまうことも感情を揺さぶられます。 素人が考えた脚本、素人が作った小道具を使って雑な演技を行う。 その間抜けさに思わず笑みが零れるものの、扱っている内容が内容なだけに笑っていいやら悪いやら。 笑うことで彼等の行動を少しでも肯定しているような気すらして変な気持にさせられます。 画面に映る人物達と距離を取りたいにも関わらず、共通点を見つけてしまい違和感を抱く本作。 自主映画の作成を通してアンワル自身にも変化が生じていくのですが。 終盤の或る展開は息をのむ一方で『噓臭い、演技の延長だ』と思ってしまったのは、少しでも彼から距離を取りたかったからかもしれません。 インドネシアで当時起きたことを知る切欠としても良い作品だと思います。 オススメです。
狂っている。
人は、殺すからおかしくなるのか。 おかしいから殺すのか。 1000人殺した"英雄"は、初め、後悔することもなく、キャッキャキャッキャと笑顔だ。しかし、自らが被害者の立場を演じ、針金を首に巻きつけられた瞬間…恐怖が全身を縛る。 「私は罪を犯したんだろうか」 最後のえずく場面が印象的だった。
エンドロールが匿名希望って
主人公のアンワルコンゴは若い頃、プレマン(フリーマンが訛ったもの)と呼ばれる街のゴロツキで映画館のダフ屋みたいな事をしていたが、1965年のスカルノ大統領失脚後の共産党狩りで1,000人ほど殺した事で英雄的な扱いを受けている人物。
副大統領や新聞社の社長とも普通に会っているが、そんな偉い人たちもアンワルコンゴを粗末には扱わない。
共産党狩りは彼らが主導した虐殺だからである。
そこが、日本との1番の違いで、彼等プレマンは選挙に出たり、認められた存在であること。そんな彼らが市場の店主をゆすって金を巻き上げている。
強かん、強盗、人の殺し方を自慢げに語る。
そんな彼らが知恵と人脈を結集して映画をつくるという。
まるでドラマの中の様な、あり得ない状況はドキュメンタリーかどうかわからなくなってくる。
ラストシーンの後のアンワルコンゴがどうなったのか知りたい。
革命の恐ろしさを目の当たりにした凄い映画である。 84点
ドキュメンタリーと呼ぶには余りに凄惨な自演劇
1965年の大虐殺を当事者と友人、知人、家族に演じさせるのを淡々と見つめるドキュメンタリーだとは知っていましたが、ここまで凄惨な作品だとは思ってもみませんでした。鑑賞し終わってもしばらく震えが止まらないほど強烈な作品でした。
正義とは何か
FB友達の書込みで気になっていて、今日、やっとアクトオブキリングを鑑賞。 公開してから日が経っているので空いているかと思いきや、満席で通路階段での鑑賞。 共産主義者を手当たり次第に殺してきた彼らの“正義”を後世に残そうと実話に基づいた映画創りを通して、いつしか殺人者としての罪悪感に苛まれる様を、写実的に描いた傑作だった。 翻り、僕たちも、僕たちが信じている“正義”によって他者を脅かしているのではないかと考えさせられる。
被害者の追随体験という残酷さ
初回立見でいってきた。
インドネシアで行われた250万人といわれる大虐殺の加害者たちは”戦争の勝利”によって罰せられず英雄としてこれまで生きてきた。その真実を今回加害者自身が加害者役or被害者役として演じる。
最初は誇るかのように笑顔で演じていたけれど、次第に「俺たちは残酷だった」と言う。相手の立場になって考えてみる、のショック療法みたいだった。
怖いとか可哀想とか加害者被害者どちらにむけていいのかわからなくなり、ああこれが歴史の作られ方なんだって思う。
演技ではあり得ない衝撃
公開前映画館のポスターで内容を見て気になってはいたのてすが、公開後の話題になり方がすごかったので結果的にそれに後押しされて見る形に。評判通りの凄まじい作品でした。 なんというか「これがドキュメンタリー映画か…!」というか。実際の歴史的事件の当事者に当時の再現をお願いし、その過程で起こった彼らの変化を生々しく写し取る。ドキュメンタリーにしかできないことを、我々の予想の斜め上の形でやってみせた事がすごい。演技ではあり得ない衝撃度。 ラストを見れば誰もが圧倒されるのでは?ドキュメンタリー映画の楽しみ方の一端を学べた気がします。
現代だと思うと
加害者の優雅な暮らしと楽しげな様子、華僑の引きつった表情、演技から立ち直れなくなる女性と子供たち。 どの立場に寄り添って見たら良いのか。 喜々として撮影をスタートして、だんだんと笑顔が消えていく主人公の様子は、フィクションにはないリアル感。 これも現代のドキュメントなのだと思うと、複雑な心境にならざるを得ないですね。
凄いドキュメンタリー
とにかく凄い映画。これドキュメンタリーだよね?と、何度も問い質してしまう超現実的な話の連続。国営テレビのシーンなんかブラックコメディだ。出てくる人たちの表情の変化も役者が演じているかのように鮮明に映し出されている。紛れもない現実。
虫けらが人を虫けらのように殺していた実話
軍事クーデターによって樹立された、現インドネシア政府。なんともまあ、彼らは品性の欠片もなく、欲望をさらけ出し、多くの、あまりにも数多くの人(おそらくほとんどが罪のない)を虐殺してきた。それを、うれしそうに再現してみせる。しかも、稚拙なB級ホラーのゾンビのようなお粗末さなメイクと演技で。
彼らは、ただのギャングではないか。こんな国家がいまだ存在することの恐ろしさに震える。
この映画、ドキュメンタリーとして撮影を続けながら、主人公の白髪の老人の心理に変化が現れてくる。
殺される側を演じたあたりから、それまで嬉々として、自分の孫にまで殺人を自慢していた彼の表情が曇りだす。そして、処刑現場でその殺人シーンを解説しながら、突如えずいた。何度も。しかし、吐こうにも、胃の中は空っぽらしい。たぶんもう、ひとりのときに散々吐いているのだ。ようやく、罪の意識が芽生えたわけだ。遅いけど。
その姿をうしろから捕らえ、消えていく。このシーンが、この映画としての救いだった。
無常感
この世に「絶対」と言い切れることなんて無いと思ってたけど、当事者それぞれが己の正義を貫こうとする争いが、この世から無くなることは「絶対」無いなと実感。 平和ボケ全開の日本ですら、何かキッカケがあれば血みどろの戦場と化す可能性だってある。が、少なくとも今はこうして生命を脅かされることなく生きられている。このことに感謝しつつ、万が一のことがあろうと、人を殺すことで正義は確立されないということは覚えておく。 それにしても主役は突出して演技がヘタだった。
うーん、微妙・・・。
個人的には、今年前半の最大の期待作でした。 しかし、いざ、観終わってみると、なんだか、肩透かしを喰らった感じがします。共産主義者を殲滅させるという名目で大量のインドネシア人を殺し続けた集団の「幹部」とも云える人物(今では白髪の老人)が主人公なのですが、その主人公に殺害の様子を再現させる、というのが、話の骨子なのです。しかし、しかし・・・、その殺害の再現が、なんとも微妙なのです。非常に稚拙なのです。まるで、中学校の文化祭の催事のようで、主人公である殺人の実行者の話にも、私は衝撃を受けませんでした。やはり、このような記録映画を作る際には、当時の実録のフィルムを所々に挿入するのは必須であると思います。当時の加害者と被害者の様子を写したフィルムは必要であると強く感じました。この映画のクライマックスは針金を首に巻いて、何人も殺した現場に立って、当時の状況を語っていた主人公が突然、猛烈な吐き気に襲われ、何度も胃液を吐く場面(多分、このとき、殺された人間の立場に初めて立ったのでしょう)なのですが、劇映画では、人間の遺体を見て、嘔吐するというのは、余りにありふれた場面なので、余り、新鮮さはありませんでした。結局、かつての殺人者が贖罪するという、なんだか、ありふれた結末で、非常に、がっかりしました。所詮、欧米人のキリスト教的な価値観を押し付けられただけの映画である様にも思われました。しかし、決して、悪い映画ではありません。考える余白がたくさん残された映画でもあります。この映画の製作者の高い志は評価できます。週刊新潮では映画評論家のグレゴリー・スターさんが、96点という高い点数を付けていました。そう、悪い映画ではないのですが、なにぶん、こちらの期待値が高過ぎたので、☆は二つ半、と云うことになります。悪しからず。 原一男の「ゆきゆきて、神軍」、小林正樹の「東京裁判」、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」、或いはクロード・ランズマンの「ショアー」といった傑作と肩を並べる作品になるか、と期待していたのですが、なんとも残念な結果となりました。
こんな映画観たことない
インドネシアでの軍事クーデター政権下での大量虐殺事件。あまり報道や詳細を知らないのは私が不勉強なのでしょうが100万人ものインドネシア人がインドネシア人によって殺されていた。そして殺した側は未だ政権を握っていて、法律によらない暴力装置としての民兵が当たり前に跋扈しそこに臆面もなく演説に行く副大統領。 そんなインドネシアで殺された側ではなく殺した側の人物にこともあろうことか その時の殺人を演じさせ映画を作っていく姿をドキュメンタリーとして撮影してゆく映画。 観おわって未だ頭混乱してます とにかくみるべし 殴られた感じです
人間の怖さを感じざるを得ない
アクト・オブ・キリングを観てきた。 1965年のインドネシアで共産主義者(と思われる人も含む)100万人が大虐殺された。 驚くべきことに大虐殺した側は今も各界の要人として生きている。 その要人は今も国の英雄扱いをされているのだが、そんな英雄たちに過去の虐殺を映画として撮影させて、その映画を完成させるまでを追ったドキュメンタリーが本作。 虐殺を行った国の英雄たちのほとんどは過去の虐殺に対して反省の色もなく、自信の行為の正当性を疑わない。 それどころか自慢げである。 撮影中は軽くキャッキャしている。 恐ろしいのはそんな残虐非道な行為をした彼らもただの調子のいい奴らで、多分僕の周りにも、あなたの周りにもいるような人なのだ。 (主人公は最終的に良心の呵責があったが、それはこの映画の撮影を経験したからであって、それがなければどうかわからない) そして被害者は共産主義者ってだけ、もしくは共産主義者って勝手にレッテルを張られてで殺されてるわけで、狂気としか思えない。 しかし、この狂った状況ってのは異国の遠い過去の話ではない。 日本では関東大震災の際に、偏見だけで人が殺されたりしてるし、今のヘイトスピーチの状況だって本作につながりかねない可能性をはらんでいる。 だからこそ僕らはこの事実は知るべきだと思うし、この映画で知った事実はやるせないものだが、撮られたことに感謝すべきだ。 できれば数多くの映画館で公開するとともに、あらゆる観客が観てほしい。 最後に町山智浩氏もいっていたが、この映画のイベントで取材にきたマスコミがこの映画についてふれなかったことは本当にクソだ!恥を知れ!!
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